#9 自転車のチェーン

自転車に乗っています。
 
赤い小さな自転車。
今流行りの(?)タイヤの小さな自転車。

去年の10月にドンキ・ホーテで一目惚れし、購入し、そのまま乗って帰りました。
それからは、職場にも毎日、片道30分かけてその自転車で通っています。

その自転車が、最近どうも調子が悪い。
何でもない所で、すぐにチェーンが外れるようになってしまいました。

ギアチェンジの無い、とてもシンプルな作りなので、チェーンが外れてもすぐに直せます。
3秒くらいで直せる。本当に。

でも、よっしゃ!飛ばすで~!と、立ち漕ぎを始めたとたんに
ガシャン!ゴシャン!と外れてしまう。

体内のエネルギーを使って発火させた炎が、
燃やす対象を失って、残り火となってプスプスとくすぶる。

そのたびに、愛車から降りて3秒立ち止まらないといけない。

悲しい・・・
 
そうならないために、「外れませんように、外れませんように」と、
恐る恐るペダルをこぐ。
そんな自分が情けなくなる。
 
そんなある時、よくよくチェーンを調べてみました。

そしたら、チェーンの一部に欠損が。
改めて、というか初めて自転車のチェーンというものを見てみましたが、
おもしろい構造をしています。

両サイドに仕切りがあって、それがいくつもの部屋を作っている。
その部屋が、ギアのギザギザにはまって次の部屋、次の部屋へと引き継がれていく。
   
欠損は、部屋の1つの片側が何者かの無慈悲な暴力によって、
引きちぎられていたことによって生まれた(たぶん乗っているうちに勝手にちぎれた)。
 
う~ん・・・
 
普段は全く(そう、まったく)気にも留めないチェーン。
 
自転車を見る時に、自分は何に注目し、何を優先して購入するかを改めて考えてみたけど、
恐らくチェーンの順位はかなり低い。
というか、チェーンなんて見ない。
完全に意識の外にある。

自転車についてよほどの思い入れがある人、
よほどのこだわりがある人じゃないと気にしないはず。
 
チェーンよりも、車体の大きさとか、フレームの色、
カゴの大きさやデザインの巧拙などが優先されるのが通例だと思う。

そう、確かに地味な役割のチェーン。
 
でも、これが無いと自転車は動かない。
走れない。

実際に動いているように見える、車輪の回転に目を奪われがちだけど、
車輪同士をつなぐチェーンというつなぎ役がなければ、動かないし役割を果たせない。
 
************************************

前置きが長くなりました。

普段目に留まらない日陰の部分にこそ、
物事を成り立たせている根本の部分が潜んでいる場合が多い、
ということ。それを実感したという話。
 
最近、脳科学が流行っているみたいだけど、
人間が意識化できる領域はとても狭いものらしいです
(養老孟司『自分は死なないと思っているヒトへ』大和書房)。

だから、過去に「大切だ」と思っていたことも、
普段、意識しないで済むように脳の引出しに仕舞い込まれる。

でも、それを仕舞ったままにしないで、意識的に、定期的に掘り起こすことをしてみたい。
それらは、きっと「癖」という形で身体に蓄積されているはず。

その人の生活習慣の中にどっかりと腰を下ろす。

気付いたら、それなしではいられないような依存状態を作り出す。
忘れただけで、その人の生活を確かに支える一端になっている。
存在していることが当たり前のように思えてしまっている"空気"のようなもの。
自分達の周りにはそんなものだらけのはず。
 
思いつくものを挙げてみるのもおもしろいと思う。
新たな発見があるかも。

今の自分の仕事に即して考えてみると、
まず思いつくのは「教室」という場所。

ダンス教室という職場の常識になってしまっているけど、休みが無い。
日曜日しかない。

しかも日曜日に、競技会やパーティーが入る場合がほとんどで、
月に2回か3回しか休みが無い。

しかし、お客さんにとっては好都合。
いつでも開いている。
祝日も祭日も開いている。
いつ来ても、前回と変わらずに迎えてくれる。 
 
ここに来ると、日ごろ自分が生活する世界とは、
別の世界に行くことが出来る。
 
清潔感のある明るいスタジオ。
ちょうど良い温度調節。 
ピシッとしたたたずまいの教師(あ、これはその教室によるか)。
心地良い音楽。コーヒーの香り。

染み付いた生活の匂いをここに来ることで、忘れることが出来る。
みんな、「優雅」「上品」「荘厳」に表象される非日常を味わいにやってくる。
 
中には、新たな分野に挑戦している自分を誇らしく思う反面、
思うように上達できない自分を嫌悪する人もいるかもしれない。 
 
また、ひいきにする教師が競技会で好成績を収め、
ダンス界のスターダムにのし上がる物語に自分の夢を託し、
様々な面でサポートすることを自分の生きる目標の1つにしている人もいるかもしれない。

また、暇にあかせて、ミシュランガイドの調査員よろしく、
各教室に評価を下すべく、いくつもの教室に"査察"に訪れている人もいるかもしれない。
 
また、付き合いで始めたけど、
やめる時期を逸してズルズルと続けている人もいるかもしれない。
 
また、数ヵ月後に予定されている発表会への出場という明確な目標に向けて、
計画を立ててレッスンを積み、教室外でも自己練習に励む人もいるかもしれない。

 
思いはそれぞれ。
 
いずれにしても、供給サイドは、出来るだけそれを演出するように努めるだけ。
 
お客さんにとって、この「教室」は、
"空気"のように、当たり前に存在する場所。
 
だんだん存在するということが当たり前になり、意識から抜け落ちていく。
この場所が存在していることの不安定性、不確実性が忘れられていく。
 
だから、
「この教室は、あなたのおかげで成り立っているんですよ。
逆に言うと、あなたがサポートしてくれなくなったら、この場所はなくなってしまうんですよ。」
ということを、お客さんの意識に上らせる必要がある。

ビジネスである以上。

何かいやらしい感じもするけど、商売なら仕方が無い。

お客さんにとって"空気"のように、
当たり前化してしまった「教室」(自分にとっては職場)を経営するためにも、

「それが存在するのは当たり前じゃないんですよ。
成り立たせる意志と戦略があるから成り立っているんですよ。
そして、皆さん方のサポートが無くなればここも無くなるんですよ。」的な、
メッセージを打ち出す。
 
たまに。
そう、たまに。
やりすぎると自虐的だし、がっついているし、誰もが嫌がりますよね。
  
お客さんの目に留まらなくなった、
「教室」という場所の存在意義を定期的に意識に上らせる。
これも1つのビジネス戦略かな。
 
自分にとって"空気"化したものではなく、
社交ダンス教室に通うお客さんにとっての"空気"化(日常に埋没したもの)したもの
についての話になりました。

 今日はこの辺でzzz

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