#68 ビールと"対立する2つの言説"

パーティーは無事終了しました。

 

フォーメーションチームの打ち上げで、

ビールか発泡酒か分からない物を、

何杯か数えられないくらい飲みました。

 

深夜の3時くらいまで飲んで食べて、

朝の8時に起床。

 

お約束の2日酔いで目が覚めました。

 

身体が熱くてだるくて重くて、おまけに眠くて。

 

あと10時間ぐらい、

ベッドの上でじーっとしていたい。

でも仕事行かなきゃ。


いつも誓います。

 

もう飲まないぞって。

身体と頭に絶対に良くないと思うし。


    あ~気持ち悪い・・・

 

ふと思い出します。


               "ビールの飲み過ぎは、脳細胞の破壊を促進して、

                認知症の発症を早める可能性がある"


そんな記事を思い出しました。

 

締め付けるような、微細な振動で

頭の中から揺らされているような

形容しがたい気持ち悪さを味わうにつけて、

脳内の神経が現在進行形で本当に死んでいるような気持ちになります。


でも、もう1つの記事も思い出しました。


               "ビールは、抗酸化作用があり、 

                癒しの効果もあって自分を若々しく保つのに最適"


という記事。

本当かな?

ひとまず、"どっちやねん!"と突っ込みを入れます。

 

 

別に、自分が実験をして確認したわけでもないし、

脳医学とかビールのなんたるかとかについて

何かの一家言を持っているわけでもありません。

 

だから、こういう、

どこかで聞くような断片的な意見を基に、

ビールに対する自分の立場をはっきりさせておかないといけないと思っています。

少しだけ。

 

 

参照できる知識や意見が制約されている中で、

ひとまず何らかの判断をしないといけないということでしょう。

 

"知らないから何も判断できません"では子どもっぽい。

 

逆に、

"自分はビールについては詳しい自信があるから、

誰の意見も聞くまでもなく、的確な判断が下せる"

という態度も、

視野狭窄で嫌です。

 

 

真逆のことを言っているような、

対立するある2つの言説に出合った時、

両者の折り合いをどうつけていけば良いんでしょうか。

 

どの立場を採用するかについて、

どういう基準で臨めば良いんでしょうか。

 

やっぱりどっちかの立場を選ばなければならないんでしょうか。

 

ケースバイケースで使い分けるという選択は

間違っているんでしょうか。 

 

 

"知識がないから自分には判断する資格がありません。

詳しい人に任せるのが一番です"

 

といって、表向きには謙虚を装い、

その実、判断の丸投げをするという極と、


"自分はこの道に深く関わってきたし、

この道で自分以上の年月を過ごした経験がない人には、

絶対に的確な判断が下せるわけがない。

最適解を知っているのは自分だけ。"

 

といって、ほんのわずかな「自分の経験値」を過大評価して、

周りの言葉を参照しようとしない極。


ぼくは、この両極端に立ちたくないと思っています。

 

立つとするなら、

この中間のどこか。


これ以上先に進めない断崖絶壁を背にして、

その突端まで進んで来れない人を、


"判断できない。覚悟が足りない。思考が浅い。"


なんかの言葉を弄して威圧するような人は嫌いです。


そんな人間よりも、

崖と崖の間にある平原を、

あっちへ行きこっちへ行きとふらふらしながら、


偶然の発見をこの上ない幸せだと思えるような

人間になりたいと思っています。 

 

崖に模した極端な立場をはるか向こうに想定して、

"あっちはちょっとやばそうだから、

あんまり近付かないようにしよう"という程度の理解。


もしかしたら帰って来れないかもしれないし。

 

自分が遊べる空間を予め知っておく、

把握しておくということ。

 

そんな作業が必要なんでしょうね。


 

例えば、

さっきのビールについての2つの記事を目にする時、

 

"ビールの飲み過ぎが脳細胞を壊す"ことを、

根元の原理に据えるなら、


「じゃあ、ビールは一切飲まない事にします。」

という態度につながっていくと思います。

そういう具体的な行動に。

 


また、

"ビールは若さの秘訣"みたいなことを根っこの原理に置くのであれば、

「じゃあ、毎日じゃんじゃん飲むことにしましょう。」

という行動につながっていくと思います。


 

両方ともしたくない。

 


だから、その中間で、


自分にとってちょうど良い、

収まりの良い場所を探ることになる。

 

毎日はそれを探すために用意されているとも言えそうです。

 


とにかく、考える上で、思考の範囲の両極を確定しておく。

そこで確定されたフィールドの中に、収まりの良いポイントを見出そうとする。

 

それが、現実的な気がします。

 

こういう話をする時、

情報があまりにも多く自分に流れ込んでくることに対して、

 


    "だから、ビール飲んで良いの、悪いの、どっちなの?!"


と、


どう判断して良いのか分からないことに対して、

「迷うような情報を発信する方が悪い」的な態度になってしまいそうだけど、

それは嫌です。


結局は、程度問題。

 

どっちの根拠に確信がもてなくても、

両極の中間のふわふわした立ち位置にいることに

負い目を感じる必要はないということ。


 

この世界にあるのは、

そんな態度でしか接することが出来ないことだらけだと思うし。

 

今は単純化して2次元で考えているけど、


人生は複雑で、


問題の広がっていく領域が3次元、4次元と展開していくはず。


だからこそ、


どの態度が"極"なのか、


そして、


その"極"と"極"は、お互いにどういう関係にあるのかを

知っておきたいと思います。


自分の思考の範囲を最初に明確にしておくような感覚。


でないと、

広大無辺な思考空間の中で、

自分のロケーションが把握できない。

 

そう思います。

 

ちょっと休んでしまったので、

また再開します。

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