#112 "信念"と"臨機応変"2-2つの価値観2

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≪近所の神社の例大祭。小さな境内にお店やら何やらがひしめいています。≫

札幌は夜はだいぶ涼しくなりました。

でも、昼はまだ暖かい空気に包まれています。


  出勤前、自転車に乗り、風を切るのが気持ち良いです。

  杖をつきつき、とことこと歩くおじいちゃんを追い抜き、信号を無視したり無視しなかったり。

 そうやって、30分くらいかけて札幌の街を通り抜けていきます。


 前回から、「2つの価値観」シリーズ。



 「信念を持つ」と「臨機応変に対応する」。

 この2つの価値観の関係について考えていました。


 この2つは、矛盾する時があるんじゃないか。

 そんな問いから出発して。

 今回は、「では、現実にはどういう例(矛盾する)があるんだろうか」ということで、具体例を挙げて考えてみることにしたいと思います。


 ***********************************

 【Case:タクシードライバー達の休息】

  

 先日、自転車で歩道を通っている時、中年のタクシードライバー3人が、歩道の上で談笑していた。

 3人は近くに営業者を停め、楽しげに煙草を吸いながら、なぜか、歩道をふさぐように憩っていた。

 道幅の3分の2ほどをふさいでいたけど、通れないこともない。

 たぶん、自分が近付いたら避けてくれるだろう。

 スピードを落としつつ、だんだんと距離を詰めていく。


 でも。 


 全く避ける気配がない。

 ぶつかっちゃうよ~


 仕方なくスピードをもっと落として、すり抜けるように、3人の背後を通り抜けた。


 う~ん。


 こっちも避ける努力をしたけど、そっちもすべきじゃないの?

 しかも歩道の半分以上を塞いでいて・・・


 これってどういうことなんだろうか?


 自分が浪人風の見た目だったからなんだろうか。

 学生っぽかったから、「こいつなんか避けなくてもええわ~」的な判断だったんだろうか。

 

 もしこれが、学生風の自分じゃなくて、ものすごい怖そうな人だったらどうなってたんだろうか。

 たぶん、3人のドライバーは、きっと避けたんだろうな~。

 誰が通っても避けないというのは、無理なんだろうな。

 「こいつは避けなくて良い、こいつは避けないとやばそう。」

 そんな判断があるんだろう。

 

 「いついかなる時も同じ態度をとる」というのは、無理なんじゃないだろうか。

 少なくとも、この"道を空けるかどうか"に関しては。

 「おれはどんな時でも、誰が通ってきても微動だにしないことにする!」という"信念"を持っている人がいたとして(想像しにくいな)。

 そんな人の存在が果たして成り立つのかどうか。

 そんな疑問が浮かぶ。

 

 たぶん無理なんだろう。

 "信念を持つ"ということ、"普遍的な態度をとる"ということは、きっと相対的なものなんだろう。条件付きというか。 

 こういう場合には出来るけど、こういう場合には出来ません的な。


 こう見てくると、普遍的な態度というのは幻想かもしれない、という気になってくる。

 いついかなる時も同じような態度をとる、という"信念を持つ"という行為が、幻想のように思えてくる。


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 他にもありそうだ。


 例えば、社交ダンスのレッスン。

 違う生徒さんに対しても、マニュアルを作って同じ教え方で対応するようになってしまう。個々人の差異を考慮して、その人の特徴に合ったレッスンの進め方が出来なくなる。

 「初心者にはこういう言い方が必要なんだ!」と、自分なりに獲得した方法論が"信念"という名前に変わっていく。そして、それが、"臨機応変"な対応の足かせとなる。

 こんなことも有り得る。


 例えば、植物の水やり。

 週に2回、鉢植えに水やりをするという習慣にしていたとして。このペースが植物の生長にとって良さそうだという確信のもとに至った習慣だとして。

 今回もその習慣にのっとって水やりをしようとしたけど、どうも葉っぱに元気がない。土には水があり、湿り気がある。「水が多すぎる?今日はやめとくか。」という"臨機応変"な対応になるか、「週に2回が良いはずだ!」といって、"信念"に従うか。そこで2つが衝突する。

 こんなことも有り得る。

 

 "信念"と"臨機応変"がぶつかる例は、身の回りにたくさん見つけられそうだ。


 でも。


 直感として。



 "信念を持つ"ということと"臨機応変に対応する"ということは、矛盾しているように見えて、実は矛盾していないのかもしれない。

 同一次元上では、矛盾しているように見えるけど、実は2つの言葉が対象にしているものが違う次元にあって、概念的には"ねじれ"の位置にあるというか。

 両立可能というか。共存可能というか。

 同じ対象の中に、"いつ何時もこうでなければいけない"という部分と、"何でも良い"という部分が共存可能な要素として併呑されているのではないだろうか。


 なんかうまく言えない...


  今回の思考は、以前書いた「思考の基本型」の中の、

 「抽象的な概念から具体的な概念へ」という型に拠っています。

  

 「"人生"とか"家族"とか"国家"とか、大きな大きな概念から思考を出発して、それに該当する身近にある具体的な事例を探していく方法。演繹的。微分的。ズームイン的。」

 こういう思考。


 今回に即して言うと、


 「"信念を持つ"ということと"臨機応変に対応する"ということの矛盾関係」という、抽象的な概念の関係から出発して、それに該当するような、身近な例を挙げて、「あ~確かにそうだな~」とか、「でも、こういう所ちょっと違うパターンかもな。」とかの感想を得て、自分に固有の言葉を紡ぎだした。


 こんなところでした。

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