#51 "サービス精神"という行動原理-社交ダンス教師という仕事8


落語に「大岡越前の"三方一両損"」というものがあります。


ご存知でしょうか?


     3両を拾った人が、
     落とし主に届ける所から話は始まる。 
     
     登場人物とかは忘れたので、
     適当にデフォルメしてみると・・・
 
 
     
     "いのうえ"という人が、
     道で財布に入った3万円を拾いました。
 
     財布を見ると、他にも何やらが入っていて、
     どうやら、"さとう"という人が落とし主らしいことが判明。

     連絡先も分かったので、
     "いのうえ"さんは、
     そこに連絡して届けに行くことにしました。

     ところが、

     届けに行くと落とし主のさとうさんは、

     一度手を離れたからその3万円はもう自分のものではない

     と主張しました。

     その3万円は受け取れないと言い、
     いのうえさんのものだと言い張りました。
 

    しかし、

    いのうえさんも、元はさとうさんのものだから、
    受け取れないと主張。
 
   
    どちらも譲らず、3万円は宙に浮いたまま。
    誰のものでも無い状態が続きました。


    そこで、

    2人は、仲介役に共通の友人、大岡さんに相談することに。

 
    話を聞いた大岡さんは、
 
    2人が3万円を奪い合うのではなく、
    譲り合う姿に感動し、

    自分の財布から1万円を出し、
    合計4万円になったお金を2分割し、
    いのうえさんとさとうさんに、
    2万円ずつ受け取るように提案しました。

 
    さとうさんは、

    本来持っていた3万円から1万円損した形。

    いのうえさんは、

    拾って自分の物になるはずだった3万円から1万円損した形。

    大岡さんは、

    2人の間を取り持つことで1万円を損した形。


    こうやって、
    3人が1万円ずつ損した体裁にすることで、
    丸く収まったという話。
 
    丸く収まったことにしたという話。


こんな話でした。

「大岡越前の名裁き」として、
今でも、折にふれて取り上げられているようです。
 
奉行所の大岡越前が、

自分の懐から1万円(1両)を出すという、
「粋なはからい」をしたことが、
この逸話を後世にも語り継がしめている理由なんでしょう。


 (そう言えば、
 かつての小泉首相も「三方一両損」という言葉を被せて、
 「三位一体」の構造改革を進めていた気がします。)
  

