#67 社交ダンスと"本当の自分"

 

明日は選手会のフェスティバルです。

450人くらいのお客さんを迎え、

道内の選手全員がホストとしてパーティーを開く。 

  

すごいイベントです。

 

朝早いので、夜9時には帰路につく。

今日は地下鉄。

人の多さにびっくりする。

ホームにひしめく人、人、人。

  

本を読む人、電話する人、酔ってフラフラの人、

連れと楽しそうに談笑する人。

たくさんのいろんな人がいます。

  

本当にたくさん。

 

久しぶりにこんなにたくさんの人の頭を近くに見ました。

  

脳科学者がこの風景を見たら、

人の頭に脳みそを重ねて、

電気信号がピピッと行き来している様子を描くのかもしれません。


周囲全部が脳みそだらけ。

  

それぞれに独立した知性があり、

それぞれに心に何かを抱き、

それぞれの人生を生きている。

  

地下鉄の車両は、

そんなたくさんの人生を乗せて、

ゴーッと進んでいきます。


 

          "本当の自分"とか、"自分らしさ"


とかいった言葉をよく聞きます。

   

          「君らしさがよく出ていた踊りだったよ。」

          「本当の君を開花させなさい。」


とか。

  

  

そんな使われ方をする場合が多いようです。


何回かそんな事を言ってもらった記憶があります。 


  

ぼくは、"本当の"君とか、君"らしさ"とかを言われると、

表面的ではない、何か自分の本質について言及してもらっているようで、

嬉しい気持ちになります。


自分のことをしっかり見てくれた上でコメントしてくれたような、

そんなありがたい気持ちになるのです。

 

 

でも、同時に、

どこかストンと落ちていかない引っかかりのようなものも感じます。

 

長いこと、そういう違和感を抱えてきたような気がします。

でも、だんだんと気付いてきた事もあります。

 

それは、"本当の自分"とか、"自分らしさ"というものが、

実は誰も分かっていないということ。

もちろん本人も含めて。

 

当の本人である自分や周りの人達が、

"本当の自分"とか"自分らしさ"を明確に定義できないということ。


それが、

かけられた言葉をすんなりと臓腑に落とせなかった、

引っかかり、原因の1つなんじゃないか、

ということに気付きました。(仮説だけど。)


人間は、自分自身について、

「本当の自分はこれだ!」と明確に特定できないんじゃないでしょうか?

 

ここには、

"本当の自分"と"それ以外の自分"との2者で構成されるバランスシートによって、自分の人生の満足度を測ろうとする、

ある種の幻想が作用しているんじゃないでしょうか?

 

そんなことを考えるようになりました。

 

"本当の自分"と"それ以外の自分"を

明確に区別して考える。


この2つうち、

今の自分はどっちに近いのかによって、

自分が自分の人生を生きているのかどうか、

自分が今幸せかどうかを測ろうとする。

 

 

人間は、こんな構図で人生を生きているんじゃないでしょうか?

 

そんなことを思います。 

 

         "本当の自分"はこんなんじゃない。

         この作品には"自分らしさ"が出ていない。

 

とか言って。

 

そういう構図に気付いた気がします。

 

だから。


「君らしさが出ていた踊りだったよ。私は良いと思ったよ。」

 

と言われた時、

 

昔は、

「嬉しい!・・・(でも、なんかしっくりこない感じも少しするな~。)」

というふうに思っていたのが、

 

今じゃ、

「褒めてもらえたのは嬉しいんだけど、この人は、

どの部分を指して"君らしい"と言ってくれたんだろうか?

自分のどこを褒めてもらったのかがよく分からないな~。」

 

と思うようになりました。

なってしまいました。

(う~ん・・・めんどくさい男だ。)

 

ひとまず、

"その人らしさ"の中身を具体的に明示しない、

"あなたらしい"という言葉に接する時には、

とても用心するようにしています。

 

逆に、

人に対してこの言葉をかけてあげたい時には、

"その人らしさ"の具体例を示すように努めたいと思います。

 

"本当の自分"は、

目指したい自分像、理想の自分像と重なっているんだと思います。

 

たぶん。


だから、

 

本来、理想的であるはずの"本当の自分"と、

現実の自分にズレがあると、落胆するし絶望するし、

そこから"本当の自分"に近付こうと意欲に燃えることも出てくるんだとおもいます。

 

そうやって、

 

"本当の自分"からの離れ具合によって、

今の自分を査定するという方法を、

多くの人が採用しているように見えます。

 

社交ダンスの世界では、

 

自分の中に待機している(潜んでいる)

"本当の自分"の全面開放を目指されるべき理想状態に設定して、

 

そこにいかに近付くか、

いかに近付いたふりをするか、

いかに事もなげにクールに近付いたふりをするか、

 

そんな戦略が採用されているように思います。


社交ダンス教師の世界は体育会系の世界。

 

踊れ!と言われたらそれ以外の選択肢がない世界だし、

やれ!と言われたらやるしかない世界。

 

意味とか理由は後からついてくる世界。

 

だから、今、自分が考えているような、

めんどくさいことは考えなくてもやっていけると思います。

 

「人はなぜ踊るのか?」とか、

「自分は何を売り物にしている商売をしているのか?」といった、

メタ視点の思考をすることは、

"ちょっとおかしいやつ"の専売特許なんでしょうね。

 

それでも仕方ないですzzz

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