#66 人はなぜ踊るのか?-社交ダンスと交換2

「交換」というトピックは、

 

人類学の分野では

とても重要な分野らしいです。

  

 

昨日は、

 

             人はなぜ2人で踊るのか?

 

について、

 

             パートナーといろいろなものを交換したいからだ

 

 

という締めで、

ひとまず、終了していました。

 

 

今日は、その続きというか補足というか。

 

 

内田樹さんの話によると、

 

人間は交換という行為そのものを欲する存在のようです。

 

 

"交換で得たもの"ではなく、

"誰かと何かを交換するという行為"そのものを。 

 

 

このメカニズムを要約すると、

 

 

 

人間は、欲しい物を交換し合ったのではなくて、

欲しいかどうか良く分からない物を交換し合った。

 

自分達の身の回りにはなくて、

使い道も機能もよく分からないものをもらうと、

わくわくどきどきして、それについてもっと知りたくなる。

 

それで、他の物も交換してほしいから、

また次も交換を続ける。

 

それが、交換の起源。


 

自分にとって、

 

「え?何これ?どうやって使うの?何のためのもの?」と、

 

よく分からないけど、自分の心に何か食い込んでくるもの。

 

よく分からないからこそ、

その人ともっと交換してその真意を知りたいという気持ちになる。

 

それが更なる交換を後押しするドライバーになる。

もちろん欲しいとも思うけど、よく分からないもの。

そんなものを自分たちは欲しがっている。


そんな感じです。


 

ありえない!


と言いながら、

 

内心、

「これってありかも。こんなやり方もありかも。」

 

と思って、もっと知ろうとする。

 

もっと知りたいから欲しくなる。

 

そして、

 

それを手に入れた後の自分を想像してみた結果、

"Good"だと思ったものを本当に手に入れようとする。

 

 

人間が欲望する仕方は、

そんな仕組みになっているようですね。

 


 

例えば、服を買う時

 

 

「おっ、この服なんか良いな~この服欲しいな。」

 

と思う背景には、


 

      この服を着て街を歩く自分を見てみたい。

      それを周りにどう見られるかを知りたい。

      その時の自分の心境の変化を知りたい。


 

そんな思考があるのかもしれないです。


そして、

1つの服を獲得して、

上の3つの欲望が満たされたら(そう判断したら)、


 

       そしたら、これと色の違う

       このデザインの服を着て歩く自分はどんなんだろう?

 

       周りにはどんな評価をされるんだろう?

 

       ちょっと違うパターンの服を着た時、

       自分はどう感じるんだろうか?


 

といった、

 

次なる"知りたい"欲求が出てくるのかもしれません。

 

 

そう考えると、

 

「服を買う」行為1つとっても、

 

その欲望の仕方は、

原理的には無限にあることになります。

 

 

服の種類、デザイン、色、生地、他とのコーディネート、流行、

いろいろなカテゴリーがあるから、

本当に無限にある。



他にも、例えば、ダンスを踊る時

 

 

「社交ダンスを踊りたい。」

 

と思う背景には、


 

        誰かと組んで踊っている自分を見てみたい。

        周りにどう評価されるのかを知りたい。

        実際に始めた時の、自分の気持ちの変化を知りたい。


 

そんな思考がありそうですね。


そして、

ある1つの目標(例えば、発表会で踊るとか)を達成した後に、


 

        今度は、あの先生と組んで踊る自分を見たい。

        今度は、この曲であの先生と踊っている自分を見てみたい。

        今度は、この種目で、この衣装を着る自分を見てみたい。


 

とかになってくるんでしょう。


 

教師の個性、曲、種目、振り付け、衣装、その教室のパーティーの開き方、

そんな諸々の変数の数だけ、

欲望の現象パターンも出てくるようです。

 

 

 

何かを交換して手に入れるということは、

 

 

             自分がどういう人間かを知りたい。

 

 

という欲求が、

現実に表れた現象態なのかもしれません。

 

 

外に出る言葉としては、

 

 

            (何かよく分からないけど)この服が欲しい!

 

 

とか、

 

 

            (何かよく分からないけど)踊ってみたい!

 

 

という表面的なものになるかもしれないけど、

 

その発語に至るまでには、

 

それをすることに対応する自分、

変化する自分を見てみたい、知りたいという欲求が

ドライバーとして作用していたのかもしれません。

 

 

そう考えると、

いろんなことがとてもしっくりしてきます。


ひとまず。


 

            それじゃ、社交ダンスの教室に通ってくるお客さんが、

            "何かを交換する"ためにやって来るとは、

            どういうことなんでしょうか?

