#103 ランとビジネス3

CIMG2286.jpg

                     ≪秋空に映える教会です。もくもくとした雲を背景に。≫

今日もひよこの小学生達がやってきました。

ぴよぴよ。

   自分の言葉使いを聞いて、

   「京都?ねぇ、京都なんでしょ?」と、

   1人の女の子が、以前住んでいた場所を聞いてきます。

   この子は、自分のしゃべり方に京都を感じているんだな~
   兵庫県の三木市という絶対知らないところだけど・・・
   神戸だったら知ってるかな~
   神戸っていうことにするか・・・
   でも、神戸じゃないのに神戸っていうのも気が引けるな~

   なんてことを思いながら、   

   どこやと思う?
   
   質問で返してみます。

   「奈良!大阪!」

   すかさずメジャーな所をついてきます。

   神戸って言ってやろうか。
  
   なんて、思っていたら、   

   「にっぽん!地球!」と、小学生の専売特許のような答えを頂きました。

   ぐぅ~

   こっちの読み通りには動いてくれません・・・
   恐るべし。ひよこ達なのでした。 


 前回までは。

 「ランの生存戦略」と「ビジネス(特に客商売の経営戦略)」は、似ている所がある。
 
 ということで、社交ダンスを例に挙げて、似ている点を見てきました。

 今回は、【戦略】の部分に当たる"性的擬態"と"キャラ作り"を中心に。

 なぜ、ランの世界で(全体の3分の1とはいえ)"性的擬態"が採用されているのか。
 なぜ、社交ダンスの世界で"キャラ作り"という方法が出てきたのか。

 そんなことについて少し考えてみたいと思います。

 *************************************


 教師自身が自分を演出する行為。
 つまり"キャラ作り"。
 それがランで言う性的擬態に当たると思う。

 男らしく。清潔感を保って。ビシッとして。紳士的に。
 
 教師の性格に合わせたキャラ設定という擬態に、生徒さんは集まってくる。

 教え方、話し方、競技会での成績、踊り心地、振り付け、力加減・・・

 社交ダンスの教師は、いろいろな観点から差異化される。
 提供するものは、みんな"ダンス"のはずなのに。

 つまり、「なぜ、同じ商品を提供しているにもかかわらず、生徒さんが教師を選ぶ行為に偏差が見られるんだろうか」という問いに対して、それは、「教師ごとに作りこまれた"擬態"によるんじゃないか」と、答えられるということ。
 教師ごとに演出されたキャラ作りが、生徒さんを"既存のサービス"に誘引する役割を果たしているんじゃないかということ。

 ともかく。

 ラン = 供給サイド = 社交ダンス教師(自分)
 ハチ = 需要サイド = 生徒さん

 という図式が見える。
 なかなか刺激的だ。

 生徒さんは、ハチとして、性的擬態を施した社交ダンス教師に集まってくる。
 教師というランにぶんぶんと集まってくる生徒のハチさん。
 そういう構図。

 おもしろい。
 
 ***********************************

 ところで。
 ランの世界に話を戻すと。

 なぜ、"蜜"ではなく、"性的擬態"の戦略を採用したのか。
 なぜ、目的の達成を手伝ってくれる媒介者(ハチ)を呼ぶために、"蜜"という手段を採用しなかったのか。

 記事の中に出てきた、ジョン・オルコックという進化生物学者によると、これには2つの理由があるらしい。

 ①近親交配を避けるため
 (騙されたと知ったハチが、今度は騙されないぞ!と意気込んで、できるだけ遠くの花に移動しようとするために、近親交配が避けられる)

 ②特定の献身的なハチとの関係を強化するため
 (媒介者の誘引手段を"蜜"に頼ると、送粉に関係のない虫まで集まって、花粉の無駄遣いになる場合が多い。そのために、自分の種類のランだけに、ピンポイントでやってきてくれるハチと手を組んだ方が効率が良い)

 この2つの理由が有力らしい。

 では、社交ダンスに言い直すと。

 なぜ、"既存のサービス(蜜)"だけではなく、"キャラ作り(性的擬態)"の戦略も採用したのか。
 なぜ、目的の達成(夢を与える)を手伝ってくれる媒介者(生徒さん)を呼ぶために、"既存のサービス"という手段だけに頼らなかったのか。

 分かりやすく言い換えると、

 「教えますよ~。人前でのデモンストレーションのお相手しますよ~。」(既存のサービスの宣伝)だけで良かったはずなのに、そこに"性的擬態"というキャラ作りを盛り込んだ理由は何なのか。
 
 この理由も、ランから借りてこれそうな気がする。


 ①近親交配を避けるため。
  
  社交ダンスにおける「近親交配」にあたるものは・・・
  近場の生徒さんの奪い合い?

