#19 フィボナッチの数列-法則の発見

待望の週末です。
 
知らず知らずのうちに、
7日を1つのサイクルにして
物事を考えている自分を発見します。
 
今回は、
無意識に従っている法則についての話。

*************************************

フィボナッチの数列が、好きです。

由来はよく覚えていないけど、
数学者のフィボナッチという人が、
野ウサギの繁殖の仕方に法則性があるのでは?、
と思い立ち、
考案した数列らしいです(確かそうだったような・・・)。


 0,1,1,2,3,5,8,13,,,


各項(第3項以降)の数が、
前の2項の和になっている数列。

一見、規則性が無いような並びをしているところが良いですね。
 
というか、
理由は分からないけど好きです。
 

それにしても、
法則を見つける、作るということは、
本当に心躍る営みだと思います。
 
ぼくは、

人が無意識のうちに考える基盤にしているもの、
知らず知らずに日常的に使っている
思考の枠組みを知りたいと思っています。

明らかにしていきたいと思っています。 

「野ウサギの繁殖」に限らず、
現実にある現象に対して、
それが必然的に起こるための条件があるんじゃないかと問う。

そういうことが好きです。


ひとまず、

自分の日常にある素材には、
どんな法則が見出せそうだろうか。

そんなことを考えます。


例えば、

昨日は札幌では雨が降っていたけど、
「葉っぱの雨のはじき方」とか。


例えば、
自分の仕事に関して言えば、
「ワルツのナチュラルターンをする時のバランスの崩し方」とか、
「初心者がルンバを踊る時の間違え方」とか。
 

他には、
「人が歩道を歩く時の仕方(真ん中を歩くとか、
人とのすれ違い方とか)」とか。
 

いろいろ思い付きそうで楽しいです。
 
こういった法則を見出そうとする試みを、
自分に向けてみてはどうなんでしょうか。
 

様々な場面で自分が行う、
行動や思考の癖を観察して、
何か法則みたいなものを見出せないでしょうか。


「自分のことは自分が一番良く分かる」

という表現があります。
 
これはうそだと思います。

人は、自分自身のことを
実はよく分かっていない。

そう思います。


 何かをしたいような気もするけど、
 したくないような気もする。
 
 何かをしなければならないような気もするけど、
 するべきではないような気もする。
 
 
こんな、"どっちつかず"な状態が
人間の常態だと思います。

 
でも、
それでは物事が前に進まないから、
その時代に支配的な価値観なんかによって、
自分でGOサインを出す。

「いつまでもふわふわしてないで、決断しろ!」
というふうに。
強制的に。
(そうじゃないと周りに迷惑をかけてしまうから・・・)
 
そして、
決断した後は、
決断しなかった場合の自分よりも
決断した自分を前面に出すように振舞うようになる。

決断した理由をもっともらしく演出するようになる。
当然だけど。

 
自分のことは、自分ではよく分からない。
(だから、ぼくは、自分はこうやって、
自分の内面を外に出して、
自分がどういうことを考える人間なのかを知りたいと思っています。)
 

ぼくは、このことを自覚していたいと思っています。


そうやって、
自分自身を貫く
いくつかの法則を見出していく。
 

自分はこういう場合に、
こういう行動をとりやすいんだなーとか。
 
自分はこういう状況に置かれると、
こんな心理状態になってしまうんだなーとか。
 
 
そして出来上がるのは、
自分専用のマニュアル。
 
自分にしか通用しないマニュアル。 
ビジネス関連の本に多い、
他人の苦労話、成功話からは得られないもの。

こういう場合には、
自分はこういう行動をした方がしっくりくる。

そんな事がだんだん分かってきて、
似たような状況でもある程度対応できるようになる。

そんな気がします。


これから出合うたくさんの現象に、
対応するための準備を前もってしておくこと。
 
ぼく自身は、
その瞬間瞬間にひらめいて対応する自信が無いので、
こうやってあらかじめ準備をしておきたいと思います。
 

こういったマニュアルというか行動指針は、
結局、自分で獲得していくしかないようです。
 
どんなに聞こえの良い考え方や言葉を持ってきても、
自分の中に根付かなければ、
ただの借り物でしかないです。

自分を駆動させる力も無ければ、
人に伝える説得力も無い。
 

「何かよく分からないけど良さそう」
と思った思想を、自分の中で育ててみる。

自分という土壌に合わずに、
すぐに枯れてしまうかもしれないし、
青々とした葉を茂らせ、
見たこともないような美しい花を咲かせるかもしれない。

 
例えば、
自分が見つけた、自分の思考の法則みたいなもの。
 
何かを見た時、聞いた時、触れた時、
なぜ?と問う傾向がある、
ということかな。
 
物事を成り立たせている原理を知りたいからなんでしょう。
たぶん。

 
だから、
今の仕事に対しても、
なぜ?と問うことが出てくるんだと思います。


例えば、

「なぜ、社交ダンス教室では、
"お客さんへの教え方"というものを明文化していないのか?」。
 
こういう、"なぜ?"

一般の企業なら(そういう所に身を置いたことが無いのでよく分からないけど)、
新人が入社した時に仕事を正確に教えられるように、
決まり事とかを記した文書があるんだと思います。

でも、社交ダンス教室には無い。
ある所もあるかもしれないけど、
ごく少数だと思う。

個々の教室が零細なため、
わざわざ明文化する必要はないという回答もありそうだけど、
 
そうではないと思います。
 
たぶん、
誰かに何かを"教えること"自体が、
個別的な営みであり、
誰にも通用するような
マニュアル作りが向かないからだと思います。
 
経営者の怠慢ゆえに、
そういうものを作っていないのではなくて、
誰にも一律に通用するような
マニュアルを誰も作れないからだと思います。
 
これは、私見。

こういうのを論証していくのはおもしろそうです。
 
いろいろネタを探してみたいです。

 今日はこの辺でzzz

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