前回は、
人間はバイロジック(複論理)の生き物だということを書きました。
では、
具体的にバイロジックってどういうこと?
について書いていきたいと思います。
中沢新一さんは、こういった人間の知性を仏教の思想から発想したそうです。
今、自分は【雲水喫茶】に関わっています。
だから、中沢さんの思想と重なる部分もあるし、それに追加できる部分も当然あると思っています。
禅の考えには「行雲流水」というものがあるそうです。
そして、それは「止住」と「流動」を核とする考え方のようです。
「止住」は、「1つどころにとどまる」ということ。
「流動」は、「とどまらず動く」ということ。
意識の動きに注目すると、
「止住」は「論理」、「流動」は「情緒」に対応します。
対応する言葉を挙げていくと。
【禅】=「止住」:「流動」
【芸術人類学】=「論理」:「情緒」
【脳科学】=「左脳」:「右脳」
【その他】= 「頭」:「身体」
「分離」:「融合」
「分別」:「無分別」
「規律」:「あそび心」
「秩序」:「芸術・狂気・妄想・詩作」
「技術論」:「本質論」
「合理的」:「非合理」
「ああすればこうなる」:「理不尽」
「因果関係が見える」:「因果関係が見えない」
こんなところでしょうか。
まだまだありそうです。
こうやって、いろんな言葉で、人間の知性の働きを2分法にして表現する。
そして、この2つの協働こそが、「複論理(バイ・ロジック)」であり、今後の人類の取り戻すべき知性の状態である。
それが、中沢さんの主張だと理解しています。
中沢新一は、「論理的思考」と「対称性の思考」の協働と呼び、
ダニエル・ピンクは、「左脳主導の資質」と「右脳主導の資質」の協働と呼び、
禅では、「止住」と「流動」の協働と呼ぶ。
言葉が違うだけで、だいたい同じことを指している。
どの発信者も、前者が肥大して後者が萎縮している現状を憂い、そこから、後者の復権、そして両者の協働の復権を目指している。
そういった、同じ構造を持っていると言えます。
今は、そういったことが求められている時代なんだと理解できそうです。
次回では、"論理"と"情緒"の協働の例を挙げてみたいと思います。
あと。
中沢新一さんの『芸術人類学』は、まさひろに。
ダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』は、コーチのこうすけくんに。
それぞれ、紹介してもらいました。
本当にありがとう!
中沢新一さんは、こういった人間の知性を仏教の思想から発想したそうです。
今、自分は【雲水喫茶】に関わっています。
だから、中沢さんの思想と重なる部分もあるし、それに追加できる部分も当然あると思っています。
禅の考えには「行雲流水」というものがあるそうです。
そして、それは「止住」と「流動」を核とする考え方のようです。
「止住」は、「1つどころにとどまる」ということ。
「流動」は、「とどまらず動く」ということ。
意識の動きに注目すると、
「止住」は「論理」、「流動」は「情緒」に対応します。
対応する言葉を挙げていくと。
【禅】=「止住」:「流動」
【芸術人類学】=「論理」:「情緒」
【脳科学】=「左脳」:「右脳」
【その他】= 「頭」:「身体」
「分離」:「融合」
「分別」:「無分別」
「規律」:「あそび心」
「秩序」:「芸術・狂気・妄想・詩作」
「技術論」:「本質論」
「合理的」:「非合理」
「ああすればこうなる」:「理不尽」
「因果関係が見える」:「因果関係が見えない」
こんなところでしょうか。
まだまだありそうです。
こうやって、いろんな言葉で、人間の知性の働きを2分法にして表現する。
そして、この2つの協働こそが、「複論理(バイ・ロジック)」であり、今後の人類の取り戻すべき知性の状態である。
それが、中沢さんの主張だと理解しています。
中沢新一は、「論理的思考」と「対称性の思考」の協働と呼び、
ダニエル・ピンクは、「左脳主導の資質」と「右脳主導の資質」の協働と呼び、
禅では、「止住」と「流動」の協働と呼ぶ。
言葉が違うだけで、だいたい同じことを指している。
どの発信者も、前者が肥大して後者が萎縮している現状を憂い、そこから、後者の復権、そして両者の協働の復権を目指している。
そういった、同じ構造を持っていると言えます。
今は、そういったことが求められている時代なんだと理解できそうです。
次回では、"論理"と"情緒"の協働の例を挙げてみたいと思います。
あと。
中沢新一さんの『芸術人類学』は、まさひろに。
ダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』は、コーチのこうすけくんに。
それぞれ、紹介してもらいました。
本当にありがとう!
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