#34 KE765便の風景-韓国・結婚・思考の軌跡1

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抜けるような、
鮮やかな青。
 
眼下には、マシュマロのような
雲でできた雪原が広がる。
 
少し後ろに見える右翼には、
"NTL540"という番号が大きく記されている。

右翼はあたかもダンボールで出来ているかのような、
もろく、今にも崩れそうな印象を自分に向かって投げかけ、
気流に対して頼りなげにたわみ続けている。 

 
窓にへばりつき、
上目にして、
どこまでも高く空の続きを見ようと試みる。
 

自分には、今この空の先をどこまで見えているのか、
そしてどこまでしか見えていないのか。
そんなことを思いながら、
窓外の青に視線を向け続ける。

 
地上を旅立ち、
この視点を手に入れたことで、
人間の思考のスケールは確実に変化したはずだ。

吉本隆明さんの『ハイ・イメージ論Ⅰ』(ちくま学芸文庫)が
頭をよぎる。
 

初めて、飛行機に乗った時を思い出す。
 
地上の視点を越え、
地上を睥睨する、
まさに神のような視点を手に入れた実感。
 

自分だけに与えられた特権ではなく、
一度でも飛行機に乗ったことがある人には、
等しく与えられる感覚。

 
それにしても、
どこまでもどこまでも続く雪原。

雪の世界に棲息するという、
ビッグフットを思い、
無意識にその姿を探す。
 

クレバスを思わせる溝が、
そこかしこに見える。
 

そこからのぞく下の世界には、

自分と同じような外見で、
自分と同じようなことを考えて、
自分と同じように何かを食べて、
眠りにつく人が生きている。
 

いったん手に入れたこの視点も
数時間後にはリセットされ、
日常の高さに戻っていくのだろう。

 
つい昨日、

ソウル市内で式を挙げた知人夫婦が、
同じ場所から10時50分の便でバリへ発つということを聞き、
ちょうど今頃、
機内へ乗り込んでいるであろう
彼らの幸せが末永いものであることを祈る。
 
本当に幸せになってほしい。
 
自分の人生に、
そう思える人が少なくとも1人はいるということに、
言いようのない喜びを感じている。

10時10分発、
仁川(インチョン)発札幌行きの
大韓航空KE765便。
 
閑散とした往路の機内と違い、
満席に近い。 
 

ほとんどが、
郷里から札幌へ向かう韓国の観光客のようだ。
 
修学旅行だろうか、
20人程の高校生と思しき男女のグループが、
自分から少し離れた席で、
楽しそうにはしゃいでいる。

「いくらですか・・・オルマエヨ!」

そんな声が聞こえてくる。 

 
機内食が運ばれてくる。
 
Fish or Chicken で、Fishを選択。

忘れずに、
チューブのコチュジャンもリクエスト。 
甘辛い味付けでおいしい。

 
前も後ろも横も、
どこを向いても食べている。
 
脇をしめ、狭いスペースで
カチャカチャとみんな器用に食べている。
 
快適とは言い難いが、
我慢できなくもない。
そんな状態で一生懸命に食べる。
 

どっちかというとお腹は空いていない、
という時でも、
せっかくなので、ということで、
ついつい食べることにしてしまう。
 
 
ふと、昔見学した
養鶏場の風景を思い出す。
 
訪ねたのは日中だったけど、
煌々と灯された裸電球の下、
昼も夜も無く、高カロリーの配合飼料を食べ続ける鶏たち。

方向転換の出来ない狭いケージにあてがわれ、
目の前にある景色はえさと水。

出荷されるその日まで、
延々とそんな暮らしを続ける。
 
 
養鶏場ならぬ、養人場。
 
食べて飲んで、
お腹を肉、穀物、アルコールで満たし、
狭いスペースで運動不足の状態を作り出し、
目的地に着く頃には、
めでたくどこかに出荷されるとしたら・・・
 

そんなことを想像する。

 
今は「家畜の福祉」という言葉も
世間に浸透している(?)そうだから、
そんな光景も減ったのかもしれない。

 
同行した男の子の分も平らげたので、
お腹いっぱいで、
せっかく頼んだビールを飲めなくなった。

持って帰ろう。
 
 
機内誌をパラパラとめくる。
 
ファッションや音楽など、
韓国国内で流行になっているものが、
誌面に踊る。
 

今、韓国では何がはやっているんだろう?
 
