神、イエス、聖霊。
キリスト教の信徒さんの世界には、
この3者が絶対的な存在として君臨しているようです。
キリスト教にもいろいろな宗派があるみたいですが、
その中でも、この3者が一体のものであるという考え方。
これにヒントを得て、
社交ダンス界にも援用してみたいと思います。
社交ダンス界における、
この3者に当たるものは何か。
それは、「夢、収入、家庭」。
言い換えるなら、競技会での成績、営業成績、家庭の安定。
以前にも書きましたが、今回はその続き。
これら3つは、互いに密接に関連しあっている。
①夢
②収入
③家庭
これら3つは、
社交ダンス界で生きる人にとっての公理(証明不要の大前提)みたいなもの。
社交ダンスのプロとして生きている人にとっての、
神であり、イエスであり、聖霊。
それらが、"一体"というよりも、
"密接に関わり合って1つの構造を作り出している"ということを言いたいがために、
"三位一体説"というのを拝借してみました(〇〇説という表現はかっこいいし・・・)。
3つの関係。
3つの概念が作り出す構造というか、物語というか、シナリオ。
それらを整理してみる。
次の6種類ありそうだ。
ちょっと長いけど書き出してみる。
ⅰ-A.①夢→②収入→③家庭
競技ダンスの世界で日本の頂点に立つという夢(①)があって、仕事を続けていくうちに、そんな夢に賛同してくれるスポンサーを得て収入がアップ(②)して、パートナーと恋仲になって結婚して家庭を築いて(③)。
ⅰ-B.①夢→③家庭→②収入
競技ダンスの世界で日本の頂点に立つという夢(①)があって、パートナーシップを組んだ相手と恋仲になって(②)、2人で長期的なプランを立てて競技会に出続け、名前を売って実績を積み、応援してくれるスポンサーを得て収入をアップさせる(③)。
ⅱ-A.②収入→③家庭→①夢
別口に収入源があって(前職で多くの財を成したとか代々資産家だったとか)、社交ダンス教師としてもそこそこの収入があって(②)、将来の展望を共有できるパートナーとめぐり合って(③)、一緒に競技の世界での成功を目指す(①)。
ⅱ-B.②収入→①夢→③家庭
別口に収入源があって(前職で多くの財を成したとか代々資産家だったとか)、社交ダンス教師としてもそこそこの収入があって(②)、いつか長期的なパートナーシップを組める相手を待ち望みながら、競技ダンスの世界で頂点に立つ事を目指して当面のパートナーと練習に励み(①)、ある時、この先ずっとパートナーシップを組んでいくであろう相手とめぐり合う(③)。
ⅲ-A.③家庭→①夢→②収入
一緒にこの世界でやっていこうと誓い合ったパートナーが最初にいて(③)、競技の世界で一緒に頂点に立つために長期的なプランを立てて(いつのビッグコンペに照準を合わせて、いつからいつまで留学して、いつ誰にレッスンを受けて、日々の練習メニューや自己管理の計画を立てて・・・)(①)、「〇〇組」という2人で1ブランドを応援してくれるスポンサーを得て収入を増やしていく(②)。
ⅲ-B.③家庭→②収入→①夢
一緒にこの世界でやっていこうと誓い合ったパートナーが最初にいて(③)、下のクラスの選手として下積みをしていく中で、応援してくれるスポンサーを得て徐々に収入も増やし(②)、この世界で頂点に立つ事をパートナーと一緒に、現実的な長期的なプランの下に追い求めていく(①)。
こんなシナリオ達が思い付く。
現実はこんなにくっきりと分かれていないけど、大まかに分類するとこんな感じ。
社交ダンスの世界に生きている教師(兼選手)は、このどれかの物語を生きている。
ⅰとⅲが、ほとんど。
ほとんどの社交ダンス教師(特に現役の選手)に生きられている物語。
ⅱのシナリオはレア。だけど確かにいる。
このどれもが、これまでの社交ダンス界において支配的だった成功の物語。
長くこの世界でやっていく上で、定番となっているストーリー。
自覚せずとも、社交ダンスの世界で生きていくということは、これらのうちのどれかのシナリオを選ぶということ。
定型となったシナリオを生きることが、あらかじめ決められているということ。
定型をなぞることが構造化されているということ。
そうなるようにできている、そういうふうになっているということ。
だから。
その定型をなぞれない場合というのは、この社交ダンスの世界を生きる上での原理的な基盤を形成できないということ。根の無い漂泊者になるということ。
身近にいる先人を見て、「自分もこうなりたい!」という憧憬を胸に、その足跡をたどろうとするけど、沸々とわきあがる"どこか満たされなさ"の源は、きっとここにあると思う。
例えば、ⅰ-Aで、「夢(①)があっても収入(②)がない場合」や、「夢(①)があっても家庭(③)がない場合」。
"競技ダンスで日本一になるぞ!"と意気込んでも、収入が無ければ、レッスンも受けられないし衣装も作れない。競技会に出るエントリー費も払えない。
"競技ダンスで日本一になるぞ!"と意気込んでも、相手がいなければ競技会に出る事も出来ない。相手がいたとしても、恋仲や夫婦でなければ、いつ終わるとも知れなくて長期的なプランは立てられない。
例えば、ⅲ-Aで、「家庭(③)はあっても夢(①)がない場合」や、「家庭(③)はあっても収入(②)がない場合」。
"一緒にこの世界でやっていこう!"と言い合える相手がいたとしても、競技会に出て上を目指すという意思や、自分達の教室を開いて自分達の城を構えたいという目標が無ければ、長続きしない。
"一緒にこの世界でやっていこう!"と言い合える相手がいたとしても、スポンサーがつかずに収入が無ければ、シューズや衣装も買えないし、ましてや独立するための資金も貯まらない。
この定型をなぞるということは、3つの要素を全て備えないといけないということ。
この3つのうち、どれが欠けても社交ダンス教師という仕事は成立しないということ。
これが、今までの社交ダンス界で支配的だったサクセスモデル。成功のための物語。
そして、今、この瞬間に社交ダンスの教師として、競技ダンスの選手として、社交ダンス教室の経営者として成功している人は、間違いなく3つ全てを備えている。
社交ダンスという、1つの特殊な世界で生きるということはどういうことか、について、自分の感覚を基に整理している途中。
夢、収入、家庭(家庭というか相手だな)の3つの要素どれが欠けても、社交ダンス教師という物語は紡げない。
そういう意味で"三位一体"。
そういう考え方をとるという意味で、"三位一体説"。(なんかくどいな。)
ひとまず、今回はこの辺で。
明日は、続きを少し書けたら、と思います。
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