札幌はすっかり涼しくなってしまいました。
特に夜。
短かった夏を懐かしみ、
これから来る予定の寒い季節に備えねば。
木々の緑や、空の青。
そういった色彩を今のうちに楽しんでおこうと思います。
今回からは、2回に分けて、
社交ダンスの世界ではもう当たり前のことになっている、
"セクション分け"について、
何かを考えていきたいと思います。
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社交ダンスには、現在、2つのセクションがある。
スタンダードとラテンアメリカン。
この2つ。
スタンダード(以前は"モダン"と呼ばれていた)は、
男性はテールコートを着て、蝶ネクタイをして。
女性は足元まで隠れるような、
大きなきらびやかなドレスを着て。
種目は、
ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、
クイックステップ、ウィンナーワルツの5種。
いわゆる"社交ダンス"。
ラテンアメリカン(通称ラテン)は、
男性も女性も露出の多い派手な衣装に身を包み、
これでもか、
というぐらいに身体の線を強調することが競い合うセクション。
種目は、
チャチャチャ、サンバ、ルンバ、
パソ・ドブレ、ジャイブの5種。
どっちに重点を置くかはその人、
そのカップルの戦略にもよるけど、
基本的にスタンダードが出来ないと、
プロとしての収入は確保しづらい。
理由は、
①スタンダードは、
競技選手としても長く取り組む事が出来るセクションである、
ということ。
②教室に通ってくる生徒さんが望むのは、
圧倒的にスタンダードが多い、
ということ。
この2点でしょうか。
だから、
ほとんどのプロ(インストラクター兼競技選手)は
両方を勉強し、練習する。
この意味で、
2つのセクションは非対称。
同等ではない。
補足すると、
①ラテンがサッカー(とにかく激しく動き回る)だとすると、
スタンダードは野球
(サッカーに比べればそんなに常に動き回っているわけではない)。
ということをよく聞く。
その意味で、
現役生活をより長く続けられるセクションは、
ラテンではなくスタンダード。
平均的に、
ラテンを引退するのが30代半ばで、スタンダードは40前後。
スタンダードの方が長い。
②優雅に、しっとりと。
そんな雰囲気に浸りながら、
お気に入りの先生とくっついて、
美しい曲に合わせてステップを踏む。
お姫様のような衣装に身を包んで。
それが出来るのは、
ラテンではなくてスタンダード。
こういった"セクション分け"について、
何か問いを立てるなら、何があるだろうか。
例えば
「なぜ、セクション分けがあるのか?」。
これは素直すぎる。
それに、あんまりおもしろくなさそうだ。
「そもそも"セクション分け"とは何か?」。
これは、ストイックすぎる。
別の場面で考えたいと思うけど、今は保留。
「"セクション分け"は、何をもたらすか?」
これは、まだ良さそうか。
"セクション分け"を、
「まあ、ジャンル分けだろうな。」的な理解に留めておいて、
そこから先に発展しそうな問いを探したほうが良いみたい。
では、
社交ダンスを、
ラテンとスタンダードという2つのセクションに分割したことは、
何をもたらしたんだろうか?
どんな現象を生んだんだろうか?
ひとまず思い付くのは。
そのセクションに積極的に取り組む人の性格を表す、
"ラベル"の役割を持つようになったということ。
難しく言うと
性格の表象作用。
これを生んだような気がする。
ラテンを好きな人、得意な人は〇〇な人。
スタンダードを好きな人、得意な人は□□な人。
こんな感じで、
その人を表す"ラベル"、"タグ"、"記号"みたいなものになったということ。
2つのセクションがあることによって、
どっちを得意とするか、好きに思うかで、
その人の性格や信条を表すことが出来る
という図式が出来上がったということ。
スタンダードを好きな人は、理論的、理性的、紳士的。
他にも。
冷静。慎重。大人しい(?)。A型が多そう・・・
ラテンを好きな人は、本能的、野性的、情熱的。
他にも。
ノリが良い。リズミカル。芸達者。B型が多そう(?)・・・
そんなイメージ。
当たらずとも遠からず。
そんな感じになっている。
もしかしたら、
「ラテンマン(ラテンをメインに取り組む人)は、
肉食系のようにぎらぎらして、がつがつする
イメージが世の中で持たれているから、
それに合わせて自分もそういうキャラ作りをするか・・・」
という心的傾向が、
無意識のうちに作用しているのかもしれない。
いや、絶対あると思う。
自分の外にあるイメージを参照項に、
それに同化しようとする行為。
社交ダンス教師らしさ。男らしさ。女らしさ。父親らしさ。母親らしさ。子どもらしさ。公務員らしさ。主婦らしさ。札幌に住む人らしさ。日本人らしさ・・・
どのように振舞えば良いか分からない時、
外にある"〇〇らしさ"を参考に、
それを模倣しようとする行為。
社会の中で生きていく上では、
とても合理的な戦略なんでしょう。
難を逃れるというか。
コミュニティーにとけ込めるというか。
セクション分けには、
そんな意味合いもあるようです。
次回は、この分類についてもう少し考えてみたいと思います。
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