#18 3匹のヤギのがらがらどん-表現の向こう2

札幌は不順な天気が続いています。
そろそろカラッとした空気にひたりたいですね。

今回は、

「表現の向こうにその人を見る」

という前回の続編として。

「自分にとってよく分からないもの(表現)」

への対応の仕方について
考えてみたいと思います。


「表現の向こう側」

とは、
 
表現の発信主体が"特定の人"であれば、
その人物像。
 
その時代に支配的な価値観(パラダイム)や
風評などの"集合的な言説"であれば、
それらが生み出されるに至った歴史。


世の中には、
それが生成された「向こう側」を
見たくなる表現(作品・現象)や、
見ようとしなくても、向こう側が見えてしまう、
相手から自分に飛び込んでくる表現(作品・現象)があります。

自分に即して言えば、
前段のフォルミカ・オクサナ組のルンバ
 

彼らの踊りを見ると、
それが踊られている向こう側を見たくなります。

どんな経緯で、どんな意識を込めて、
その踊りが作り上げられたのかを知りたくなります。
 
踊っているのはこの2人だけど、
選曲、編曲、アマルガメーション(ステップの構成)、
衣装、メイク等に、関わったサポーターの存在も知りたくなります。 

 
しかし、
自分達の周りにあるのはそればかりでは
ないような気がします。
 
自分自身が見たいのか見たくないのか、
よく分かっていない表現もあるだろうし、
積極的に見ないようにしている表現もあると思います。
 
特に、向こう側を

「見たいのか見たくないのか、自分でもよく分かっていない」表現。
 
数で言えば、
これが一番多いと思います。

 どう思ってよいのか、
 どんな立場をとればよいのか、
 どう判断してよいのか、
 どうとらえれば良いのか、
 どう理解すれば良いのか。

そう思うような表現が、
自分達の周りにはあふれていると思います。

 
例えば、自分にとっては、

ダリの絵、
つげ義春の『ねじ式』、
街頭で募金活動をする中学生、
ホームレスのおじいさん、
めちゃくちゃ丁寧な言葉使いで
マニュアル通りのフレーズを繰り返す近所のコンビニの店員、
人間の不可解な行動全般。

 
これらに出合う時、
何を思えば良いのか決められないでいる、
とても座りの悪い気持ちになります。

先日、札幌の三省堂をぶらついていた時、

 『3匹のヤギのがらがらどん』(福音館書店)

という絵本を見つけました。

北欧の民話が元になったお話らしいです。
 
 
がらがらどん?
 
けったいな名前...。
 
でも、どこかで聞いたことがあるような
(もしかしたら小さい頃に聞いた話かも)。
 
と思いつつ、バサバサと大判絵本のページをめくる。
3分くらいで最後のページに。

 何や・・・何なんや、これは・・・

軽い衝撃でした。
 

書いてあったことが
自分の深い所に食い込んできたからではなく。

内容が、全然わからなかったから。

3匹の「がらがらどん」という名前(名字みたいなもの?)のヤギが、
怪物トロルの住む吊り橋を、
小さい「がらがらどん」から順に渡り始めて
3匹全員が渡り終わるまでの話。

トロルは、
通ってくるヤギを食べてやろうと待ち受けているんだけど、

1匹目、2匹目の「どんがらどん」は、
「私の次に通ってくる方が、大きくておいしいから
、私なんかでお腹を満たさずに次のを食べてください。」
と言ってやりすごす。

そして、
最後に登場した大きな角のある「がらがらどん」が、
トロルと対決してボコボコにして(というか、粉々に打ち砕いて)
3匹めでたく橋を渡り終えたという話。 

 
全然、意味が分かりません。


ここから、何を学べば良いんだろうか。
何を次世代に残したくて、
この話は民話として受け継がれてきたんだろうか。
 
「がらがらどん」の行動を称えて、
トロルに象徴される"恐怖"に打ち勝ち、
前に進めということ?
 
もしくは、
3匹いたら、怪物退治は強いやつに任せて、
弱いやつは話術を弄して
その場を切り抜けることの大切さを学べということ?
 
それとも、
こうやって教訓を得ようとする態度自体が間違い?
 
 
ただ、言える感想は、

3匹のヤギが、トロルをこ馬鹿にしたような態度を
とっているように見えたことに嫌気がさしたし、

「怪物」と言いながらも、さあ食べてやるか、という時に、
わざわざ「あなたを食べて良いですか?」的な
了承を求める言葉を投げた、対話を望んだトロルに情がわいたし、

そのトロルが大きな角に刺されて粉々になって
死んでしまったことに悲しみを覚えたというくらいです。 

メェメェ・・・

正直、
この作品の「向こう側」を
見たいという気持ちにあんまりなれていない
自分を感じました。

自分にとってよく分からない表現(作品・現象)に対して、
どう対応すれば良いのでしょうか?


考えられるオプションは、

 ①よく分からないものとして、
   それ以上の思考を止める。
 
 ②よく分からないものとして、
   なぜよく分からないかについて思考を進める。

 この2つでしょうか。

 
①については、さらに2通りあるようです。

 ⅰ.よく分からないものとして、
   そばに置いておく(評価を保留)。
 
 ⅱ.もう付き合わない。

②についても、さらに2通り。
 
 ⅰ.自分に「向こう側」を見る目が欠けている、
   ということを検討する。
 
 ⅱ.表現自体が何の価値も持っていない、
   ということを検討する。

だいたいこんな感じでしょう。

自分にとってよく分からない表現を、
ひとまずこのうちのどれかに分類してみることを、
思考の出発点にしてみても良いかな。
 
そこからは、
さらに項目を細分化していけば良いんだろうな。

例えば、
今目にしている現象は、
自分にとってよく分からないけど、
たぶん②のⅰに該当するかな~と思ったとして。

そして、
今目にしている現象に関係ありそうな分野を勉強してみるか、
それからまたこの現象を見直してみると違う見え方になるかも・・・

こんな感じかな~。
 
また、
この作品は自分には何も食い込んでくるところが
無いから①のⅱとして処理しよう。

でもたくさんの人が絶賛しているから、
②のⅰと思った方が良いのかな~とか。

 
こうすると、
自分の思考の位置を確認できるような気がしますね。

ちなみに、『がらがらがん』。
 
自分にとってはどれもあてはまります。

強いて言うと、①のⅰでしょうか
(評価を保留)。

よく分からないけど、
後で何かが"ふっ"と飛び込んでくるかもしれないから、
記憶の片隅には置いておこうか
という距離のとり方。
 
よく分からないものに対して、
「何をどう思えば良いのか」と問われる瞬間は
生きていればいくつも出てくるはず。

その時の考えるヒントになればと思います。
 
 今日はこの辺でzzz

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://ainoue.net/mt/mt-tb.cgi/138

コメントする

ウェブページ

アーカイブ

アイテム

  • P1040776.JPG
  • P1040630.JPG
  • P1040774.JPG
  • books.jpeg
  • P1040062.JPG
  • P1040639.JPG
  • 51IDakozVnL._SS400_.jpg
  • 517rp-clXkL._SS500_.jpg
  • 51kMcQCOAPL._SS500_.jpg
  • P1040038.JPG

2011年4月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30