#21 内田樹の構造主義-法則の発見2

前々回では、
日常にある現象に法則を見つけだすことをおもしろいと言って、
その対象を自分自身に向けてみました。

そして、
自分が知らず知らずのうちに依拠していた思考のくせ、
方法を見出そうとして中座。

今回は、その続編です。
 
再び内田樹さん。

彼の著作に、

寝ながら学べる構造主義』(文春新書)

があります。

 
彼の解説にならうと、

構造主義は、

「私たちはつねにある時代、
ある地域、ある社会集団に属しており、
その条件が私たちのものの見方、
感じ方、考え方を基本的なところで決定している。

                   ...(中略)...

私たちは自分では判断や行動の
「自律的な主体」であると信じているけれども、
実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである...」
 

という思考の仕方のこと。


言い換えれば、

何かを「自分」が決めたと思っていても、
その決めた自分はどこかに独立自存した
「ピュアな自分」ではなく、
周囲の環境にぐちゃぐちゃにからまった
「ふわふわした自分」だということ。

「本当の自分」は、
いろんな顔をしているということ。
 

さらに言い換えれば、

人間の考え方は
周囲の環境によって作り上げられたものだということ。
 

 えっ、これって...
 何かとても親近感があります。

 
それぞれの時代、地域、集団にそれぞれの歴史がある。
そして、そのそれぞれの歴史が人間の思考を規定する。
 
K・マルクス(1818~1883)という人は、
その人の属する階級がその人の思考や行動を規定するとし、

S・フロイト(1856~1939)という人は、
その人の無意識がその人の思考や行動を規定すると考えた。

そう、自分が今まで知りたかったことは
こういうことだったようです。
 
というか、
今の世間で当たり前になっていることみたいです。
 

自分が、いくら

「自分の意思で決めた!」

と高揚しても、

実のところその源泉は、
自分には制御不能な境遇(階級や無意識)
によって決定されているということ。

人間の行動様式をそうとらえた考え方。

そして、
それを文化人類学であれ、心理学であれ、
工学であれ、様々な分野で確認し、
そういう前提で適応しようとした考え方。


何でこんなに親近感がわくんでしょうか。


これまでのぼくの人生で、
知らず知らずのうちに、
この「構造主義」という名前の付いた考え方を
いろんなものから採り入れて、
自分の中で育てて、
自分でも使うようになっていたからなんでしょう。
 

内田さんの解説によれば、

今の時代は

「ポスト構造主義」の時代

らしいです。


構造主義的な考え方が、
世の中にあまりにも浸透したために、
誰も自覚的に

「私は構造主義的に考えていますよ。」

と思う人がいなくなった時代ということ。

このような思考の仕方が、
「常識」になった時代ということ。

だから、
今の時代を生きる人の多くは、
この思考様式に則っている。

常識になっているから。
疑うことのない前提になっているから。

そんな時代らしいです。

自分が知らず知らずのうちに
「こういう時はこうするのが普通なんやなー。無難なんやなー。」
と思っていた前提を意識にのぼらせることは、
自分の思考のくせを知る方法。

そして、
それは常識を洗い直してみるということ。


それでは、自分が


「構造主義的に」物事を考えている


ことを確認してみようかな。


自分が構造主義的に
物事を考えている例を挙げてみると。


 ●遺伝ではなく環境が
  その人の人間性を形成すると思っているところ
 
 ●自分のことは自分では
  よく分からないと考えているところ
 
 ●自分を分かるためには、
  自分の外に出した表現を通して
  間接的に知ることしかできないと思っているところ
  (このブログがまさにそう)
 
 ●無意識にある思いが、
  自分の行動を規定していると思っているところ
  (だから、自分の行動の源泉を知るために
  無意識に埋没した風景に問いかけている)
 
 ●自分に対して「無理しなくて良い」と思っていながらも、
  やっぱり

  「何かを外に出して表現しなければいけない」

  と思っているところ

  (そうやって表現されたものを通してでないと
   自分を確認できない。
   マルクスにとっては、外界への働きかけこそが、
   自分が存在する理由を獲得できる唯一の方法だという考え方らしい。)

 ●絶対的な正義は存在しないと思っているところ
  (その時代、その地域、その集団ごとにそれぞれの正義があると思っている)
 
 ●「確固たる自分」というものが
  存在しないと思っているところ
  (独立自存したピュアな静止した「自分」という中核があって、
  そこから出発した意思が行動を駆動するという考え方をしていないところ。
  "自分"とは、周囲との関係に左右される"状況的な存在"であると思っている。)

なんか、いろいろあります。


これまで自分が依拠してきた考え方は、
この構造主義だったようです。
 
そう!

