#38 異界の人-韓国・結婚・思考の軌跡5

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朝8時半。
 
出発まで、
まだ1時間以上ある。 

 
カツサンドと桜もちをほおばり、
Sサイズのホットコーヒーを口に含む。
 
朝の静けさに包まれた、
6番乗り場前の休憩所。
 
目を閉じると、
いろんな音が耳に身体に届いてくる。

 
     遠くで聞こえる、
     出発が迫った便を案内するアナウンスの声。
     韓国語でどこかへ電話をかける男性の声。
     通路を歩く人の服が擦れ合う音。
     カツカツとフロアをたたく靴音。
     鞄が置かれる音。
     ペットボトルのキャップを開ける音。
     2つ折りのケータイを開け閉めする音。
     咳払いの音。
     掃除係りのおばさんがごみを集める音。
     何かの包装を解く時の、
     薄いプラスチックの包装紙が裂かれるような音。
     日本語で話されるひそひそ声。


静かに見えたこの場所も、
耳を澄ませばいろんな音が聞こえてくる。


本当はビールを飲みたいんだけど、
二日酔いの頭がそれを許さない。

 
昨日、知人の結婚式が終わった後に、
買い物がてら周辺をぶらぶらし、
韓国での最後の夕食をとった。

その時に調子に乗って
食べ過ぎて飲みすぎた。
 

頭が、何か輪っかのような物で、
やんわりと締められているみたい。

 
一息ついた後に、
鞄から歯磨きセットを取り出し、
トイレに向かう。

 
     旅というのは、
     とても不思議なもの。
 

自ら望んで、
異界の人、外部の人になりにいくのだから。
 

韓国に行くのは
今回が2回目。
 
住みかも無ければ、
地元の友達もいない。
 
完全に外国人として訪れる旅。

 
安穏な住処を離れ、
自分が当たり前だと思っていたいちいちを、
外に示さないと通用しない場所に向かう。

自分のいる場所と、
だいたい似ているけど
ちょっと違う場所へ向かう。

 
日々の生活で自分に出来た
いろんなつながりをいったん横に置いて、
日常とは違う空気を求めて旅に出る。

日常で課せられていた役割をリセットして、
何者でもない自分としてふるまうために旅に出る。


〇〇教室の□□という先生。
△△会社の●●係長。

そんな役割からいったん自由になる。

 
そんな効用が旅にはある。
 
その肩書き、IDを
自分が気に入っているかどうかに関係なく、
何者でもない状態にリセットする時間は、
人間には絶対に必要だと思っている。
 

例えば、

自分の父親は、
自分にとってはこれまで「父」としてふるまってきたし、
これからもそうふるまっていくんだろう。
 

でも、

「父」その人にとっては、
自分の人生におけるIDは、
「父」であるだけではなく、
1人の男であったり、
学校の先生であったりするわけで、
いろいろな顔があるはず。
 

そういう顔をもっと持って欲しいと思うし、
そうやっていろいろな顔を持つことを
堂々とやって欲しいと思う。

 
     旅には、
     何者でもない自分に戻れる機能がある。

 
人間は生まれた瞬間には、
何のつながりも、
チャンネルも持ち合わせていない。
 
親というつながりを除いて。

 
それから、生きていく中で、
友達や先生や好きな人や嫌いな人との交流を持ち、
いろんなチャンネルを築き上げていく。

そうやって、
だんだん自分が「何者か」になっていく。
 

     「とても人付き合いの良い優しい人」とか、
     「近所でも評判の成績優秀な子」とか、
     「何を考えているのか良く分からない危なそうな人」とか、
     「競技会でも良い成績を出し、教え方も丁寧で分かりやすくて、
     札幌で評判の社交ダンスの先生」とか、
     「世界的にも有名なプロ野球選手」とか、
     「世界一多くCDを売り上げた歌手」とか