************************************


これに対して、

小林和之さんは、

「本当に名裁き?」

と、疑問を投げかけていました。
 
どこに疑問を向けたかというと、
「普遍性」について。

 
つまり、

1回限りの対応としては自分が懐から1万円を出して、

「まあまあ、これでひとつ。」

と事態を収束させるのは問題が無いけど、

それが、2回3回と増えていったらどうするのか。

10回、100回と増えていったらどうするのか。
毎回自分が懐を痛めて解決するのか。
そういうスタイルを自分の問題解決スタイルにするのか。
 
彼は、そんな疑問を提示していました。
 
 
知人の紹介で、

自分が24歳だった時に出合った考え方です。
 
その当時、

自分が持っていた"常識"を
ガラガラと崩してもらった気がして、
とてもとても興奮した気がします。


    余談ですが、
    彼は今どういう活動をしているんでしょうか。
    
    H.P.を見ても、
    だいぶ前から更新されていないみたいだし。
 
    面識は無いけど、
    ちょっと気になります。


普遍性があるかどうか、
どんな状況の変化があっても
変わらずに同じ対応が出来るかどうか。

その点から見て、
大岡の裁きは、
問題があるということ。


お金を届けた人と、
それを逆に拾い主に譲ろうとした人、
事態の収拾のために自分の懐を痛めた人、


この3者のサービス精神が
この逸話を美しく飾り立てています。


しかし、

このサービス精神にも限界がありそう。

それについて、
少し考えてみたいと思います。

 
      普遍性を見越して対応しなければならない場面で、
      臨時的に、場当たり的に、その場ののりで、
      一時の感情で対応していることは無いか。

 
そう振り返ってみます。


自分の仕事や日常の風景を顧みると、
「大岡の裁き」と同型の例をいくつも見つけられそうですね。
 
1回限りの名裁き。
でも、条件が変わると限界も出てくる裁き。


ごみが1つ落ちていたから拾うとか。

合宿で、自分のお皿は自分で洗うことになっていたけど、
前に洗い忘れて残されていた
一人分の食器も自分のと一緒に洗ってあげるとか。
 
施しを求めて寄ってくる小さな子ども1人に、
お金を分けてあげるとか。
 
パーティーのダンスタイムで、
1人のお客さんにだけサービスで多く踊ってあげるとか。
 
1レッスンの単位は25分だけど、
その人だけ多めに時間をとって教えてあげるとか。


1回きりだと、

相手も喜んでくれるし、
自分も良いことをして嬉しい気になります。
 
その時に生まれたサービス精神を
気軽に行動に移すことが出来ます。
 

1回きりであったり、相手にする人数が少ない時、
こんな時、
ぼくはきっとこのような行動をとるはずです。

 
でも。
 

ごみが自分の手に余るぐらい
たくさん落ちていたらどうするか。
 
流しに残されていた食器が1人分ではなくて、
100人分くらいあったらどうするか。
 
寄ってくる孤児が1人ではなくて、
100人ぐらいいたらどうするか。
 
多く踊ってあげたいお客さんがいたとしても、
予定のダンスタイムが短くて、1人に1曲ずつ踊っていると、
その人だけ多く踊ることが出来ないとなった時どうするか。
 
所定のレッスン時間を延長して教えてあげたいけど、
次に別の人のレッスンが埋まっていたらどうするか。

1個の時と同じようにごみを拾うだろうか。
 
1人分の時と同じように、
100人の食器も洗うだろうか。
 
1人にあげるように、
100人の子供たちにお金を配るだろうか。
 
踊ってあげられないお客さんが出してまで、
その人だけ多く踊るだろうか。
 
レッスンを待っている人の時間にずれ込んでまで、
その人に多く教えてあげるだろうか。 
 

そんなことは出来ないと思います。
ぼくには出来ないと思います。
 

出来るとすれば。


ごみが少ない時だけ(誰やねん、しゃーないなーと言って拾う)。

食器が1人分の時だけ(誰やねん、しゃーないなーと言って洗う)。
 
相手にする子どもの人数が小規模な時だけ
(しゃーないなー、他の子には内緒やでと言ってお金をあげる)。
 
開かれるパーティーが小規模で、
誰に対しても何回でも踊れるという状況の時だけ
(これだけたくさん踊ったらみんな疲れて、
"誰が何曲多く踊ってもらったのに、私は何曲しか・・・"
という不平が出ないだろうと思いながら踊る)。
 
次にレッスンが入っていない時だけ
(時間が押していないから、
自分の趣味の範囲で延長して
教えさせてもらっていると思いながら教える)。

 
こういった条件付きで。

 
人数の多寡に関係なく、
条件の違いに関係なく、
常に同じ立場をとれるということが、
「普遍性がある」ということだと思います。
 
いつ、どんな場所でも、どんな条件でも、
同じような行動がとれるということ。
 
これが、「普遍性」というものなんでしょう。


でも。

そんなことが出来る人は
この世の中にいるんでしょうか。

とてもとても疑問です。


体力と気力と経済力の続く限り、
挑戦できないことも無いとは思うけど。
 
でも非現実的ですね。

 
かといって、

逆に、


普遍性を意識して生きるのは不可能だから

「一切やらない、知らんぷり」

というのも嫌ですね。


     「1個のごみなら拾えて100個なら拾えないなんて、
     都合の良い偽善者だ。」

とか、
 
     「1人のかわいそうな子どもにお金をあげる事はできても、
     100人にあげるのは嫌だなんて、一貫性が無い。」

なんかを考えて生きるのは、
確かに一貫性があるかもしれないけど、
行動、態度が硬直的になって嫌です。


      出来る時と出来ない時がある。


それで良いと思います。
ケースバイケースで良いと思います。
 
特に個人として生きるなら。


      「どんな状況でも同じような態度をとりたい」

      と、願う清廉潔白な極


と、

     「そんなのは無理だから、人数とかの条件に関係なく、
     最初から関わらないことにする」

     と、関与の拒否をとる極。


 
人間はこの間を揺れ動いているのではないでしょうか。
 
どっちの極にも行けない。
だから、中間にいる。

そんな感じだと思います。


ある時は、前者寄り。
ある時は後者寄り。
 
だから、
きっと人間は、
その時々によって違う顔をしているはずです。
 

社交ダンス教師というのは、客商売だから、

お客さんに対する普遍性(一貫性)
(建前として、どのお客さんにも平等に接するとか)、

普遍性のある営業
(誰に対しても料金システムをきちんと説明するとか)
というものがとても重視される仕事です。


でも。

硬直的に、
取り決め通りにお客さんに対応する
(どんな状況でもこのお客さんだけはたくさん踊ってあげるとか)
のではなく、

他の人の反感を買わないように、
お客さんに気を使わせないように、
その人だけのために

"こっそりと"サービスしてあげることが大切なんだと思います。


サービス精神にもレベルがあって、
それを実行に移せるレベルと移せないレベル。 
 
少なくともこの2つがありそうです。
 
行動の源になる、
「何かをやってやろう」というサービス精神も、

条件によっては実行に移せないこともあるということ。

そして、

条件を理由に実行に移せなくても、
悪くないということ。

そんなこともあって良いということ。
 

そんなことについて、
書いた気がします。  

 今回はこの辺でzzz
 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://ainoue.net/mt/mt-tb.cgi/50

コメントする

ウェブページ

アーカイブ

アイテム

  • P1040776.JPG
  • P1040630.JPG
  • P1040774.JPG
  • books.jpeg
  • P1040062.JPG
  • P1040639.JPG
  • 51IDakozVnL._SS400_.jpg
  • 517rp-clXkL._SS500_.jpg
  • 51kMcQCOAPL._SS500_.jpg
  • P1040038.JPG

2011年4月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30