#124 "論理"と"情緒"8-2つの価値観10

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    ≪今日から10月。この地面を雪が覆うのも近いようです。≫

自転車で札幌の街を駆っていきます。


 街中には、至る所にハトの群れ。

 うずくまったり、何かをついばんだり。


 人間を見上げて何を思っているんでしょうか。


 「こいつ、えさくれへんかなー。」

 「何、見てんねん。さっさと行けやー。」


 そんなことを考えてたりして。


 自分と目の前のハトが、「違う」ものであると認識しながらも、ハトの視点を想像するという行為。

 こういうのを、2つの知性の協働作業と呼ぶんでしょう。


 今、自分の頭にあること。

 それは。


 自分はハトではありません。

 人間です。

 

 ということ。

 

 「自分」 = 「人間」 ノットイコール 「ハト」


 そういう図式を頭に置いています。

 あまりにも当たり前すぎて、意識すらしません。

 でも、ハトを見る時に、自分の頭の中では、こんな図式が表示されているはず。

 これは、完全に論理的思考。

 数学です。


 それを頭の中のどこかに置きながら、一方では、「自分がハトだったら・・・」的な状況を想像する。

 自分とハトは、イコールで結べないことを知っているのに(矛盾していると知っているのに)、あえてイコールで結んだ状況を考えようとする。

 こういうのが、"対称性の思考"と呼ばれる知性の働きなんでしょう。


 くどくなりましたが、自分の言葉で説明するとこんな感じです。

   

 **************************************


 中沢新一さんの『芸術人類学』に材をとって、書いてきました。

 いろいろと中断がありましたが・・・


 今回で完結。

 このシリーズを、いちよう締めたいと思います。

 

 "論理"と"情緒"という、2つの知性の協働作業。

 この協働作業は、「複論理(バイロジック)」と呼ばれ、

 これが、人間の内部で行われている。

 そして、現代は、"論理"が肥大した時代で、"情緒"の知性も復活させたほうが良いのでは?という提言。

 

 だいたい、こういう流れの内容だと理解しています。


 中沢新一さんは、"情緒"ではなく、"対称性の思考"という名前で呼んでいます。

 厳密には、違う所もあるのでしょうが、ここでは、"論理"に対してイメージしやすい言葉に置き換えて考えてきました。

 

 人間の中からバイロジックの健全な作動が損なわれた中で、未だに、その活動が息づいている領域。

 中沢さんは、それを「芸術」に見出しています。


 社交ダンスには「芸術」の側面があります。


 なので。


 社交ダンスの世界では、人間本来の知性の働かせ方が今も生き残っているのではないか。

 そう考えても、たぶん間違ってはいないと思います。

 

 そこで、前回まで、バイロジックの具体的な現象形態として、


 ① 競技選手(パフォーマー)(論理:論理的思考の知性)

 ② インストラクター(情緒:対称性の知性)


 という2つの側面を設定してみました。


 でも。


 後で考えてみたら、これだけでは不十分な気もしてきました。


 というのは。


 競技選手の中にも、また「論理」と「情緒」の部分がある。

 インストラクターの中にも、また「論理」と「情緒」の部分がある。

 

 と思ったからです。


 まとめると。


 【社交ダンスにおけるバイロジックの構造】


 1."論理"―――競技選手(パフォーマー)――"論理"= A1

                            "情緒"= B1


 2."情緒"―――インストラクター―――――――"論理"= A2

                            "情緒"= B2



 A1は、「こうすれば、こうなる(こうならないといけない)」という、がちがちの数学の世界。


 ステップについての教科書があって、そこでは「こういう規則にそって、このタイミングで、この方向に、こういう力加減で、こういう角度で足を踏み出す・・・」といった、"型"が存在します。種目ごとに、ステップごとに、男と女ごとに。



 B1は、気持ちの命ずるままに動こうとする、情動の発露。

 

 ダンスに対する世間一般のイメージは、これに当たると思います。

 無軌道で、予測のつかない情動だけに身体が駆動される領域。

 相手と音楽と照明とフロアと観衆と一体になって、日常とは違う世界に旅立ってしまう部分。


 競技選手は、A1B1の協働作業によって成り立っていると言えそうです。

 つまり、体系化された秩序に拠りながらも、内部から湧き出る情動によって、そこからはみ出すことを常にうかがっているという姿勢。

 こういう、質の違う2つの態度によって、支えられていると言えそうです。

 


 一方。


 A2は、社交ダンスインストラクターという職業を成立させる上でのシステムの領域。


 一言で言うと、"ビジネス"と言えそうです。

 生徒さんに教える上で、各種イベントに動員する上で、スタジオを経営する上で、必要とされる"技術的な"スキルを研鑚することが至上目的となる部分。


 B2は、相手との会話を楽しみ、無理な売込みを極力避け、相手の満足度を最優先する領域。


 "ビジネス"に対して"ボランティア"とでも呼べるでしょうか。

 

 赤字にさえならなければ、みんなに喜んでさえもらえれば。

 そんなことを優先する部分です。

 そこから、"新庄シート"(元日本ハムの新庄選手が、自腹でシートの一角を買い取って、子ども達を招待するというシステム)という発想なんかが生まれるんだと思います。 


 "ビジネス"の観点で見たら、頼りなく物足りない部分かもしれないですね。 

 短期的に見たら、その分の料金が観客からもらえないことになるので。 



 A2B2は、往々にして競合します。


 「それって、営業利益につながってるの?」

 「それって、売上アップに必要なことなの?」


 という、A2サイドからのクレーム。


 「それって、生徒さんじゃなくて、お金の方を向いてレッスンしてるだけでしょ?」

 「それって、生徒さんに喜んでもらえてるの?」


 というB2サイドからのクレーム。


 そういう場面は、本当にたくさん。

 社交ダンスに限らず、どこの世界でも見られます。

 その世界その世界で、その人その人で、この競合の調停をしなければならないんでしょう。

 

 

 社交ダンスの先生は、まず、「競技選手」と「インストラクター」という2つの顔を両立させ、協働させる必要があるということ。

 そして、さらに、「競技選手」と「インストラクター」それぞれにも、質の異なる2つの顔があって、それを両立させ、協働させる必要があるということ。


 そんな複雑なことを、実は、やっている仕事なんだと気付きました。

 

 そして、この2重の協働を「バイロジック」の作動によるものとして、表現できそうだと思います。


 ************************************* 


 こういうのは、社交ダンスの世界に限らず、いろんな世界に置き換えて考えるとおもしろいと思います。

 

 【整体師にとってのバイロジックの構造】

 【小学校の先生にとっての・・・】

 【農家にとっての・・・】

 【料理人にとっての・・・】

 【デザイナーにとっての・・・】

 【医者にとっての・・・】


 世の中にある仕事や活動の多くは、芸術的側面を持っているから、バイロジックが作動する様子を観察できるんじゃないでしょうか。


 完結編ということで、ちょっと長くなりました。

 

 人間には2つの知性がある。


 とても刺激的な思想です。


 その現象形態を、現実の世界で、身の回りから見つけ出して、確認していくうちに、もしかしたら、"新種"を発見できて、新しい思想を構築できるかもしれません。

 

 そんなことを考えると、わくわくしてきます。


 シリーズはここで終わりです。


 次回からは。


 どうしようかな・・・


 また、身近に素材を見つけて、出来たら、シリーズもので書きたいと思います。

 (ネタが見つかるまで、「閑話」が続くかも・・・)

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