#17 フォルミカのルンバ-表現の向こう

人が無意識に依拠している行動原理を
意識の俎上にのぼらせる。
 
ぼくは、
そんなことに興味があります。

みなさんはどうでしょうか?

ひとまず、
自分が則っている行動原理を
洗い直してみたいと思います。

そして、
知らず知らずのうちに
こういうルールを自分に課していて、
それに従って行動していたんだなー、
という暗黙のルールの存在や、
機能、内容を明らかにしたいと思います。

 「何でこの曲に魅かれるんやろ?」
 「何で毎日靴を左足から履くんやろ?」
 「何で何か事件があった時に、
 "えっ!"と言ってひとまず驚いたふりをするんやろ?」

こういった日常の所感が生み出されるに至る
メカニズムを省察していきたいと思います。


今回は、

「表現の向こうに作り手という人間を見る」

ということについて
考えてみたいと思います。
 

*************************************


フランコ・フォルミカという選手がいます。
競技ダンスの選手。
イタリア出身で愛嬌のある顔立ちの選手。
 
パートナーは、オクサナ・レべデュー。
こちらはカザフスタン出身。
鳥類を思わせる美しい肢体の持ち主です。
 
ぼくは、彼らの踊りが好きです。

特にルンバが。
ナチュラルなムーヴメントの中に、
体の隅々にまでストレッチを行きわたらせた踊り。
 
踊られている身体が
喜んでいるように見える踊り。
 
指先、足先まで神経を行き届かせ、
緻密な計算が随所に見える踊りです。


これだけ、繊細な踊りをする2人です。

きっと、

自分たちの踊りに対する姿勢
というものを明確に持っているんでしょう。

踊りを通してしか彼らを知らない自分は、
踊りの向こうに彼らの人物像をそう想像します。

先日発行された雑誌のインタヴューには、
自分の予想とそんなに離れていない
彼らの像を見ることができました。

 
重力に反発して
踊ることについて答えた、

 「人が死ぬと地に帰ります。
 生きている間中、大地は自分を捕えようとしているので、
 捕まらないようにしなければいけないのです。
 ダンスでも同じです。
 ボディを落とす事より重力に反発している方が
 パワーも生まれますし、その方がバランスもずっと良くなるのです。」

という回答。

 
また、
競技としてのダンスについて答えた、

 「ダンスは戦争ではない。
 つまり、お互いに殺し合いをしている訳ではなく、
 自分のできる事をしているのです。
 僕たちにとってダンスは、単に勝つ事とか、
 チャンピオンになる事とか、お金を稼ぐ事ではなく、
 人生の哲学であり芸術であり、自己表現の場と思っていますので、
 競技会で音楽が流れている2分とか2分半を使って表現できれば良い
 ―そうしたことを競技会では考えています。」

という回答。
                             (『Dance Wing Vol.48』(株)ひまわり)


踊りの向こうに、
その人という人間を見る。

自分がこの仕事を始めた頃、
先輩の選手に、
「お客さんは君の踊りを通して君の人間性を見ているはずだ。」
という内容のことを
言ってもらったことがあります。

 
 なぜ踊るのか?


こういう所に意味を求めてしまう自分にとって、
この言葉は、
1つの物語を示してくれているようで、
とても励みになったように記憶しています。

自分は自分という人間を知ってもらうために、
ダンスという手段で外に発信する、

という物語です。

自分にとって好きな踊りをする選手に対して、
 
 「この踊りの繊細さが好きだなー」→「きっとこの人達自身も繊細なんだろうなー」

と、こういう思考になります。

自然と。
  
 この作品好き! → どんな人が作っているんだろう?
 
自分に食い込んでくる表現をする主体に対する
興味の持ち方、思考の流れというものは、
きっとこんな感じなんでしょうね。


表現にはいろんな形があります。
 
踊り、詩、文章、絵、料理、書、デザイン、コピー、癖、雰囲気...
 
その人の発する情報に
その人という人間が出るということでしょう。

表現の向こうにその人を見る。
 
その逆も同じだと思います。
 
自分が何かを表現したら、
その作品を通じて自分が見られるということ。

そのことを忘れないように、
自覚的でありたいと思います。

そうすれば、
自分が直感した感想を
価値のある情報に変換していける
チャンスが増えると思います。

自分に食い込んでくる表現に対して、

 「この作品は何を伝えたいんだろう?」
 「この作り手は何を学んでほしいんだろう?」
 「この作り手はどんな経緯でこの表現に至ったんだろう?」
 
といった方向に、
思考を進める。 

また、

 なぜ踊るのか、
 なぜ文章を書くのか、

という問いに対して、
  
 「自分という人間を見てほしいからだ。」
 「作品を通して自分という人間を知ってほしいからだ。」
 「作品を通して自分の考えを誰かと共有したいからだ。」

といった、
当面の目的意識を
自覚することが出来ます。

自分が今やっていることの
目的を思い出せるはずです。
 
人間は、
ダンスをしなくても、文章を書かなくても、
存在しているだけで、
身体を通して何かを表現していると思っています。

ぼくはそう思っています。

しぐさや表情、
たたずまいといった無意識のうちに為される形態で。
 
だから、
常に自分の身体を通して為された表現を、
周りの人が見て、自分という人間を見ている、
ということに自覚的でありたいと思っています。

自分も人のことを理解しようとする時には、
その人の表現の向こうに、
その人の人物像を結ぼうとするし、
たぶん、多くの人もそうしているはずだと思います。

 今日はこの辺でzzz

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