思考を人にさらす。

そんな試みを始めて10日ほどが過ぎました。
手応えはまずまず。
 
かといって、
たくさんの人に見てもらって褒められたから、
というわけでは、全くありません。
 
それでも毎日、20人くらいの人に見てもらっているようで。
誰かに見てもらっているというだけで、
とても嬉しいです。
本当に嬉しい。

 
こういうのは、ダンスと同じで、
最初の恥ずかしさを克服すれば、
後はあんまり怖いものはないものです。

どんな感想を持ってもらえるんだろうかとか、
何が"ビビッ!"と来るトピックなのか
とかを理解することが出来る。

そんなフィードバックが楽しいです。
これが公開することの意味なんだろうな。
少なくとも自分にとっては。

ちなみに、どういう手応えかというと、
毎回2,000字強の、テーマがあって
まとまりのある(かどうかは不明)文章を
継続して書いていけるという自信がついたということ。
 
ひとまず、
現時点での自分の着想、文章力に見切りをつけて、
書き始めたことに意義があると思うことにしよう。

こういうものは、
発表した時点で自分が何らかの立場をとることになって、
書いたことが今後の自分の行動を縛るのではないか
という懸念が脳裏をよぎるものだけど、
いざ始めてみないと何も見えてこないことは確か。
 
たぶん、
何かの形でこの試みが失敗したとしても、
そんなにと大したことはないと思っているし、
自分の人生の経験値が増すだけだと思っています。 

入り口、枕は、
時事的な話題や、日常の些細な出来事から入る。
 
そういえば、
何かの番組でブラックマヨネーズの吉田(ボケ担当)が、
「自分達のネタは、日常から入って、
出る時(ネタの最後の方)には、非日常になっている。」
と言っていた気がする。
(「そういうのは、自分で言うもんちゃうやろ!
お客さんに言ってもらうもんや!」と小杉が突っ込んでいた。)

そしてそれらから発想した、
抽象的な話題へと進めていって、
最後には、
「明日からの思考に役に立てられそうな指針を示す」
という運び。
 
それを目指してやっていますが、
成功しているかどうかは不明。

 
けど、
こうやって文章を構築していくことは嬉しいものです。
 
自分に飛び込んでくる素材から、
何が言えそうかと思案し、
論理的に構築していく。
 
そんな訓練をしています。

何より、
自分が思いついた
(と思い込んでいるだけで、
実際に既存の研究書をひも解けば、
自明のこともあると思う)
考えや、常識となっている言説も、
自分の言葉や経験を通して語る、
もしくは語り直すことに意味があると思っています。

そう。

語りなおし。

例え受け売りだとしても、
支持する思考や態度を自分で実感する、
自分の言葉で語り直すことは
とても大切なことだと思っています。 
 
自分以外の人にさらすから、
もしも興味を持ってくれて、
指摘をしたいという気持ちになってもらえれば、
何かの反応がもらえるはず。
それが楽しみ。
 
この10日ほどで気付いたこと。
 
それは、この「丑年ショート」の書き方が変わったということ
(「丑年ショート」という随想集を自分のPCで書いています。
それの一部を公開したのが今回のブログです)。
 
少しだけ書くのに時間がかかるようになった、ということ。
 
人に見せる、見てもらうということを意識すると、
自分にしか分からない物言いや、
論理の飛躍をチェックしないといけなくなる。

それが、時間をかけさせている大きな要因。
でも、このチェックが訓練になる。
自分の文章力を鍛えてくれる。
 
でも、継続するうちに、時間も短縮されてくるとは思います。
 
この先、書く内容がどう変わっていくのか、
書いて公表することに対する姿勢がどう変化していくのか、
どう変化しないのか、
どんなテーマが中心になってくるのか、
どんなテーマを取り上げなくなるのか・・・
 
自分という人間を被験体にして、
実験をしているような感覚です。
楽しみです。

もともと、日記自体は書いていました。

日記は浪人生の頃から断続的に続けているので、
今ではもう10年くらいになるんでしょうか。

でも、並ぶのは、
「疲れたー。うまかったー。暑かったー。褒められて嬉しかったー。」
といった一次的な感想に留まるものが多かったかなと思います。

そこから一歩進んだ思考を
展開している時もあったようにも見えるけど、
それでも、今の自分とは比べるべくもない。
 
その瞬間には、
もっと他のことも感じたり考えたりしていたはずやねんけどなー、
と思い、
それをきっかけに自分に向けた短編を作ろうと思いました。
 
それが、「ショート」を書こうと思い立った経緯です。
丑年だから「丑年ショート」。
 
これを積み重ねていくと、
たとえ自分が死んでも、
この記録は残ることになるから、
そんなに寂しくないと思います。
 
ひとまず。
 
今の時点で決めている自分への課題。
それは、2つ。

 ①毎日書くということ。

字数もテーマも何でも良い。
ただ、毎日書きなさいと自分に言い聞かせて。
 
それが、今の自分の存在理由にもなっています。
大げさですが。

 ②アナロジー(類似性)をたくさん見つけること。
 
・風のそよぎ方に人との接し方を連想したり、
・チーターの動きから ウォークの原理を発想したり、
・選挙に行かないくせに
政治に対して"なんとなく不満を持っている"思考回路と、
ミーティングという場があるにもかかわらず、
自ら発言して、事態を好転するように努めず、
不満を内部にためたままにする思考回路を同型的だと考えてみたり。
 
こうやって、
「あれとこれ、すごい似てるな~」
という感想を日ごろから多く持ってみること。

そうすると、
常識では有り得なかった組み合わせから、
新たな発見があるかもしれません。

あとは細かい技術論的な話。

今は、「〇〇の△△」という所有格のタイトルにしていますが、
今後は、「〇〇と△△」という並列のタイトルにしてもおもしろいと思います。

「〇〇としての△△」とかの表象形式にしても良い。
 
今後考えているのは、人物シリーズ。
 
例えば、
「斎藤孝の構築」、
「フォルミカのルンバ」とか、
「山下和美の人間」とか。
 
画家、研究者、ダンサー、漫画家、ダンス教室のお客さん、
近所のおばあちゃん等々が発信する情報を素材に、
何かを書いていく。
 
誰かの表現物で、
自分に食い込んできたもののうち何点かを素材に、
そこから何かを言ってみるような試み。
そんなスタイルもやってみたいと思います。

ただ、いかんせん、
各方面の基本的な知識が乏しいので、
「こんな考えは何千年も前に解決しているよ」とか、
「この議論は、この学問の中のこの分野で今話題になっているよ。
だから、こんな本を読んだほうが良いよ。」とか、
「こんな所に目をつけること自体、何も生み出さないし、
意味が無いと思うよ。」とかの意見を頂ければとても嬉しいです。
 
今後ともよろしくお願いします♪
 
自分がこうやって書く文章は、
読んでくれる人を幻滅させることがあるかもしれません。
逆に、喜んでもらえることもあるかもしれません。
また、何も心に響かずに、よくある風景の一部として、
通り過ぎられるだけになるかもしれません。
 
何を感じ取ってもらったとしても、
どんな反応を頂いたにしても、
様々な反応を糧にして、
自分の表現能力を高めていきたいと思っています。

 今日はこの辺でzzz

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