天気は終日晴れ。
ということだった。
 
新聞の朝刊では、晴れマークが連なる札幌の天気模様が報じられていた。
 
外に出て自転車に乗る。
何やら雲行きが怪しい。
曇天の鈍色を割って、今にも雨の雫が落ちてきそうだ。
 
「予報とちゃうやんけー。」
 
と思い、はっと思い出す。
 
以前、あるバラエティ番組で石原良純さんが言った言葉。
  
「天気予報が100%当たるようになったら、人類は終わりますよ。」
(ちょっと切れ気味で)

人類が終わる(滅亡?)かどうかは別にして、
この言葉には共感するところがあった。
 
自然現象の動向を予測することは難しい。
何が起こるか分からない。
 
確かに、自然現象を100%予測し、制御できるようになれば、
それだけ心配事が減り、便利かもしれない。
 
しかし、不測の事態への対応能力の退化、
思いがけない出合いの喪失、さらに言えば、
セレンディピティーの余地が無くなるのではないか。
そんな気がする。
 
これは、天気などの自然現象に限らず、
人間の身体、人間関係などにも当てはまる。
 
「何が起こるか分からない。」
 
何か激しい運動をしたわけでもないのに、
朝起きたら腕が痛い。

良かれと思ってやったのに、
相手を怒らせてしまい、不仲の種になってしまった。
 
理由の分からない事が、日常には数え切れないくらいある。
 
そのことを形容する故事も多い。
 
怪我の功名、瓢箪から駒、人間万事塞翁が馬・・・ 

今の仕事の社交ダンス(特に競技選手としての部分)では、
それらの分からないことを制御しようとする。

うまく踊れない部分を、どんどん潰していって、
100回同じ箇所を踊っても、100回とも納得いく踊りになるように日々練習する。

そうやって、自分たちの踊りを作り上げていく。
とても骨の折れる地道な作業。
だからこそ、出来上がったものは、美しく貴く、
人を感動させられるものになる(と信じている)。
 
しかし、そうやって積み上げたものも、
本番のイレギュラーと相乗してさらに大きな魅力を放つようになる。

フロアに板付いた後に、予定していたタイミングで照明が来なかった。
でも意外にもお客さんはそれを演出だと思い、盛り上がった。
 
あのコーナーでこのステップをして、こっちに面して最後のハイライトを迎える。
そう決めていたけど、実際に踊ると、選手があのコーナーに固まっていたので、
予定とは違う方向に踊っていった。
そしたら、ぶつからずに広いスペースでのびのびと踊れた。  

こんな経験はしょっちゅうある。

予測できないもの(=自然)を自分の身の回りに確保しておきたい。
 
分からないことを残しておきたい。
意図的に。 
 
人間の社会は「ああすれば、こうなる」という考えにガチガチに固められた世界。
養老孟司さんによれば、「都市化」の帰結。
 
ああしたのに、こうならなければ、イラついて何かのせいにする。
そんな思考の仕方が支配的になっている気がする。

原因と結果をあまりにも近い距離で結び付けて考えると、
見落とすことが多い。
 
「ああすれば、こうなる」。

これを記号で表すと、
  
  A→B
  
Aという現象(原因)がBという現象(結果)を生むという図式。 
  
こんな単純な図式が通用する場合は、実は結構少ないと思う。
  
ほとんどは、

  A→B→・・・・・→Y→Z

みたいに、間にいくつもの現象を媒介している場合が多いと思う。
 
 
勝間和代さんが提唱する「なぜを5回問う」という態度は、
原因と結果の間にある、様々なファクターを意識に上らせる、
とても有効な方法だと思う
(勝間和代『ビジネス頭を創る7つのフレームワーク力』)。
 
「何が起こるか分からない」とは、「因果関係が見えづらい」ということ。
 
だからこそ、意外性が生まれる。
 
「えっ!?」という意外性がおもしろい。
 
何がどうなってそうなったの?
 
そうやって、因果関係が見えにくいものの、
因(原因)と果(結果)の間にあるものを見つけて、
解きほぐしていくことがおもしろい。
 
 
こんな例はいくらでもありそう。

ちょっとマニアックだけど、『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦)より。

第3部のホル・ホースとボインゴのくだり。
 
ボインゴの持つ予言の書に現れた、

「道行く美しい女性に、後ろから飛び蹴りをすべし。
そうすれば、その女性は大喜びであなた(ホル・ホース)に感謝し、
お礼に宝石をくれるでしょう。」という未来図。
 
ホル・ホースは半信半疑ながらも、予言の通りに飛び蹴りをする。
すると、本当に感謝され、お礼に宝石をもらった。
 
 なぜ?

現象だけを見れば、

「道行く美しい女性に、後ろから飛び蹴り」→「感謝され、宝石をもらう」

という図式。
 
これだけ見ても理解できない。
その間をつなぐものが不明。
 
その間にあったのは、
「女性の首にサソリがいて、それを蹴りつぶした。
(サソリが首を這っていたために、教えても間に合わないという判断から)」
という現象。
 
ん~なるほど~だから、こういう結果になったんだな~と納得できる。
 
原因と結果の間をつなぐものが見えたから。

他にも例を挙げてみるとおもしろいと思う。
 
世の中で起こること全てには原因がある。
たぶん。
 
でも、自分たちが直接目に出来るのは、
原因ではなく結果。
 
そして、原因と結果の間には、
多くのファクターが存在する。
 
だから、いろんな物事がまわりまわって、
今の姿になっているということに自覚的でありたい。

自然にしても、自分の身体にしても、人間関係にしても。
 
「何が起こるか分からないこと」、
「因果関係が見えづらいこと」を怖がらずに、
こんなんもありか~みたいに寛容であり、
因果の間にある様々な要因を想像できる人間になりたい。

 今日はこの辺でzzz

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