#24 小松未歩の氷-記憶の遡及

今日の札幌は、
一日中雨降りの模様。
 
昨日、一昨日と、せっかく晴れたのに。
 
晴れたり雨が降ったり、
そんな自然に対応できるようになれれば良いですね。
 
今回は、太陽があった昨日の記憶から。
 


職場に行く前に、2か所、寄り道をしました。

金券ショップとWINS(場外馬券売り場)。
 
 
貯まった商品券を換金するために、
いつも飛行機のチケットを買う金券ショップへ。

狭い店内に入ると、
ブロンズ像のような色の顔をした
中年の男性が出迎えてくれました。
 
たぶん、店長。


商品券を差し出し、
換金してもらうのを待ちます。
 
ビルの2階に位置し、
南向きの日当たり良好な一室。
 
待つ間、どこを見るということもなく、
店内を一望。
 

決して広くない店内の壁には、
カレンダーが3種類も貼られています。
 
どのカレンダーも6月,7月,8月の3か月分。
 
合計9枚のカレンダーが
店内の壁を占めています。
 

貼りすぎやろ~!

と突っ込みながらも、
見やすいようにかなー、

と、
その意図を肯定的に量ろうとしてみました。

 
ブロンズ像からお金を受け取り、外に出ます。

昼前の太陽が眩しい。
 

そこからすぐ近所のWINSへ向かいます。

先日の安田記念で当たった4,390円。
それを受け取りに。
 
1,000円分の馬券を買ったから、
トータルで3,390円のプラス。

かわいいギャンブルです。

自分にはそれくらいでちょうど良いかな。

 
以前来た時は、
平日の払い戻しが10時~16時ということを知らなくて、
開いていなくてそのまま帰りました。


今は、10時30分。
 

「払戻の方は2階へ」。
 

こう書かれた案内に従い、2階へ。

土日は人とタバコの煙で
ごった返しているこのフロアに、
今は自分と警備員1人。
 

ピン札4枚と100円玉2枚、
そして10円玉が19枚。
 

勢いよく飛び出した濃褐色の金属片が、
ステンレスの受け皿にはじかれて、

ジャジャジャジャー!

と、不快な音が響きます。
 

スロットちゃうねんから、
こんなに出されても嬉しないねん~!


と1人で突っ込みながら、
出てきた大量の小銭をわしづかみにし、
財布をパンパンにしました。

(絶対、財布痛むわ・・・)

