#84 さわやかな光と風に起こされた朝-戦争について


8月真ん中の休日。
今年一番の夏日和。

 空色。雲色。緑色。
 風がやさしくて、陽射しも柔らかい。

 隣の幼稚園では、大きなバーベキューセットを広げて、日曜学校の先生方が楽しんでいる。
 気持ちの良い休日。
 それだけで幸せになる。

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 昨日、8月15日は、終戦記念日だったらしい。

 1945年のこの日に、日本が降伏して第二次世界大戦(大東亜戦争)を終わりになった日。
 そんな日だったことをふと思い出して、昨日は眠りに入った。

 あの戦争を体験した人は、特別な感慨がある。
 そんな日。
 うちの93歳のおじいちゃんにとっても特別な日。
 南洋のトラック島という所に連れられて。
 現地の人を使役して、森を拓いて土を運び。
 軍用機の発着する滑走路を造って。
 そんなことをしていたらしい。

 そのおじいちゃんもいつかはいなくなる。
 そして、その体験を伝え聞いた自分も、いつかはいなくなる。
 
 こうやって、その体験を直接知る人が、この世の中からいなくなる。
 そして、だんだんだんだんそのことについて思い出す人がいなくなる。
 
 「昔そんなことがあったんだってね~。」
 「へ~、そうだったんだ~。」

 そういう会話が交わされる日も近いのかもしれない。

 「関が原の戦い」とか、「十字軍の遠征」とかと同列に、あの戦争が語られるようになる。
 そうやって、「歴史」というパッケージに組み入れられる。
 そんな時代が近いうちに来るかもしれない。
 
 "した側"よりも"された側"の記憶の方が強く、後世に伝えられ、長く記憶される。
 それは当然。
 
 でも、「あの関が原の時は、お宅の軍勢に私達一族がどれだけ苦しめられたか!」とか、「あの十字軍遠征の時、エルサレムにいた私達の祖先がどれほど酷い仕打ちを受けたか!」
ということを、本気になって周囲に主張する人はそんなにいないんじゃないだろうか。

 これは、風化というより、融けていくという表現が近いかもしれない。

 その当時の「私達一族」とか、「私達の祖先」は、時代が下るにつれて、どんどん混血になっていって、誰が誰の子か分からなくなる。
 どんどん血が薄まる。
 単一民族だけで構成される国も無くなる方向に向かう。
 そうすると、「あなたは、あの戦争の"した側"でもあるけど"された側"でもあるんですね。」という人が多数になってくる。
 
 そうすると、誰が誰に向けて怒っているのか、誰に対して恨みを持っているのかが見えにくくなる。だから、祖先に対する仕打ちを知って、怒りを覚えたととしても、では現在、誰に対してその怒りを向ければ良いのかが分からなくなる。

 特に個人のレベルでは。

 国のレベルでは、日本という国は個人の寿命より、はるかに長く存在しているから、当事者がいなくなっても責任問題はつきまとうし、何らかの形にして解決に向かわないといけない。それが政治の仕事。

 
 ところで。

 "あの戦争の教訓を風化させないために今こそ反戦運動を!"
 
 という気持ちはあんまりない。
 戦争が悲惨なものだろうことは、言われなくても分かっている。
 だから、そんなの当たり前。
 自分だって生きているうちは、絶対に、絶対に関わりたくない。

 仕方なく戦争を始めた。攻撃されたから仕返しした。
 
 そんなのと関わりたくない。
 やるんなら、自分に関係ないところで勝手にやっていて欲しい。

 戦争なんて馬鹿らしい。
 積極的に関わる人は「誰かのために」とかいうことを大義名分にしているだけ。

 そういう立場にいたい。
 理論的な根拠は貧弱だけど、出発点は見失いたくない。

 頭を使うのはその先から。

 そんなことよりも。

 あるイベントが、"過去の出来事"になる過程はどういうものなんだろうか?

 そんなことを思う。

 直接体験した人が、この世からいなくなったら"過去の出来事"になるんだろうか。
 それとも、終わった次の日から過去のものになるんだろうか。
 
 イベントが終わったとされていても、その後何10年も引き続く事もある。
 原爆症の認定なんかもそう。
 原告者がこの世からいなくなっても、その子孫が意志を継いで、今も争われている。
 
 でも、ほとんどの人にとっては原爆も戦争も"過去の出来事"。
 終わった次の日から。 
 
 自分は戦争の体験を過去に持つ国に生きている。
 その時点で、自分は直接関わっていないけど、何らかの形でその戦争とつながっている。
 宿命というか何と言うか。
 この国に生まれた時点でそう決まっていたこと。
 
 このことからは逃げられない。
 だから、自分の祖先が関わった戦争に対して"何らかの立場"をとらないといけないような圧力を受ける。

 「あなたはあの戦争についてどう考えますか?」

 そういう質問を常に受けることになる。

 繰り返しになるけど、直接経験していない自分としては、「戦争はおかしい。絶対関わりたくない。」そういう態度をとることが精一杯。

 それ以上の意見を持つように求められるのであれば、体験者から話を聞いて、過去の資料を精査して、異時点間、異地域間、異組織間の価値観や戦略なんかを比較して、「〇〇〇。だから戦争はおかしい。」というふうに思考を進めていくしかない。

 
 とてもデリケートなトピックについての話になった。

 でも、自分は戦争を「誰かの意思(例えば、戦争を起こしたい!という意思)によって引き起こされるもの」と前提してしまっているけど、そうではなくて「いろいろな要因が複合して、なんだか良く分からないうちに戦争になってしまった」という理解の方が正確なのかもしれない。
 
 ん~、難しい。
 思考が浅すぎる。
 戦争について良く考えたことが無いことの証拠だ・・・

 ダンスから離れてそういうことを考えてみた。
 
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 ♪お知らせです♪

 もう1つブログを作ってみました。

 http://ainoue2.blogspot.com/

 少しテイストの違うライトなものです。
 こちらもよろしくお願いします~

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