#44 "踊り心"という神話-社交ダンス教師という仕事1

「物語を作る男」シリーズは、
前回で終了。
 
今回からは、
今、自分が社交ダンスの教師という立場にいることに関連して、

「社交ダンス教師という仕事」

というシリーズで書いていく予定です。
 
ここでいう、"社交ダンスの教師"というのは、
競技ダンスの選手でもあり、
生徒さんにレッスンをするインストラクターでもある人のこと。

スポーツ選手と習い事の先生という、
2つの顔を持つ人のこと。 

こういう立場から、
社交ダンスという世界に流通する特殊な用語とか、
特有の表現、価値観を素材に
何かを考えていきたいと思います。

では、さっそく。

 「踊り心」。
 
こんな言葉があります。

おどりごころ。
 
「あの人は、とても踊り心がある。」
という使われ方をします。

分かったようで分からない表現だけど、
音の響きは悪くないし、
「踊り心がある」と言われて嫌な気はしません。

 「魚心あれば水心」。

そう言えば、こんな表現もあった気がします。

魚に心があれば、水にも心が宿る。

そんな意味だったような。
 
相手が自分に好意を持ってくれれば、
自分もそれに応える用意があるということ。

では、踊り心があれば・・・?
 
パートナー心とか。
自分に踊り心なるものがあれば、
相手も応えてくれる。
 
なるほど・・・その通りかも。

他には、お客さん心。
 
踊り心があれば、
お客さんにも伝わって拍手で応えてくれる。
応援してくれる。
 
う~ん、その通り。

こうやって見ると、
"踊り心"というものは、
外に伝わって初めて、何かの作用を引き起こすもののようです。
 
外に伝わって初めて、その存在を確認できるというか。

"踊り心"なんていう実体の無いものを持ち出すことが、
一体何の役に立つかというと、

踊り手が発する雰囲気というかオーラといった、
簡単には形容しにくいものを、
一言で言えてしまえるということ。

そう思います。

その言葉を聞けば、聞いた人も
「あぁ、あの良く分からないブワーッとしたような感じのやつね。」
と言って、
話し手の指し示すものを、大づかみで理解できる。
 
そんな効用があると思います。

"エネルギー"とか、"気"といった概念も
同じようなものなんでしょう。

物理量に換算して計量できないけど、
それがあると見なすことで、
いろいろなものを説明できるようになる。
それについて人と会話できるようになる。 
 
「気の流れが良くないせいか、最近身体の調子が悪くて・・・」とか、

「今日の会議はエネルギーに満ちあふれていて、
今までに無い活発な議論になった・・・」とか。

こんな言い回しは日常的に良く使いますよね。 

社交ダンスの世界に身を置いている人は、
程度の差はあれ、
みんなこの"踊り心"を追求し、豊にしようとしているはず。


 「踊りはその人の人間性を表す。」
 「技術を見せたいわけではない。魅力を見せたい。」
 「うまいダンスではなくて、すごいダンスをしたい。」

  
こういったことが、この世界で追いかけられている物語。
みんなが行動の前提にしている神話。
 
"踊りたい"ということはどういうことかということを、
もっと具体的に考えてみると、

"何者かとして見てもらいたい"ということなのかもしれないです。
 
踊っている時に、いつもと違う自分になれる。
いつもと違う自分として周囲に認めてもらえる。

いつもの自分から少しでも遠くに離れようとして、
華美な衣装や濃厚なメイクが奨励されるとも言えそうです。
 
本能的な、動物的な動きの踊りをする人が、
実はとてつもなく神経質だったり。
 
繊細な動きの踊りをする人が、
実生活ではおおざっぱだったり。

いつもの自分と違う自分像を演出しても
違和感が無い世界。
 
むしろ、その方が求められる世界。

それが、社交ダンスの世界なんじゃないでしょうか。

"踊り心"が、
その人が生来持っているものである必要はないと思います。
 
何を伝えたいか、
何を感じ取って欲しいか、
どんな自分を演出したいか、

そんな意思が"踊り心"として、外に発信される。
 
それで良いと思います。

ダンスという営みに乗せて"踊り心"を発信する。
 
そしてそれを受け取った人が、
感動にふるえたり、成長を見て取ったり、
改善策を思いついたり、物足りなさを感じたり、
同情したり、嫌悪したりといった何らかの評価を下す。

そう考えると、"ダンス"は表現のための手段ですね。

情報を外に発信するという意味では、
文章を書く仕事をしている人も、料理を作る人も、
教義や評論の形で新しい考え方を提示する人も、
お米や野菜を作る人も、
ダンスを通じて"踊り心"を外に発信する人と基本的には同じです。
 
その手段が、
文章であったり、料理であったり、
ダンスであったりするだけで、
その手段に乗せて
"書き心"、"料理心"、"踊り心"を発信しているだけ。

何かの情報を発信する仕事は、
どれもそういう構造だと思います。

 「内面にある何かを表現する」
 「情報を外に発信する」

そういう大きな目標の中に、
ダンスという手段がある、
という位置付け。
 
それを自覚していたいです。

そして、それを自覚しながらも、
ダンスという手段そのものが目的になれば、
その人の人生はとても幸せなものになるんだと思います。
 

今回からは、自分の仕事がテーマです。
 
何を求めてこの仕事をしているのか、
何が楽しくてこの仕事をしているのか、
他の仕事と違って何がこの仕事の魅力なのか、

そういうことについて整理していきたいと思っています。

自分が今取り組んでいる仕事が、
どういうものなのかを知ることが出来ればと願いつつ。

今回はこの辺でzzz

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