#86 穏やか過ぎて歌を歌いたくなる夜-社交ダンス界に設けられた装置

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《札幌市内の夜の公園。リス(?)の置物がお出迎え。》

昨日は、久し振りに小樽へ練習に。


 夜12時頃に札幌駅を出て、自転車に乗って帰路につく。

 日付の変わるこの時間、穏やかな夏の札幌の空気を吸いながら自転車をこいでいく。



 宵越しの金。


 という言葉がある。

 

 よく「宵越しの金は持たねぇ!」という使われ方がされる。


 遊ぶ夜には金に糸目をつけずにパーっと使え、ということだったかな。

 江戸っ子のステータスみたいな使われ方をされていた気がする。


 "金"じゃなくて"鐘"ならどうだろうか。

 宵越しの鐘。

 

 ぱっと思い付いたので、これから何か膨らませられないか考えてみた。


 **********************************


 夜になる、世界を闇が覆う、逢魔の時。

 宵の口は、明るい昼間の世界から地続きではない、断絶した世界として自分の前にやってくる。宵越しに鳴る鐘は、ともすれば闇に紛れて一線を踏み越えてしまいそうな昼間とは違う自分に発せられた警告なのかもしれない。


 鐘は人それぞれによって違うはず。


 自分にとっては何か。

 例えば、体重計。


 宵の口になると、ついつい酒に食事に貪欲になってしまう。

 それを毎日のように続けると、いくら毎日体を動かしても、消費が追い付かない。

 そこで体重計。

 

 自分の中に、体重計という、警告を発する鐘を抱くことで、宵の魔力を打ち消せるはず。

 そのための装置。


 きっといろいろあるはず。

 探してみようかな。


 個人的なものに限らず、何かを規制する社会的な装置のような役割のものがありそう。

 人々の行動を規律する、規範としての装置。


 例えば。


 鬼とか妖怪。

 

 もう定説になっているらしいけど、民俗学の分野では、"鬼"とか"妖怪"は、自然に対する人間の思い上がりや、人間同士の争いなんかをけん制する"装置"として考案された概念らしい。

 現実にいる、いないというレベルの問題ではなくて。



 小学生の頃、親戚のおじさんの家に泊まりに行った時。

 年の近いそこの家の子と遊ぼうとしたら、

 

 「家の中で鬼ごっこしても良いし、かくれんぼしても良いよ。でもね。いいかい。押入れに隠れた時には注意するんだよ。隠れている時に、後ろからトントンと、肩を叩かれても絶対振り向いちゃいけないからね・・・もし振り向いたら、妖精が君を"あっちの世界"に連れて行っちゃうからね・・・。絶対だよ・・・ふふふ・・・」


 みたいなことを言われた気がする(ぶるぶる...)。

 

 メガネの奥からのぞく、おじさんの不気味な笑顔という演出付きで語られたその言葉のニュアンスを、今でも覚えている。


 それを聞いて、サーッと血の気が引いて、家から飛び出して外へ遊びに出て行ったように覚えている。


 夜その家で寝る時も、「早く寝ない子は、妖精が迎えに来ちゃうからね・・・ふふふ・・・。」

 

 みたいなことを言われて、ますます眠れなくなって、びくびくと布団の中で震えていた気がする(なんちゅうおっちゃんや~)。


 ちなみに、今思えば、"妖精"だから怖かったんだと思う。


 妖精には、"妖精 = ティンカーベル(ピーターパンの)"みたいな、可愛らしい小さな女の子みたいなイメージがあったのに。

 

 「あっちの世界へ連れて行く」とか、「迎えに来る」とか言われると、耳がとんがって、鼻がしわしわのニンジンみたいで、口が裂けてて、目がトルコ石みたいな深みの無い平板な色で、手足の爪が以上に長くてすぐ切れそうで・・・そんな恐ろしい妖精像を想像して、そのギャップがまた恐ろしくて・・・


 そんな感じで、鬼とか妖怪とか妖精とかには、人々の行動を規定する機能が備わっている(やんちゃな子どもを大人しくさせる役割とか)。



 そうそう、社交ダンス界にもある。

 そういう役割のもの。

 例えば。


 「勝ったらパートナーのおかげ。負けたら自分のせい。」


 そういう言葉。

 とても自制的で禁欲的な言葉。


 社交ダンスは2人でするもの。

 なので。


 競技会に出場するに当たって、自分の力不足を棚に上げて、結果が振るわない事の責を相手に一方的に求める事をあらかじめ防ぐために編み出された言葉なんだと思う。

 

 カップル間の不和の種になる「お前のせい」という論調を封じる装置。

 良かった時も悪かった時も結果を自分1人で引き受けて、今後、自分を磨くことへのモチベーションに転化させようとする、とても良く出来た仕掛け。


 そういうものとして機能していた言葉。


 学生の時、よく先輩から言われた気がする。

 部活に入って、競技会に初めて出るあたりから、よく言われた気がする。

 初めて聞いた時、「お~、かっこいいな~。」

 と思った記憶がある。


 でも、自分は人に言わなかったような気がする。

 後輩に求めなかったように思う。


 なぜか。


 それは、なんだかうさんくさいから。嘘っぽいから。


 たぶん、その言葉を自分の中に落としてみて、少し経って、そう感じたからだと思う。


 というより、「何でそう思わないといけないの?2人でやってるんだから、単純に考えて半々で良いんじゃないの?勝ったら"自分が認められた"って思っても良いんじゃないの?負けたら、"おれにも責任はあるけど相手にもある"って考えても良いんじゃないの?"いや、おれが全部悪いんだ"と言って1人で抱え込むよりも、よっぽど健全じゃないだろうか・・・」

 

 みたいなことが、きっと自分の中にあったんだろう(へそ曲がりな性格なもので)。


 たぶん、この言葉は、今も社交ダンス界では強い影響力を持って使われている言葉だと思う。当然、プロの世界でも。


 ちょっと、うんざりする。


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 人々の行動を誘導するための装置として機能しているもの。

 言葉であったり、概念であったり。

 やんちゃな子どもを震え上がらせ、寝かし付けるために考案されたようなフィクション。 

 そんなものが世の中にはたくさんありそうだ。


 子どもの頃の経験のせいで、未だに妖精を怖いと思っている今日この頃です。

 

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