#27 斎藤孝の構築-文章表現の試み

札幌は今日も雨。
 
寒くて部屋では
ヒーターをつけてしまいました。
 
冬だから点けるんじゃなくて、
寒いから点けるもんやからなーと、
誰に対してか分からない言い訳をしてしまいます。
 
今日は、

文章を書くこと

について。
 

***************************************


斎藤孝さんの

原稿用紙10枚を書く力』(大和書房)

を読みました。


ここで強調されていた

「構築力」

の訓練をしてみたいと思います。


テーマ1つに、キー概念3つ。

それぞれのキー概念は、
一見、無関係のように見えた方が、
論理展開が始まった後の、
 
「なるほど!そうつながるのか!」という感動が大きい。

そうです。

だから、概念の選び方は慎重に。
 

キー概念を説明しながら、
それら3つがこういう点でつながっているんですよー
ということに収斂させていくことが
文章の中身になるようです。

 
でも、ひとまずは、
構築して書くことを体験してみることを主眼に。

 
例えば、

「職業としての社交ダンス」

をテーマにすると・・・

キー概念は、

①社交ダンスは「踊る」という原初的な本能の発露を、
  現象として目に見える形に見立てたもの。

②ダンス教室は、
  表現を公開するために機能する社会的な窓口。

③人を幸せにする仕事。


思いつくのは、
とりあえずこの3つです。

順番に何か言ってみます。
 
 
①「社交ダンスは、「踊る」という原初的な本能の発露を、
  現象として目に見える形に見立てたもの。」


竹内薫さんは、鈴木光司さんとの共著

知的思考力の本質』(ソフトバンク新書)

の中で、

「現実に存在する具体的なモノを、
現実に存在しない抽象的なコトに見立てる」

という話を展開していました。

 
例えば、「時間」。

「時間」は、目に見えないし、
存在しないもの。

人間が創造したにすぎない、
概念上の存在。
 

ただ、このままだと目に見えないので、
「時計」という具体的なモノにその姿を借りて、
目に見える形に変換したということ。
 

他には、「神話の登場人物」。

彼らは現実に存在しない。

けれども、星々の光り具合やその配列に事寄せて、
神話の主人公を天空に再現する。

そうやって想念上の存在を可視化する。

竹内薫さんは、
この2つを例に挙げていましたが、
他にもたくさん挙げられそうです。


例えば、「十字架」。
対応するコトは、「」。
 
形のある十字架と、
概念上、想像上の(というと、怒り出す信徒さんもいるかもしれない)神。

神を十字架に見立てている。
いや、神そのものというより、
「神とのつながり」
に見立てているんでしょう。

「数珠」とか「お守り」も同じようなもの。


他には、「ビシッとした髪型」。
対応するコトは、「男らしさ」。
 
目に見える「髪型」という姿を借りて、
社会通念上の「男らしさ」を顕示する。
 
こういう髪型を選択し、他人にさらすことで、

「私は男らしく生きています。
男らしさをきちんと演じていますよ。」

というメッセージを発信しているということ。
 
「ビシッとした髪型」を「男らしさ」という概念に
見立てているということ。

 
さらに他には、「社交ダンス」。

「社交ダンス」という現実にある踊りの形態を
、「踊るという本能(それが存在するとして)」の発現形態
に見立てている。
 

これは別に社交ダンスに限った話ではありません。

ダンスと名のつく、もしくは、
ダンスの匂いのする営為全般に当てはまることだと思います。

「踊るという本能」は、
「音に合わせて体を動かす」と言い換えた方が、
人間の生理に、より正確に即しているように思います。

なぜなら、
人間は、幼少の頃から音に合わせて体を揺すって動かすことを、
誰に教わるでもなく自然発生的にし始めるけど、
最初から、

「社交ダンスを踊りたい。」
「ヒップホップを踊りたい。」と、

限定する人は存在しないから。
(いたらいたで、おもしろいですが。)
 
 
「社交ダンス」とは、

「音に合わせて体を動かす」行為から分化した、
小さな1つの枝に過ぎないと思っています。

資本主義の運動原理が生み出したもの。

コマーシャルに刺激された社会成員の欲望(踊るという本能)がダンスを生み、
ワンパターンのダンスではすぐに飽きられて、
消費が停滞してしまうために、
様々なジャンルを創造し

(根源はどれもみな同じ
「音に合わせて体を動かす」事に尽きる
:バレエ・ジャズ・ヒップホップ・フラ・社交ダンス・フラメンコ・サルサ・ヨガ・ベリー・ピラティス・・・)、