になっていく。


でも。

人生では、
そうやって獲得していった「何者かであること」から、
修復可能な範囲で、
一度離れる時が絶対に必要になってくると思う。

人間はそういう存在だと思っている。

(でも、『江戸川乱歩のパノラマ』で紹介したような、
極端な切断は怖い。)

 
インチョン空港のトイレで歯を磨く。
 
広くて明るい。
朝なのに(朝だから?)、
多くの人が利用している。
 
後ろを通っていく人達は、
日本人、韓国人だけでなく、
ヨーロッパの人もいる。
 
彼らにとって、
自分はきっと異物に映っているはずだ。

 
自分の行動1つ1つが、
周囲の人に何らかの感覚を喚起させる役割を
果たしているはずだ。
 
決して、自意識過剰だからではなく、
実際にそうなんだと思う。

 
こいつは何をやっているんだ?

という、不信の念を喚起するかもしれないし、
イライラさせるかもしれない。
 

何かやってるやつがいる~
といって風景化する人もいると思うし、

歯の磨き方に特にこだわりのある人が、
「こいつの磨き方、なんてセンスしてんねん!」といって、
知的興奮を呼び覚ますことがあるかもしれない。
 

こんなことは、
わざわざ外国に行かなくても
日常にあふれている。

 
つい2日前に通った、
韓国の入国管理ゲートを思い出す。
 

無機質な表情をした中年の管理官が、
自分のチェックの順番がきた事を
身振りで示す。
 

パスポートの写真と実物をちらちらと見比べ、
何かをキーボードに打ち込み、
「もう行け。」
というふうに、
手のひらを横に流す。
 

無表情を義務付けられているのか、
この人は、
きっと一日中こんな顔をしているんだろう。
 

そうすると、顔の筋肉が硬直して、
今のまんまの表情に
固定されてしまうんじゃないだろうか。


人事ながら、
勝手に心配する。
 
彼の目には、
自分はどう映っているのか。
 
来る日も来る日も、

「何者でもない」自分になりに来る人、
自ら進んで「外国人」になりに来る人を見続けているに違いない、
この人の目には。
 

所変われば自分はよそ者だし、
同じ集団でも時間が経てば、
自分はよそ者になってしまうかもしれない。
 

逆に、

よそ者として排斥されていたのに、
何かがきっかけになって
その集団の中心メンバーに迎え入れられるかもしれない。


そうやって、

自分にとって居心地が良い「内」から、
あえて「外」に出てみる。
 

そうすると、

自分を相対化して観察することができる。

相対化して自分を観察できるということは、
自分が無意識に当たり前だと思っていたことが、
こっちのグループでは当たり前じゃない
ということに気付けるということ。

つまり、

自分の行動パターンや癖を
自覚できるということ。

それは、

とてもとても大きな財産になる。

そう思う。


昔目にしたアインシュタイン語録を思い出す。


     「どんな集団に属しても、
     くつろいでいられる自分でいたい。」


確かこんなの。
そんな記憶がよみがえる。

 
異界に身を置くということは、
自分自身が現地の人にとっての
異界の人になるということ。 
 

それによって、
自分に何が食い込んでくるのか、
それが自分の中にどんな変化を生むのか、
そういうことを観察していきたい。


韓国シリーズは今回で終わり。 

 
この5回を振り返ると、
とても個人的な旅行記のような内容だった。 
 

でも、

誰かの個人的な経験を元にした所感を話に聞く時や、
それがつづられた文章を読む時、

自分の脳、身体にある似たような記憶を検索する。


そうやって、

自分に引きつけて考える。
自分の言葉で言い直してみる。

それが理解するということだと思っている。
 
自分は自分の書いた物を通じて、
自分という人間の性質を理解したいと思っている。


今回、

シリーズという形でひとまず5回書いてみたけど、
なかなかおもしろかった。
 

何かテーマを決めて、
それについての素材を探して、
5回ぐらいの連載形式にしてみる。
 
おもしろそうだ。
 
 今回はこの辺でzzz

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