#29 アーレントの人間-職業の実相

ハンナ・アーレント

という人がいます。
 
彼女は、
人間の諸活動を、

 ①労働
 ②仕事
 ③活動
 
の3つに定義しています。

 
 『人間の条件』(志水速雄訳 中央公論社)

という古典の中に、
その説明が書かれているらしいですが、

ここでは、
橋本努さんの言葉を頼りに進めていきたいと思います
(『思想地図vol.2』NHKブックス別巻)。


それぞれを言い換えると、

①労働

食べるために働き、
働くために食べるという循環の中に身を置くということ
 

②仕事

制作過程を統御できる、支配できる、
神のような存在になれること


③活動

目的を追わず、作品を残さず、
ただ実践と演技の中に自分の生の喜びを見出すこと

 
こんな感じのようです。

こんな概念を引っ張り出して、
自分は何をしたいのかと言うと・・・。

 
「今、自分は何をしているのか」
「今、自分はどんな形をした大きな枠の中で、
どの部分に属して、どういうことをやっているのか」


といったことを、
理解したいと思ったからです。


「したいからしている」
「そうなっているからそうしている」

という説明で、

自分を納得させるには早すぎると思い。

というより、
納得するほどまだ頭を使っていないので。
 

そのために、ハンナ・アーレントという人が考案した、

人間の諸活動という概念を借りて、

そこに自分の日常を
照らし合わせてみたいと思います。
 

************************************

 
社会では、

肩書きのある何かの職業に
つかなければならないことになっています。
 

今、ぼくは、

「社交ダンス教師」

という職業に就いています。
 
 
それぞれについて見てみます。


労働


お客さんを教室に迎えてレッスンをし、
自分が出る競技会やパーティーのチケットを買ってもらい、
そうやって収入を得る。
 
そして、そのお金で食事をして、
またレッスンをしたり競技会に向けた練習をする活力を得る。
そして、またレッスンをして・・・
 
完璧な循環の中にいます。
 
食べるために働き、働くために食べる。
 
食べることも働くことも
どっちもがどっちもの目的になる。
 
これは、なかなかきつい。
 
 なぜ食べるんだ?働くためだ。
 なぜ働くんだ?食べるためだ。

う~ん・・・すごくシンプルだ。 
でも、寂しすぎる。

でも、これが現実化しています。
 

人としての喜びを享受する手段(お金・時間)が無く、
この図式にがちがちに縛られた生活。

ワーキングプアと呼ばれる人が
1,300万人(日本人の10人に1人)を越えた現在では、
この図式に従う人が自分も含めて"普通"にいるということ。


橋本努さんは、
 
 「人間の基本的なニーズを獲得するために、
 単調で奴隷のような振る舞いを強いられる」

という非人間性を、
"労働"の否定的側面として表現しています。


でも、自分の場合は、
まだこうやって何かを考える気持ちの余裕がある方なんでしょう。
 

 甘いこと言ってられない。

という声も聞こえてきそうです。
 
でも、たったこれだけの原理では生きていけません。
生存するのにも理由がいります。

何かを築くため。
何かを為すため。
何かを遺すため。
 
やっぱりそんな物語が欲しいと思います。

仕事


お客さんのレッスンプランを中長期的に考える。

このパーティーを目標に、
この種目でこの曲でこの編曲でこの振り付けで
このレッスン計画でこの順番で、
このステップはこのタイミングを強調して・・・

そんな計画を緻密に考える。
演出の仕方を考える。

そして、ほとんどの場合、
それら全てが自分に一任される。
自分の好きなように出来る。
自分の好きなように作品作りが出来る。


これこれ。
 
これが、おもしろいんだと思います。

 
ただ、パーティーなどの何人かの主催者との共作の"仕事"の場合、
自分の好きなようにだけしていれば良いというものでもなくなってくる。

それに、競技会なんかも、
パートナーだけでなく、お客さん、コーチャー、
直接指導は受けないが見守ってくれる他の先生達、
衣装屋さん、大会運営に関わる全ての人との共作だと考えると、

自分のしたいこと以外の
「しなければならないこと」への意識も必要になってくる。
 

橋本努さんは、

「ある集合的な目的を達成するために、
組織の一員として、身を粉にして事務的に振舞う」

という非人間性を、
"仕事"の否定的な側面として表現しています。

   

活動


ただ、心耳を澄まして、
気持ちの赴くままに音楽に対応し、動く。
 
思考を止め、ただひたすら、
好きに何かを仕掛けるし、
動きたい方向に動く。
 
前例や常識にとらわれないから、
いつでも新しいことを発信できる。


これは、お客さんをレッスンして収入を得ることとも、
パーティーや競技会での発表を目指して
自分の立てたプランで全ての過程をプロデュースすることとも違う。
 
収入を得るという目的からも自由だし、
緻密な計算で企画から発表までをプロデュースする
という統括者の立場からも自由。 


だから、人の評価ではなく、
自分がそうしたいと思っているかいないか。
 
それだけが、行動原理になる。
そこに理由はいらない。
 
ただ、そうやって外に発した情報は、
多くの場合が意味不明だという評価を受けます。
 

"活動"を続けたいなら、

そういった予見できない酷評も受け入れないといけないし、
常に前例や常識との戦いになることを
覚悟しておかなければならないということでしょう。

こうやって、

3つの活動に即して自分の職業を見つめ直してみましたが、
社交ダンス教師という職業(社会的立場)は、
それら3つ全てを含んでいる職業のように見えました。


自分の職業は、
3つのうちのどの性格が強いか、
どれに位置付けられるかを自覚する。  


そううことは、
刺激的なことだと思います。
 

ある人にとっては、
職業は"労働"でしかないかもしれない。
 
そして、職業の外の領域に、

"仕事"(ex. NPOなどでの共同プロジェクトへの参加)や
"活動"(ex. 趣味の習い事などへの参加)

を確保するかもしれない。
 

自分にとっては、今のところ、

社交ダンス教師という職業は、

②の"仕事"の領域がわりと大きいかなと思います。

いや、それ以上にやっぱり①が大きいかな。

③の部分もあるけど、
そんなに大きくはない感じ。
 

単純労働者でもあり、
プロジェクトリーダーでもあり、
芸術家でもある。
 

そんな言い方も出来ますね。

大げさかな・・・

 
ハンナ・アーレントという人の規定に乗っかって、
自分の今の立ち位置を見つめ直してみました。

でも、あくまで、
この分類は彼女の考案したもの。

もしかしたら、
こうやって自分や周りの人の立ち位置を観察することで、
3つ以外の活動領域も見えてくるのかもしれません。

その時は、自分が新たな規定の考案者として
名乗りをあげれば良いんでしょう。

 今日はこの辺でzzz
 

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