彼の国を後にする今になって、
そんなことを思ってみる。

 
この問いは、

今、韓国では

"何がおもしろいということになっているんだろう?"

という問いのこと。
 

韓国人みんなが、
本当におもしろいと思っているかどうかは、
この問いには実はあんまり関係なくて、

"はやっているということになっている"ものを、
現地の人が何に設定しているのか、
何を認定しているのかを知りたい、

ということ。
 

ブームの火付け役というのは、
どんなブームにも必ず存在していて、
その人が仕掛け人となって
他の人達を巻き込んでいく。
 

大元の仕掛け人ではない人も、

"えっ?これって何か良く分からんけど、ブームになりそう。
これからみんなも欲しがりそう。"

と、そんな匂いを感じた人から順に、
プチ仕掛け人になって、
どんどんと輪を広げていく。
 

きっと流行とは、
そういうものだと思う。
 
 
だから、

流行というのは、
うねりが大きくなればなるほど、
本当に自分が欲しいかどうかとは関係なくて、

"友達がやっているから"とか、
"お隣がやっているから"とか、

そういう理由でコミットする場合が
多くなると思う。
 

仕掛け人(供給側)も、

"友達もやっていますよ。
お隣さんもやっていますよ。"

そんな煽り言葉によって、
流行の輪を大きく広げようとする。

それが資本主義というものらしい。

 
自分に照らしても、
根本の部分では全く同じ手法で、
社交ダンスブームの火付け役になろうとしている。

"みんなが興味を持っている。
みんなが始めている。"

そんなメッセージを表に裏に忍ばせて。

社交ダンスのインストラクターで、
そう考えていない人はいないだろうな。


仕掛ける側にとって、
その人が本当に欲しいものかどうかというのは、
実はそんなに大事なことじゃないと思う。
 

「あなたが本当に欲しいものは、これなんですよ。」


そう囁かれることで、
「あぁ、そうかもな~。」的に、
自分の欲望を確認する。

そうやって、
回顧的に自分の欲望を確認する。

生きているとそんな場合が多いんだろう。
だから、商売が成り立つんだろう。
 

何が欲しいか分からないけど、
何かを欲しくならせてほしくてぶらぶらと街を歩く。


自分はそんな時がかなりある。

そういう時に、
前から興味があったものに対して、

「お探しのものはこれじゃないですか?」

と、囁かれると、
コロッといってしまいそうになる。
それが日常。

 
でも。

それはよく考えると、
とても気持ち悪い。

 
自分が本当に欲しい物を、
人に教えてもらわないと分からないなんて。
 
自分が本当にしたいことが、
人に聞かないと確認できないなんて。
 

逆に、

その人が本当に欲しがっていないものを
欲しがるように仕向けるなんて。
 
その人が本当にしたいかどうか
本人が判じかねている時に、
本人に成り代わって断定してしまうなんて。

 
たぶん、
誰もが通る道なんだと思う。

 
それを、

   "そんなこと言ったって、
   自分だけで収集できる情報なんて限られてるし、
   その道のプロに要約して説明してもらった方が合理的。

   それに、
   最初は自分が欲しいかどうか分からなかったとしても、
   手にすることで、
   本当にかけがえの無いものになるかもしれないでしょ。"


とか、


   "そんなこと言ったって、
   自分の商品を売らないと収入を得られないでしょ。
   割り切って売りまくった人の方が
   良い思いを出来るんだよ。"


と、

納得して行動に移すことが、
きっと成熟した大人に違いない。

 
ある程度は仕方ない。
 
でも、
その気持ち悪さを忘れないようにしたい。

 今回はこの辺でzzz

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