 
有線からは、

小松未歩さんの

氷の上に立つように

が聞こえてきました。
 

懐かしい。


 ♪前髪を少し~短く切っただけで~生まれ変われちゃう~♪


そんな歌詞でした。

好きです。


ちょっとの変化で、生まれ変われると考えることは
とても素敵な考え方だと思います。
 

いつもより自転車をゆっくりこいでみる、
いつも通る道の1本隣を通ってみる。
 

そんな少しの変化を、
自分が生まれ変わるサインに読み替える。
 

生まれ変われるかどうかは知らないけど、
こう考えた方が得なことが多そうです。


いつもと違うことをしてみるのは、

不思議だなーと好奇の目を向けることが無くなった
風景を思い出すために必要な作業だと思います。


 そんなことを考えてみます。


払い戻しの機械の場所を
身振りで教えてくれた警備員さんに
心の中で別れを告げながら、
エスカレーターを降りていきました。

 
そこからの道の途中、
「おふくろの味」と大きな字で書かれた看板が
目に入りました。
 
メニューサンプルのレプリカが入ったショーケース。
皿に盛られた、ごはんや豚の生姜焼き。
 
途端に記憶がよみがえります。


以前、教室に通っていたお客さんとの会話です。


体のあちこちを患い、
入退院を繰り返す老年の女性。
 
退院後も通院を続け、
病院との付き合いが長くなっていることを
自虐的に語っていました。


 「病院の食器だとごはんがおいしくなくてねー。」


ある時、彼女はそう話し始めました。


 ―それは、大変ですね。


と返す自分。


 ―病院の料理は味も薄いし、おいしくないですよねー。


そう継ごうとして、
言葉を飲み込みました。
 

この人は、こんなことを言ってほしいんじゃない。

そんな気がしたからです。

確かに、病院の雰囲気が
料理をおいしくなくさせている部分もあるかもしれない。

確かに、病人食だから、
味も薄く淡白な料理が多いのかもしれない。

しかし、この人は、
そういうことを言っているんじゃない。
 

そう直感しました。


プラスチックの食器で食事をし、
プラスチックの湯飲みでお茶を飲む。
 
そのことを嫌がっているんだと
直感しました。
 

その後に続いた話から
そう確信しました。

 
「プラスチックの湯飲みでお茶を飲むようにしてるの。
落として割らないようにって。
でも、それだとおいしくないの。」


焼き物の食器、木作りのお椀で食事を採り、
陶器の湯飲みでお茶を飲む。


そんなことがしたいのだ。
この人は。
 

その方が、料理もおいしく感じるし、
お茶もおいしく飲める、ということを言いたいんです。
 
 
病人だから、落として割って怪我をしないように、
落として割れて掃除の手間を増やさないように。

そんな合理的な判断から、
彼女の周りにはプラスチックの器ばかりが
あふれるようになったらしい。

 
自分自身、プラスチックの容器で食事を採ることや、
ペットボトルから飲み物を直接飲むことに、
全く違和感がなくなっていることに気付きました。


発泡スチロールの容器に入ったカルボナーラを、
プラスチックのフォークでくるくると巻いて食べ、
500mlのペットボトルに入ったお茶を飲む。

そんな光景が日常にあります。
 

いつからなんでしょうか。
 
自分の中でこれが当たり前になったのは。
 
不思議です。

 
彼女の発話によって喚起された、
自分自身の行動への疑問。
再意識化。

 
驚きました。

 
たぶん、これまでの人生で
食器に意識を向けたことがないと思います。

知らず知らずのうちに、
紙やプラスチックの器で食事を採ることに慣れすぎて、
陶器に比べた時の印象の違いに
鈍感になっていたのかもしれないです。

 
自分が小さい頃に親しんでいたはずの
陶器の食器からプラスチックへ転換した時点について、
何も覚えていないということにショックを受けました。

きっと、最初はとても違和感があったはずなのに、
それを忘れて当たり前のものとして
接しているという点。

そこに驚いています。


イチゴは、
パックから出して涼しげな器に移し替えて食べたい。
 
ラーメンは、
発泡スチロールのカップではなく、
陶器のどんぶりから食べたい。
 
ビールは、
缶や紙コップではなく、
透明なグラスに注いでから飲みたい。

 
やっぱり、
そうやって食べたいし飲みたいです。


彼女は、そう言うことによって、
彼女自身が失ってしまった日常の風景を、
まだそれを失っていない自分にそっと教えてくれた。

そうなんだと理解します。


今当たり前だと思っていることも、
いつ当たり前じゃなくなるかもしれない。

日常に埋没した「当たり前じゃない」風景を、
当たり前だと見なして思考の外に置くのではなく、

時々思い出して、
その存在意義、ありがたみをかみしめること。

 
そんな例は、
他にもたくさん見つけられそうですね。

 
最近、

見たり聞いたりした出来事や考え方を、
自分の身に引きつけて考える癖がついてきたように思います。

自分の日常に置き換えたり、
身の回りにあるもので例えてみたり。
 

一見、

自分から遠い世界のことのように見えても、
こう考えてみると、
「ひとまず」自分の中に答えができる。

答えの中身が良いか悪いかは別にして、
「ひとまず」でも、
何かに対して答えを持っているということは、
自信につながる生産的な考えだと思います。
 
 今日はこの辺でzzz
 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://ainoue.net/mt/mt-tb.cgi/24

コメントする

ウェブページ

アーカイブ

アイテム

  • P1040776.JPG
  • P1040630.JPG
  • P1040774.JPG
  • books.jpeg
  • P1040062.JPG
  • P1040639.JPG
  • 51IDakozVnL._SS400_.jpg
  • 517rp-clXkL._SS500_.jpg
  • 51kMcQCOAPL._SS500_.jpg
  • P1040038.JPG

2011年4月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30