#55 心地よい距離-人生・時々・ダンス1

今回から新シリーズ。
 
と言っても、
内容はほぼ同じかな。

 
ただ、前々回までの
「社交ダンス教師という仕事」シリーズは、
10回書いてしまったし、
この先20回、30回となると、
変化がなくてつまらなくなりそうなので。
 
サブタイトルだけでも
リニューアルです。


*************************************


ぼくの好きな漫画の1つに、

       『天牌

(嶺岸信明・来賀友志:日本文芸社)があります。
 
沖本瞬という主人公を中心に、
麻雀の世界に身を置く
種々の登場人物による群像劇。


      人生と麻雀。
 

この2つに対して、
登場人物がそれぞれに
何らかの立場を持って生きていくという話。
  
 
この話の中で、
とても印象深い言葉があります。

 
主人公の沖本とその友人の影村の、
麻雀に対する態度について描いた場面。
 

             「影村が人生の中で麻雀に没頭していると表現するならば、
             沖本は麻雀の中で人生を送っているとでも言いましょうか・・・」(19巻)


こんな表現でした。

対照的な2人の青年が、
今、この瞬間に専心している麻雀を、
人生の中でどのようにとらえているのか。
どのように位置付けているのか。
 
それを、2人を良く知る人物の口を借りて、
描写したもの。

 
ずっと心に引っかかっていました。


それは、

自分が今、従事している、
社交ダンスについての態度を
問われているように感じたから。

社交ダンス教師という仕事を、
自分の人生とどういう距離感にしておきたいのか
についての態度をはっきりさせるように
要求されているように感じたから。


だと思っています。
 
だから、

いつものように、

すーっと頭から離れてくれないで、
ずーっと残っていたんだと思う。


自分を顧みてみます。

自分は今、
社交ダンスの世界にいます。
 

         自分は、人生の中で社交ダンスの世界に没頭しているのか
         
それとも、

         社交ダンスの世界で人生を送ろうとしているのか


前者は、

         「いろんなことのある人生のうちの、
         1つのチャンネルとして"社交ダンス"をとらえたい。

         社交ダンス漬けの人生ではなくて、
         いろんな世界とつながっていて、いろんな世界の友達がいて、
         いろんな世界の出来事に参加する。

         そのうちの1つの世界が社交ダンス。
        
         "身体を動かす""健康""人間の身体"といった、
         大きな世界のうちの1つの小さな世界としての"社交ダンス"、
         という認識で接していたい。」
 

つまりは、
そういう距離のとり方をしたいのかどうか。
 
 
後者は、
 
         「人生の酸いも甘いも、
         結婚や家庭の構築なんかの将来設計も、
         全て社交ダンスの世界から派生したものにしていたい。

         社交ダンスの世界に流通する常識やしきたりから、
         人生のイベントへのアイデアを発想したい。
    
         そんな思考の型を持って、
         生きている間に出合う物事に対応するようにしたい。
         社交ダンスは人生そのもの。」
 

そんな生き方。
 
こう言い換えられると思います。


決心をして、仕事として選んだわりには、
ぼくは、こういうことについてよく考えていなかったように思います。

でも、事前に考えるよりも、
今、この瞬間、実際にこの世界に身を置きながら、
働きながらこうやって考えることが大切だと思います。

 
こうした"問いの型"を具体的に使おうとするならば、
"社交ダンス"の部分に"自分の仕事"や、
"自分の趣味"なんかを当てはめていけば良いんでしょう。
 

例えば、

農業に専従している人なら、
 
 
自分は、人生の中で農業に没頭しているのか。
それとも、農業の世界で人生を送ろうとしているのか。


例えば、

料理を作る人なら。
事務仕事をしている人なら。
環境系のNPOを主宰している人なら。
介護の仕事に従事している人なら。
ショップで仕入れや販売を手がけている人なら。
大手ゼネコンに勤めている人なら。
整体師の人なら。
大学生なら。
自分のお店を開いて経営している人なら。
市役所に勤めている人なら・・・


仕事に限らず、
その人が今、
時間も労力も一番費やしている活動について、
こうやって問い直してみる
(いや、でも、問う対象は必然的に仕事になってしまうかな・・・)。


この活動と自分の人生の距離はどんな感じか。
どんな距離感でいたいのか。

 
こんなことを自問してみます。
  
 
そうすると、

そこで採用される距離感をもとに、
自分だけの哲学ができる。


そう思います。


         自分はこの活動を通して、何をしたいのか。
         何を世の中に問いたいのか。
         何を分かってほしいのか。
 

こうやって、

自分の活動を描写する表現が、
たくさん出来上がってきます。  


大きな大きな視点から、

        「自分はこの活動に対して、こういう立ち位置で、
        こういう態度をとりたいなーと思っています。」

といった、
ちょっとユルめの決意表明をする。
 
そして、

実際の行動レベルにたどり着くまでに、
いくつかの段階的な思考を経由して、
具体的な行動指針を見つけ出していく。

 
自分の取り組む活動に対しては、
こういう思考をするとおもしろいと思っています。


例えば、自分に即して。
 
社交ダンス教師という仕事との
距離感について考えてみます。


ぼくは、前者の態度が良いと思っています。


              社交ダンスは、人生のチャンネルのうちの1つ。
 
 
なぜ、この距離感が良いと思うのかはよく分かりません。

たぶん、

のめり込みすぎると嫌いになるし、
その嫌になった気持ちがよく分からない圧力になって、
自分で自分を縛り付けてしまうということを
経験的に知っているからだと思います。

そんな理解で良い。

そう思います。

(でも、こんなこと言うと、
「甘い!仕事をなめてる!」と言って怒り出す人もいるかもしれないな~)


ただ、

自分につながる"社交ダンス教師という仕事"は、
大きすぎても嫌だし、
小さすぎても嫌だ。

チャンネルとしてはつながっていたい。
 
 
まずは、こんな立ち位置。
こんな距離感です。


だから、「人生 時々 社交ダンス」。
 

「人生 日中 社交ダンス」

も嫌だし、

「人生 日中 Not社交ダンス」

も嫌。
   
 
ここから、
次なる発想を始めていけば良いと思っています。
 

今、自分がこの仕事を通して感じる喜びや悲しみ、
希望や閉塞感といった諸々の所感は、
きっと他の世界で生きる人が
各々の世界で感じとる所感ともつながっている。

そう信じています。


この文章表現の試みを、
「いのうえ」という人間が語りだした、
連続する1つの物語として読んでもらえれば、
嬉しいです。

 今回はこの辺でzzz

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