#11 自分の歴史

昔の自分を思い出すことがあります。
昔の写真を見たり、
昔書いたものを読み返したり。
自分が踊っている過去の姿を見たり。

どんな人が周りにいて、どんな音楽を聴いて、
どんなものを食べていたのか。

何が好きで、何に楽しみを感じ、
何を考えて生きていたのか。

時にぼんやりと懐古的に、
時に何かを確認しようと積極的に。
 
そうやって、昔の自分を思い出すことがあります。

なぜ思い出すのか?
なぜ思い出したいと、頭と身体は反応するのか?
 
理由なんてないと思っています。
それでも良いと思っています。
けど、あえて考えてみるのもおもしろいかもしれない。 

強いて言えば、「過去にひたりたいから」。
 
過去の栄光(そんなものが自分にあったとして)に、
日々の懊悩を慰めてもらうため。
 
そんな目的、効用しかないと思う。
だから、何かの拍子に去来する、小学生の頃に瀬戸内海で泳いだ記憶や、
ふと口をついて出る『どんなときも』の歌詞なんかを、
「あ~、疲れてるんやな~」と、
無意識の「疲れ」の発露として理解するようにしていたんだと思います。

あ、でも違う要素もあるかも。
 
それは、何かを得ようとして思い出すということ。
今の自分に何かをプラスしたくて。
そんな理由もあることに気付きました。
たぶん正しい。
 
たとえ正しくなくても、そう考えた方が生産的。

だから、「思い出す」ということには2つの目的がある。
少なくとも自分には。

 ①懐かしがる。
 ②当時の感情や思考を追体験し、
  今の自分との違いを確認し、新たな変化(進化)の材料にする。

①については、よくあること。

共通の経験をした仲間と、当時の話で盛り上がる。
部活の合宿や、みんなで行った旅行の写真や動画。
お酒が入ればかなり楽しい♪1人でも楽しいですよね。
精神の安定にとても役に立ってくれる。

さて、②について。
 
今の自分との違いを確認する。
その当時に比べた変化を確認する。
昔の自分の視点に立つことで、
今に至るまでに何を得て、何を喪ったかを確認する。

何が出来るようになって、何をしなくなったかを確認し、
次なる行動のヒントにする。
 
それは、忘れてしまった自らの来し方を自覚するということなんでしょう。
自分がどういった来歴を経て今の姿に至ったのか、
そのことに自覚的であるということ。
 
これが、「思い出すこと」の目的の1つ。

ただ、思い出すには工夫がいります。
では、どうやって思い出すか。
 
そのためには、「記録」という作業が欠かせません。

自分、または自分の属する集団の思考と行動を記録しておくことが必要。

例えば、今の自分の仕事に即して、記録することの例を挙げてみます。
 
 ●パーティーのポスターについて
  ・何がきっかけで、このデザインになったのか?
  ・誰の意図で各パーツの配置がこうなったのか?
  ・何をヒントにこのコピーをつけたのか?
  ・いつ、どこに、どのサイズでそのポスターを貼ったのか?
  ・パーティーの何ヶ月前から、そのデザインを考えたのか?
  ・なぜ、その紙質、色、サイズにしたのか?
  ・盛り込む情報は、それだけで良かったのか?
  等々・・・
 
こうやって、各項目に応える形で文書などの有形のものに記録していく。
 
後日思い出すために、ポスターの画像、
各所に張る上での責任者との折衝の経緯(を記した文書)、
実際に張った後の画像などをフォルダに整理しておく必要があるということ。
 
そして、思い出した項目が、
次回のポスターを作る際のチェックポイントになり、
新たな進化の種になる。

また。

 ●日常の営業面について
  ・いつから、温かいお茶をお客さんに出すようになったのか?
  ・いつから、お客さんの来店に合わせて、コーヒーを淹れるようになったのか?
  ・いつから、お客さんにコーヒーやお茶を勧め、注いであげるようになったのか?
  ・いつから、来店時にスリッパを出し、
   ハンガーに上着をかける手伝いをするようになったのか?
  ・なぜ、入会金無料キャンペーンが常時になったか?
  ・なぜ、ホームページを導入したのか?
  ・どの年代に向けて、ホームページのデザインを考えたのか?
  ・どのように見て欲しくて、〃?
  等々・・・
 
小さな変化だけど、例えば、
「今年の1月に、外から入ってきたお客さんが寒いままレッスンを始めるよりも、
お茶で温まってもらおうと考えたので、温かいお茶を出すようにした。」

などと、めんどくさがらずに記録していくべきだと思います。
特にビジネスでは。

 
こうやって、自分の歴史を見直すことによって、
次に取り組む上での基準が出来る。 

周到な記録によって、記憶遡及を正確なものにする。
そのことによって、
次回、何を新しく試して何を辞めるかを明確に把握することが出来る。
 
それもこれも、新たな創作の種を作るため。

今の時代、「記録」する媒体はたくさんある。
文書、写真、絵、映像、CD、建物、名前、商品、ルール、仕組み、デザイン・・・
 
これは、自分の経験以外にも応用できると思います。
人間の創る世界は、誰かの想念が具現化したものの集合体。
目にする有形のものは、誰かの意思の結晶体。
 
そこに記録されたものを頼りにその誰かの意図を思い出すことは、
作り手の思考を追体験することであり、
自分自身の歴史を思い出すことと同じ方法を他の人に応用するということ。
 
創られた理由や経緯に思いを馳せ、
自分の中に取り込んで、新たな創作の種にする。

印象派の絵画作品を見て、
制作当時の画家の心境に思いを馳せたり、

異彩を放つダンサーのパフォーマンスを見て、
何(先達のダンサー、映画のワンシーン、動物の動き...)に
影響を受けたのかについて想像したりする。
 
そうすると、刺激に対する反応の角度もより広いものになってくると思います。 

 今日はこの辺でzzz

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://ainoue.net/mt/mt-tb.cgi/11

コメントする

ウェブページ

アーカイブ

アイテム

  • P1040776.JPG
  • P1040630.JPG
  • P1040774.JPG
  • books.jpeg
  • P1040062.JPG
  • P1040639.JPG
  • 51IDakozVnL._SS400_.jpg
  • 517rp-clXkL._SS500_.jpg
  • 51kMcQCOAPL._SS500_.jpg
  • P1040038.JPG

2011年4月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30