#80 社交ダンスと"マクドナルド"2

 
 
札幌は、暑い。

です。


本州に比べるべくもないけど、

とにかく暑い。


 

照りつける太陽の光を、

車のボディがきらきらとはね返しています。


眩しすぎて、

目を細めるしかない。

 

 

前回は、


ファーストフードをめぐる

人間の態度について考えていました。



             「真実を知る自分と知らない他の人」


という構図。


 

それが社交ダンスにもないでしょうか。


自分の今いる世界に目を向けてみます。


 

それは、


"レッスン"


という日常の営業形態。


 

               ダンスを知る者と知らない者。

               教える人と教わる人。

 


"レッスン"には、

この構図があります。



生徒さんは、


ダンスを知りたいから教室にやって来る。  

教わりたいからやって来る。


 

教師は、


ダンスを知って欲しいから教室にいる。

教えたいから教室にいる。 


 

生徒さんは教師を信頼してやって来る。

 

ダンスを踊る上での体の使い方について、

自分よりはるかにものを知っている教師に教えを請いにやって来る。

 


でも。


 

この構図は相対的な関係だ


ということを忘れてはいけないと思います。 



               ダンスを(相手より少しだけ)知っている者と、

               (相手より少しだけ)知らない者。

 


こんな認識に置き換えるのが良いと思います。


 

実際は、対等な関係ではありません。

 

非対称な関係。

権力関係。

 


自分が人より精通している分野における、

権力関係のようなもの。


 

この関係へのコミットの仕方によっては、

権力関係が表に出ることもありそうです。


普段は見えにくいけど。


 

大げさな言い方をすると、


 

「前衛党」、「指導者」としての教師と、

「導かれる者」としての生徒。

 


教師は、あるべき世界、完全な世界、本来の世界、


それを知っているということになっている。 


 

教える側

 

            「詳しい = "正しい"ことが言える」



という図式を胸に、

生徒さんへ自信を持って教示の言を発していく。 

 

 

教わる側


 

          「自分はこういうことだと思うんだけど、本当は違うんですか?」


とか、

 

          「表現は違うけど、これとこれって同じことですよね?」



とかを言ってくる人は本当に少ない。

 

みんな、教師の言葉をまじめに聞いてくれ、

それを実践しようとしてくれます。



先生だから、教師だから、プロだから、この人だから。


 

そういった理由に支えられて、

教師としての自分の言への信頼が

形成されていくようです。

 

 

「先生だから、何を言われても疑わずに従おう。」


 

という態度が美徳とされ、

奨励される。

 


過去に部活を続ける中で、

そういったことが当たり前とされていて、

異口同音に喧伝されていた記憶がよみがえってきます。


 


           「基本を良く分かっていないのに、いちいち口答えするんじゃない。

           言われたことをやれば良いんだ。」



とか、

 


          「何も考えずに先生に言われたことをやれば良いんだ。」



とかいったことを、よく言われた気がするし、

よく言っていた気がします。


 

でも、それは、ちょっと変ですね。



"先生"と呼ばれる、自分より少しその道に詳しい人が、

自分をどこに連れて行こうとしているのかについて、

ぼんやりとではあれ、

行き先を思い描いておく必要があると思います。



何のためにやっているのかが分からなければ、

やる必要はないし、

がんばれません。



             「やっていれば分かるよ。」


といった、悟ったようなことを、

人生経験のそんなに違わないほぼ同年代の人に

言われても全く心に響きません。



むしろ、


「この人はなぜこんなに、何も考えずに"はい!はい!"と従う事の正当性を

微塵も疑っていないんだろうか。」


といった所に興味がわきます。



先生だって間違える事はあるし、

勉強しているとはいえ、

常に試行段階にいます。

 


だから、いつも探り探り。

 

 

自分は、

全幅の信頼を寄せる"師"という存在に出合ったことがないから、

こういうことを考えるのかもしれません。

 


でも、他の人は、


「何も疑わずにその人の言葉をそのまま聞き入れて実践する」

対象となる"師"を持っているんだろうか。


"師"を持てない自分は、

どこかおかしいんだろうか。


 

そんなことを思います。

 


慕ってくれたり、期待してくれたり、信用してくれたり。

 

そうやって自分に期待を寄せてくれる事は、

とてもありがたいことです。


頑張ろうというファイトがわいてきます。

 


でも。


 

正直、あんまり信用して欲しくないとも思っています。


先生だけど、常に試用期間。


模範となる回答には、

誰も至れないと思っています。

 

 

ぼくは、全面的に信用してもらうよりも、

ある程度の距離感をもってもらえる方が嬉しいとも思っています。

 


こういうことを言うのは、

営業的にマイナスなんでしょうか~...

 

 

マクドナルドから、

ずいぶん遠くまで来てしまいました。


今回はこんなことを。

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