  


人は、よく分からない、もっと知りたいと思うからこそ

交換を継続する動機が生まれる、

 

 

という事を先に書きました。

 

 

それにならうなら、

 

お客さんが教室に通ってくるということは、

 

何かに関して、

 

         よく分からない、もっと知りたい、

 

 

そう思うから、ということになります。

 

 

             お客さんが交換で得たいと思っている

             "よく分からなさ"を含んだ社交ダンスについての物語とは

             どういうものなんでしょうか?

 

 

不確定なものというか、

未知のものというか。


 

それには2種類あると思います。

 


 

                 ①自分の将来

                 ②教師の将来


 

将来というのは、

いくつになっても未知で不確定で、

それだけに不安を煽るものでもあります。

 

だから、よく分からない。

少なくとも現時点では、よく分からない。

 

 

自分の将来

 

 

自分はどれだけ上手になれるんだろうか?

 

自分はどれだけ魅力的に踊れるようになるんだろうか?

 

自分の踊りは他の人に、

心の底から"素敵"と思ってもらえるようになるんだろうか?


 

そんなことを考えるはずです。

 

不確定な自分の将来についての物語。

これが欲しくてやって来るんでしょう。

 

そして、これがそっくり、

教師が生徒さんに贈ることが出来る

交換物としての物語になるんでしょう。


 

教師の将来

 

 

この先生は、

現役選手のうちに北海道の頂点に立って、

行く行くは日本の頂点に立って、

世界からも注目されるような選手になるんだろうか?

 

 

この先生は、

この先良いパートナーとめぐり合って、

結婚して独立して教室を開くようになるんだろうか?

 

 

この先生は、

社交ダンスを通じて

自分の人生を幸福のうちに送っているんだろうか?

 

 

この先生は、

この先、日本の社交ダンス界を盛り立てる重要な地位について、

社会的な貢献をする人になっていくんだろうか?


 

こんなことも考えるはずです。

そして、これも、お客さんが欲しい物語のはず。


 

こういった、

 

 

           「現時点では将来そうなるのかどうかよく分からないけど、

           なるかもしれなくて、それに向けて歩んでいる」

 

 

姿勢を貫くこと、

そして応援すること。

 

 

そういう先の読めない物語を交換したくて、

生徒さんは教室にやって来る。


 

 

そう考えても良いと思います。

そう考えると、

自分が意義のあることをやっているような気になります。


 

そして、

 

 

この社交ダンスの世界にいるお客さんや教師が、

 

本当は、

 

          「お金とダンス技術」

 

 

を交換し合っているのではなくて、

 

 

実は、

 

          「"自分の将来についての物語"と"教師の将来についての物語"」

 

 

を交換しにやって来るということにも

自覚的になれそうです。


 

そう。

 

 

社交ダンス教師は、

"物語"を売り物にしている仕事なのです。

 

 

社交ダンス教師にとって、

交換に差し出せる特産物は"物語"なのです。

 

 

お客さんは、

自分自身の将来についての

ハラハラドキドキする物語を受け取ったり、

 

教師の将来についての

ビルディングストーリーを受け取ったりする。

 

 

逆に、

 

教師は、

お客さんが「応援する」という形で参加した、

教師自身についての物語"改訂版"を受け取り、

お客さん自身の将来についてのストーリーを受け取る。


 

こうして、

 

この人(生徒、教師)はこんなことを考えていたりいなかったり、

といった、その人を構成する一面を知っていく。

 

そうやって、

関係が拡大的に重層的に広がっていく。



お客さんは、

教師と物語を交換するために、

教室にやって来る。

 

 

そんな感じに落ち着きました。

 

ごちゃごちゃしてきたので、

まとめます。


 

 【まとめ】

 

 

●人間は、交換すること自体を求めている存在だ。 

 

●人間は、"よく分からない"から交換を続けたいと思う存在だ。

  (例えば、服を買う時)


 

この2つを社交ダンス界に即して言い換えると、


 

●お客さんは、教師と交換する行為を求めている存在だ。

 

●お客さんは、教師のこと、ダンスのことを

 "よく分からない"から交換を続けたい(教室に通いたい)と思う存在だ。

 (例えば、自分の将来や教師の将来)

 

 

今回は、

 

内田樹さんの話を素材にして、

そこでの原理を社交ダンス界に対して

 

演繹的に(微分的に、ズームイン的に)、

当てはめてみた、確認してみた、

そしてちょっとしたバリエーションを示した(?)

 

という内容の話でした。

 

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