≪あかね空に浮かぶ鉄塔。もう9月。秋です。≫
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連載を始めて今回で100回目です。
確か。
だいたい毎日書いていたから、3ヶ月ちょっとぐらい。
少し振り返ってみます。
まず、この文章の目的。
ぼんやりとした目的。
それは2つ。
①自分という人間が、何をどのように考えているのかを知るため。
②言葉にしたことを誰かと共有するため。
この2つを自分は求めているんだと思う。
ちょっと付け足すと。
①
生きていると、毎日、瞬間ごとにいろいろな所感が脳内に浮かぶ。
これおいしい。
暑い。
あれは何だ?
眠い。
これってどこかで見たような・・・
無数に挙げられる。
外界の刺激に対して、誰もがそんな所感を瞬間的に抱くはず。
本当なら、そのいちいちについて考えていって、何か役に立つことを発見できれば良いと思っている。けど、どれは物理的に不可能なので、その中でも特に印象的だった所感にフォーカスして、一次的な所感から少し進めた思考を展開したい。
そうすると、自分のことが少し分かるんじゃないか。
そう思う。
自分という存在の輪郭が、以前より少しだけはっきりと見えるんじゃないか。
自分という存在を見る上での解像度が少しずつ上がっていくんじゃないか。
そんなふうに思います。
そして、その方法としては、自分にとっては"ダンス"か"文章"しかない。
絵を描ける人が羨ましい。
音楽を作れる人が羨ましい。
料理ができる人が羨ましい。
野菜を作れる人が羨ましい。
自分には出来なさそうだから。
だからこそ尊敬もする。
それぞれが、"自分"という存在を知るための手段。
絵にしても、音楽にしても、料理にしても、野菜にしても、それを作る上で、作り手の意図や心境が反映されているはず。
作り手の内面が外に出たもののはず。
作り手の内面がその作品に溶け込んでいるはず。
そうやって、表現された作品を通して、事後的にその人を理解するしか方法はないみたいだ。
とりあえずは。
文章は自分を知るための手段。
少なくとも自分の場合は。
そうやって、自分の中にある感情を言葉に結晶させる。
今、自分がやっているのは、そういうことだ。
今、自分は"社交ダンス"の世界にいる。
多くの時間を割いている"社交ダンス"の世界を通して、自分が不思議に思うこと、納得がいかないこと、思いついたことの記録を残しておく、ということをやっている。
②
自分が考えたことを誰かと共有したい。
それについて何かを話したい。
そう思うのは、説明のつかない欲求。
自分以外にも、きっと多くの人が持っている欲求。
何かを思い付いたら誰かに聞いてもらいたいし、何かを見つけたら誰かに教えてあげたい。おもしろいTV番組があったらそれについて一緒に笑いたいし、びっくりニュースがあったら一緒にびっくりし合いたい。
そんな感じ。
そして。
それだけじゃなくて、もしかしたら、自分が考えたことを知ったことで、誰かが何かを感じてくれるかもしれない。
その人の人生に少しでも役に立つことがあるかもしれない。
「何てことを言ってるんだ!」といって、怒らせてしまうかもしれない。
「こいつ、訳分からんわー。」といって、引かれるかもしれない。
「勝手にやれば。」といって、素通りされるかもしれない。
いろいろな反応を受けたい。
だから、個別にもらうコメントは、とてもとても嬉しい。
その人が、その人自身の状況に即して、考えた結果を教えてくれたり。
似たようなことを考えていた先人を紹介してくれたり。
その時の思考に関連する本を紹介してくれたり。
この文章を読んで、何かを決心したことを教えてくれたり。
そうやって、自分が考えたことに対して何らかの反応をもらえることは、この上ない喜びだということを知りました。
本当にありがとうございます。
この文章は、ちょっとヘンな試みだと思う。
社交ダンスだし、哲学だし。
内容や体裁は変わっても、この試みはきっと死ぬまで続いていくんだと思います。
なぜなぜ病が治らない限りは、ずっと。
そうそう。
100回を記念して。
構想中の企画が2つ。
ⅰ.ダンス的哲学的"童話"を作る!
ⅱ.社交ダンスのエッセイを書く!(これとは別に)
そんなことを近くに遠くに構想中です。
ひとまず100回は続きました。
ちょっと一息。
ふぅ~。
次の100回に向けて、脳内を常にアップデートしながら書いていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします♪
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