「似てるけどちょっと違うもの」を提供し、
欲望を萎えさせない努力が歴史を通して成されてきた。

だから、

「音に合わせて体を動かす」という、
根っこの部分では、
いろんなダンスがつながっているということに
自覚的でありたいと思っています。

そう考えると、
ただ、「体を動かす」ことに関する営為全般もつながってきます。

古武術だってそうだし、陸上競技だってそう。

人間の体をいかに効率よく、
無理なく無駄なく動かすか。
そんなことが各分野に蓄積されているはずです。


社交ダンスは、

今の"ボールルームダンス"という形態に定式化されてから、
まだ100年も経っていないものです。

とても歴史が新しいもの。

 
最初はフランス革命後のオーストリアで、
現在のワルツの前身となる踊りが
宮廷内で踊られたのが始まりだと言われています。

男女が対になって踊るという形態が
とても新規的だったそうです。


それで、なんやかんやあって、
イギリスにその本拠地が移り、
ISTDという団体が発足して、
体系化に向かっていったそうです。

競技化されたのが、
1959年の世界大会(ロンドン:ブラックプール)だというから、
ダンスの中では、とてもとても若い分野。

 
そんなダンスの"新興勢力"である社交ダンスは、
人類が誕生してから営々と編み上げてきた

「音に合わせて体を動かす」行為

の歴史の中で生まれた、
1つの小さな小さな枝に過ぎない。

そう考えるのが、自然な気がします。


ぼくは、大学入学当時にこのダンスに出合った時には、
その衝撃から、あたかもそれが起源的に、
元々存在していたもののように考えていたところがありました。

太古の昔から普遍的に存在していた社交ダンスという表現方法に、
やっと出合ったというような感覚があった気がします。

そう考えていたところがあります。
無前提に。
 

しかし、決して普遍的なものではなく、
つい最近出来たもの。
 

宗教に例えて言い換えると、

"ダンス"という営みは、
ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの何千年も歴史のあるもので、

"社交ダンス"という営みは、
これらの大宗教から派生した新興宗教のようなもの


と言えるでしょうか・・・
う~ん、あんまり良い例えじゃないですね。


社交ダンスに見られる他のダンスと一線を画する特徴を、
あえて挙げてみると、
それは、

「2人でする踊り」

という点だと思います。


原初的な本能を発現したいと願う人間が2人、
手を取り体を密着させながら、
共に1つの作品を作り上げていく。

このような独特なダンスは、
他にはあんまりないと思います。
 

②「ダンス教室は、表現を公開するために機能する社会的な窓口。」


これは、

ダンス教室の社会的機能

に関するトピック、
とも言えそうです。
 

ダンス教室の本来的業務は、
踊る技術の教授はもちろんですが、
その他に重要な機能があると思います。

それが、
人前で披露する上での窓口であるという点。

踊る場所、競技会やパーティーでの
デモンストレーションなどの発表する
場所、空間を提供すること。


これらの「場」の提供役、
もしくは元締めのような役割。
 

例えば、
ダンス自体は友人から教わっていてある程度自信があり、
教室に通ってレッスン料を払い、
先生に習うということは思考の外にある人がいて、

その人が、

「どこかで発表したい!人前で踊りたい!」

となった時に、
そういった場を作る上で
教室は大きな役割を担うと思います。
 
人前で発表することを目論む以上、
観客を揃えなければいけません。

4人や5人の身内だけの前で、
披露すれば満足だという人もいるかもしれません。

しかし、それはごくごく少数派か、
そもそも人前に出て何かをやりたいとは思わない人でしょう。

集客、場所の手配、内容、進行、各種打ち合わせなどなど、
一人で出来ることには限界があります。

そこで、パーティー開催の代行業務や、
その他諸々の手続きなどをしてもらう代わりに、
自分は自分の発表だけに集中できるということ。
 

社交ダンスの教室には、
そのような機能がありそうです。


また、

例えば自分が引退してダンス界を去った後、
20年後に再びアマチュア部門で競技会に出たいと思った時
(一度プロで出た者が引退後に
アマチュアで競技会に出ることが可能かどうかはよく知りません)、

通らなければいけないのは、やはり教室。

所属教室というものがあって、
そこから、大会へのエントリーが果たされ、
同士ひしめく競技会のフロアに立てる。
 
そういう流れです。


③「人を幸せにする仕事。」


ダンスの技術が向上することはもちろん、
お気に入りの教師と手を取り、
体を密着させて踊るという行為。

この上なく贅沢で、
緊張感の中にも至福を見出すことがある。
 

他にも、接客態度。

客層は、ふだん、家ではお茶をいれてあげる側であったり、
生活の細々を担っている主婦層が多いため、

お茶をいれて勧めてあげる、
スリッパをそっと出してあげる、
髪形の変化を指摘しほめてあげる、
服装のデザインやコーディネートをほめてあげる、など等。

「こんなことで喜んでもらえるのか!」

と良い勉強になります。

 
また、自分の将来や
この道に進んだ決断の背景などについて
興味を抱くお客さんもあり、
様々な点で、人に興味を持たれ、
人を喜ばせられるような仕事に就いているのだとつくづく思います。


お客さんは、
いろいろな要素を総合的に判断して、
その教室に通うかどうかを決断します。


先生の外見・性格・話し方・話題・競技会での成績、
教室の照明、におい、居合わせた他の客、他の教師の対応、
教室の広さ、明るさ、かかる曲、場所、
サービス(お茶やスリッパ出しなど)、接客態度、あいさつのトーン、
お金を払う時におつりをすぐに出す、お札の返し方・・・
 

そんな中で、
偶然にも助けられ、自分、自分の教室を選択し、
通ってくれるようになったお客さんは、
本当に有難い存在だと思っています。
 

 以上、3点。


それぞれについて、
ただ独立して書いただけで、
3点のつながりについてまで書いていません。

というか、やり方がよく分かりませんでした。


 「構築」の訓練にするためには、

 ⅰ.テーマを決める。
 ⅱ.適度なばらつきの3点を挙げる。
 ⅲ.その3点をつなぐストーリーを考える。

を何回も何回も経験することなんでしょう。


もっと練った文章表現にしたいと思います。

またがんばります。

 今日はこの辺でzzz

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://ainoue.net/mt/mt-tb.cgi/27

コメントする

ウェブページ

アーカイブ

アイテム

  • P1040776.JPG
  • P1040630.JPG
  • P1040774.JPG
  • books.jpeg
  • P1040062.JPG
  • P1040639.JPG
  • 51IDakozVnL._SS400_.jpg
  • 517rp-clXkL._SS500_.jpg
  • 51kMcQCOAPL._SS500_.jpg
  • P1040038.JPG

2011年4月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30