  これを避けるため。
  そのために"キャラ作り"という"擬態"が生まれた。
  そんな理解。

  教師がそれぞれに"キャラ作り"をすることで、生徒さんにとって多くの選択肢ができる。

 踊り心地重視な人。
 見た目を重視する人。
 紳士的な態度を好む人。 
 競技会での成績重視な人。    
 教え方が理屈っぽいのが好きな人。
 逆に、教えてくれなくて良いからたくさん踊ってくれる方が好きな人・・・
 
 現実の判断は、それの総合なんだと思うけど。

 いろいろなタイプの教師がいた方が、「選ぶ楽しみ」というのも生まれる。

 それによって、同じタイプの教師同士での生徒さんの奪い合いという現象が減ってくるんじゃないか。
 そんな感じがする。"同じタイプ"という事自体が減少してくるはずだから。
 姿かたちや、教え方や技術レベルが似通っていたとしても、やっぱり、Aという社交ダンス教師とBという社交ダンス教師は違う存在だから。それぞれに固有だから。
 
 自分独自のカラーを打ち出した教師は、当然、唯一無二の存在になるけど、そんな努力をしなくても、1人1人が違う人間だから、選ぶ側からしたら、やっぱり教師の数だけ選択肢があるということ。

 生徒さんとマンツーマンで接する仕事なので、「自分」という人間の魅力を自覚している方が何かと都合が良いんだろう。


 ②不特定多数のお客さんではなく、献身的な少数の生徒さんとの関係を強化した方が合理的だから。

 社交ダンス教師という仕事は、不特定多数のお客さん相手ではなくて、特定のある程度の数のお客さんを相手にした仕事。

 だから。

 合理的だからというよりも、教師にとっても生徒さんにとっても、特定の相手とある程度の期間をかけて交流を持つほうが、得なことが多いということ。

 お客さんの名前、性格、癖、好きなもの、何に興味があるのか、ダンスを通じてどんな夢を持っているのかといった、その人についてのいろんなことを知っている仕事。
 レッスンの時もそれ以外のときも、"その人"専用の対応をする。"その人"と自分の間でしか通じない会話をし、踊りをする。まさに人間と人間の関係。1対1の関係。
 "顔が見える関係"どころか、体と体をくっつける分、"見えすぎる関係"とも言える。
 
 これは、不特定多数のお客さんを相手にする、大きな飲食店や大きなお店と違う点。
 
 客商売の中でも、こういう特徴がある社交ダンスの世界では、メジャーに受け入れられるような"無難な"対応よりも、"自分色"を出した対応をした方が、ついてきてくれる生徒さんもできると思う。もちろん、その分、嫌われる可能性も高いけど。
 
 でも。

 誰に対して発しているか分からないような、出来合いのマニュアル通りの言葉を朝から晩まで口にし続けるよりは、その人その人に対応した言葉を選んで会話をし、踊り、お互い楽しい時間を過ごす。
 その点で、整体師や美容師という職業も似ている。
 そういう方が、絶対に楽しいと思う。
 
 "キャラ作り"というのは、「数ある社交ダンス教師の中でも、自分が唯一無二だと言える特徴を外に表現する」ということ。生徒さんにアピールするということ。


 長くなったのでまとめると。

 "キャラ作り"によって、

 ①生徒さんの奪い合い(近親交配)を避ける
 ②自分を長く見守ってくれる、特定の生徒さんと良好な関係を築く

 この2つが達成される、ということ。

 "キャラ作り"というのは、社交ダンスの世界で1つの装置として機能しているということ。
 仮説だけど。

 かなり強引だったけど、「ランの生存戦略」と「社交ダンスの経営戦略(みたいなもの?)」を重ねてみて、両者の間に交流を生んでみました。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://ainoue.net/mt/mt-tb.cgi/103

コメントする

ウェブページ

アーカイブ

アイテム

  • P1040776.JPG
  • P1040630.JPG
  • P1040774.JPG
  • books.jpeg
  • P1040062.JPG
  • P1040639.JPG
  • 51IDakozVnL._SS400_.jpg
  • 517rp-clXkL._SS500_.jpg
  • 51kMcQCOAPL._SS500_.jpg
  • P1040038.JPG

2011年4月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30