#122 考えるということ-隠れフィロソフィスト

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≪イソップベーカリーのチーズブレッド。もちもち感とたくさんのチーズ。満腹です。≫

昨日の札幌は、雨降り風吹きで、荒れた天気でした。
涼しくなった空気に雨滴が混じって、

何やら不穏な気分になってきます。 

 体調を崩してしまって、また間が空いてしまいました。
 鼻声は残りますが、だいぶ回復。
 また再開です。


 哲学する人は、ピュアなんだと思います。

 自分が嘘をついていることに敏感な人だと思う。
 自分が演技をしていることについて敏感な人だと思う。

 この場合は、こう振舞いましょうか。
 この場合は、こういうキャラで行きましょうか。

 そういうスイッチの切り替えに、強烈な違和を覚える人。
 違和感を我慢して、スイッチを切り替えることができない人。
 「こういうもんだ。」と、無理やり自分を納得させるというテクニックを使えない人。

  哲学する人 = 暗い人

 というのは、当たっていると思う。半分は。

 みんなが共有する、「共通の儀式」に参加すること自体に疑問を抱いてしまうから。
 
 例えば、大勢で飲みに行った時。

 最初に全員に飲み物をまわす。
 誰かが乾杯をコールする。
 飲み会の始まり。 

 だいたいそんな流れになる。

 そういう"お決まりの"儀式に対して、「ん?何でこんなことしなきゃならないんだ?」とか、「何でこういう風習が定着したんだろうか?」とか、「みんなは何を求めてこういうルールに従ってるんだ?」とか、そういった、とてもとてもめんどくさいことを考えてしまう人。
 
 それが哲学をする人だと思う。

 そういった「なぜ?」の気持ちを、その場で外に出してしまう人。
 疑問を家に持ち帰って、改めて沈思黙考する人。
 タイプはそれぞれだと思う。

 たぶん、世の中に形成された「哲学=暗い人の嗜み」みたいな図式は、前者のタイプを指してのことだと思う。

 自分は、仲間外れにされるのも嫌なので、前者のようにストイックに哲学できない。
 
 だから、"こっそり"哲学する。
 そういう方針にしています。
 
 
 自己観察を繰り返した末に獲得した「自分語」。
 そういう言葉を語る人は、ただそれだけで尊敬に値する。
 そう思います。

 自分はそういう人になりたいと思います。


 自分という物語を、自分に聞かせるために語りだす。
 それが、誰かの共感を得て、聞き手が自分以外にも生まれてくる。

 矛盾しているようですが、きっとそうなんだと思います。
 語りだされた物語は、自分以外に伝播して、感性の近い他の人に共有されていく。
 そして、その人独自の物語にアレンジされていく。
 そんな仕組みのような気がします。


 こういう根源的な問いは、仕事をしていて忙しいと、不思議なくらい忘れてしまえます。
 社会人になってから本当に良く分かりました。
 本当に不思議なくらい、忘れてしまえる。
 
 忘れることが社会人の条件みたいな、空気も感じる。
 仕事をする上で、そんな疑問は不必要なんだよ。
 というささやき。

 それはとても嫌なので、いつまでも頭の片隅に、根源的な問いを残しておくようにしています。

 今回はこの辺でzzz

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