今の自分の思考の仕方は、
構造主義の成果だった。
 
そう!

今の自分の思考様式は、
すでに誰かが確立したものだった。
 

それに今、やっと気付いた、
気付けた。
発見した。


そんな心境です。


自分の底を流れる
思考の源泉を突き止めたような喜び
をかみしめる一方で、
 
これまで、
自分は誰かの手のひらの上で
得意になって踊っていただけだったように思えて、
恥ずかしい気持ちにもなります。
 
しかし、今回、
その操りの糸の1本が見えた。
 
やはり嬉しいです。


寝ながら学べる構造主義』の中では、

イラク戦争に対する人々の感想が
引き合いに出されています。
 

アメリカにはアメリカなりの正義があるだろうけど、
イラクにもイラクの正義がある。

それぞれの正義は、
それぞれの国がこれまでの歴史の中で
作り上げてきたものだから、
どっちが正しいかという話ではない。

その上でアメリカを批判するなら、
本来同一線上に乗せられない正義を
一つの物差しで測って、
それを使って相手に非があることの根拠にして
攻撃を仕掛けた点。

そして軍人ではない人達を多く殺害した点。

 
こういった態度がいわば常識となっていると思います。
 
この態度こそ、
構造主義の思考方法。


それぞれにそれぞれの歴史があり、
良さがあり、悪さがある。

構造主義は相対主義と
親和性がありそうです。

ちなみに、
構造主義的ではない思考方法だと、

 
アメリカには世界の秩序を守るという役割があり
(神から与えられている)、
アメリカからすれば自国以外の地域には歴史が無い。

だから、その地域はただの
「アメリカの外」、「征服すべき辺境」
であり、
アメリカが踏み込むことに
何ら罪悪感を抱く必要は無い。

むしろ、自分達はあなた達の周りを覆う
蒙きヴェールを啓き、
自由という光を差し出す、
解放の使徒だ。


という考え方。

こんな感じでしょうか。
  

行為を為す「自分」しか無くて、
自分以外は未開の社会。
 
開拓者である自分は、
そこを切り開く純心なエクスプローラー。
 

そんな感じですね。 

 
自分がどんな思考様式に依拠して、
どんな枠組みで物事を考えているのかについて、
自覚的でありたいと思います。


自分がなぜ、こういう考え方をしているのか、
するようになったのかについての意識を遮断して、

「人生ってよく分からんけど、楽しかったり、苦しかったりするよな~」

と感慨にふけるのは、
死ぬ間際で良いかなと思います。
 

人はいつ死ぬか分からないけど、
生きているうちは、
自分をそのように思考させる基盤を自覚していたい。

そう思います。


そして、それを出来る限り、
定式化して誰かと共有していきたい。

そして、更にそこから自分はどれだけはみ出せるか、
どれだけの飛躍が可能かを念頭に置いて、
どんどん思考を展開していきたい。


そう思っています。


具体的には、

「ん?今の自分の考え方は構造主義的なのかー。」

と確認していくことですね。

そして、そうやって、
構造主義的な思考様式を
自分の中で網羅していくこと。
 

こういったトピックについて、
こう考える態度は構造主義的。
 
そんなことを自覚していたいと思います。

しばらくは、
この「すでに常識化した」思考の枠組みの中で、
日々の現象を見ていきたいと思います。
 
自分が無意識に依拠してきた、
構造主義の思考方法からどれだけはみ出すことが出来るか、

そして、

はみ出した表現(人・作品・現象)を
どれだけ受け入れられるか。
 
それが、
今後の人生の課題だと思っています。

 
そうすれば、

"えっ!?何やねん、これ~!"

という、自分にとってぶっ飛んだことをやる人や、
ぶっ飛んだ現象に触れる時に、

「これは今、常識化している構造主義の思考方法から、
どれだけズレているんかな~?」

とか、

「ぶっ飛んでいるように見えているけど、
常識の範囲内っぽいな~。」

といった感想を、

自分の中に明確な座標を持った所感として、
位置付けて整理することが
出来るようになると思います。


キーワードは構造主義。


固い表現なので敬遠しそうになるけど、
今の自分の思考の基盤になっている思考方法です。
 
たくさんの先人がいろんな分野でそれを確認して、
今やっと常識になった思考方法です
内田さんによれば定着して20年くらいの"若い常識")。


おもしろすぎる。


今回はいつもより
たくさん専門用語が出てきました。


自分が、ちょっとヤバい地点に踏み出しつつあることに、
いまだかつてない興奮を覚えます。

 今日はこの辺でzzz
 

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