#43 僧衣のおじいちゃん-物語を作る男5

小樽発の最終電車に乗り、
午前0時前に札幌駅に到着。
 
駅は、
終電間際の慌しさに
包まれています。 


     改札機越しに別れを交わす
     飲み会のメンバー。
 
     手を取り合い、
     別れを惜しむ恋人達。
 
     一人旅でしょうか、
     大きなリュックを背負い、
     きょろきょろと辺りを見回す
     20歳前後の男の子。
 
     閉鎖作業の準備に取り掛かる、
     制服姿の駅の職員達。
 
     そんな彼らから
     意識的に距離をとろうとしているような、
     スーツ姿のサラリーマン。
     周囲に抱く感情や疲れを、
     表情を固くすることで
     包み隠そうとしているように見えます。
 

3週間後に迫る
夏のパーティーで踊る
曲や振り付けを考えています。

考えて踊ってみて、
曲に合うか合わないかをチェックして。
 
追加したい振り付けのイメージを
DVDから探して。
 
 
選曲、編曲、振り付けの考案。
 
今回はパソ・ドブレを主体にした作品を1つ。
 
どっちを正面にして、
どこにどう主張するように踊るか。
どう見えるように踊るか。
 
そんなことを考えています。

2分半程度の短い時間に、
自分達のしたいことを盛り込む。
 
紛れもなく、今、自分は、
物語を作っています。

 
自分の内面の、
どこをどう表現したくて踊るのか。
 
見ている人に、
どんな印象を持って欲しくて踊るのか。
 
 
演者、観客、双方の視点を
行ったり着たりしながら、
物語を作っていきます。

出来る作品は、
たった2分半くらい。
 
ぼくにとっては、
それが本番で披露されるに至るまでの
月日、時間がすでに物語の一部です。
 
見る人にとっては、
2分半。
 
でも、自分にとっては、
自分が生まれてから今までの年月。
 
それが、物語の長さ。


そう思っています。


      見る人と作る人。
 

同じ物語を共有しているように見えて、
実は、
両者にとっての物語の長さは違います。
 
本の分厚さは違います。
 
当然、中身の濃さも違います。

 
先日、知人から、
http://www.omoroibouzu.com/">おもしろいお坊さんの話を聞きました。
 
ブログも教えてもらいました。
 

山吹色のような、
茶黄色のような色の僧衣をまとった、
福々しいおじいちゃんの写真が出迎えてくれます。


タイで上座部仏教に出家を果たした、
70歳近いおじいちゃんのお坊さん。
 
50代まで敏腕ビジネスパーソンだったのが、
一念発起して出家。
 
以来、

      「みんなが幸せになるためにはどうすれば良いか?」

を考える、

"ほっこり"な人になったらしいです。

 
おもしろい。

何がおもろいって、
その人生。
 
 
これまで生きてきた年月の中、
何度かの決断があって
今の状態を獲得したんでしょう。
 

そういう生き方、
物語がおもしろい
と思っています。


出家したことというよりも、
このおじいちゃんがmixiをやっているということよりも、
「オモロい坊主を囲む会」なる団体が、
このおじいちゃんを支援しているということよりも、

それら全てを含めた
この人のライフヒストリーがおもしろい
と思っています。
 

関西人だから、
口は悪いんでしょうか。

でも、会えばきっと
好きになってしまうと思います。
 
こう考えている時点で、
もう好きなんだと思います。


いろんな経験を持っている人は、
例外なくおもしろいと思います。

例外なく。


その経験をおもしろおかしく語れるかどうかは関係なく、
醸し出す雰囲気というか、匂いというか、
言外に発せられるものが、
その人のおもしろさを物語るものだと思っています。
 

人間は、

長く生きていると、
いろいろな経験をするものだし、
それに伴って、
いろいろなチャンネルを増やしていくものだと思います。


人であったり、
物であったり、
趣味であったり、
仕事であったり。

一度出来たつながりと、
くっついたり離れたりして、
自分にとって適度な距離感というものに
気付いていくんでしょう。


      「最初は好きで好きでたまらなかった
      山岡屋(札幌限定?)のラーメンも、
      しょっちゅう食べ続けると新鮮味が無くなってくる。
 
      だからといって、
      完全にやめるほど飽きてもいないし、
      嫌いにもなっていない。

      今は、恋しくなった時に立ち寄る程度が、
      ちょうど良い距離感だ。」

とか。
 

      「最初はよそよそしかったけど、
      今は打ち解けて、
      毎日顔を合わせて言葉を交わす間柄が、
      自分たちにとっての最適な距離感だと思える人」

とか。 
 

ぼくは、そのおじいちゃんと面識が無いし、
これからもたぶん話す機会はないと思います(あれば良いけど・・・)。

 
でも、こうやって、

彼の人生に対して、
1つの物語として興味を持ち、
ある所で共感し、
ある所で違和感を覚え、
ある所で尊敬する。
 

そんな交流の仕方をしています。
 

面識が無く、
日常的に顔を合わせて
言葉を交わす間柄ではない人だけど、
こっちが一方的に知っている人
(特にメディアに出てくる芸能人とか、
自分に近しい人以外のほとんどの人)
との交流の手段は、
まずはこんな感じなんでしょう。


     どんな人生を送ってきたんだろう。
     どんなことを考えているんだろう。
     どんなことを目指し、何に価値を置いて、
     どんな行動をしているんだろう。


そんなことを想像します。
 
 
このおじいちゃんの紡ぐ物語は、
このおじいちゃんにしか通読できません。
 
物語を途中からのぞいた自分とは、
見える景色が当然違います。
 
でも、

そういった読み方しか出来ないし、
それで良いと思っています。

自分以外の
誰かの物語を読む
ということに関しては。

 
人と人とが交流するということは、
物語を共有するということだと思います。


でも、

その共有される物語の中身は、
共有する人同士で必ずしも対称的ではないということ。

誰かと何かの物語を共有しているつもりでも、
そこに参加するに至る経緯
(シンプルにはその人の人生)は、
人それぞれ絶対に違うので、
同じように理解したと思い込むことは出来ても、
ズレは確実に生まれるということ。
 

そういうことは
忘れないようにしたいと
思っています。


 今回はこの辺でzzz

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://ainoue.net/mt/mt-tb.cgi/42

コメントする

ウェブページ

アーカイブ

アイテム

  • P1040776.JPG
  • P1040630.JPG
  • P1040774.JPG
  • books.jpeg
  • P1040062.JPG
  • P1040639.JPG
  • 51IDakozVnL._SS400_.jpg
  • 517rp-clXkL._SS500_.jpg
  • 51kMcQCOAPL._SS500_.jpg
  • P1040038.JPG

2011年4月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30