≪今日から10月。この地面を雪が覆うのも近いようです。≫
自転車で札幌の街を駆っていきます。
街中には、至る所にハトの群れ。
うずくまったり、何かをついばんだり。
人間を見上げて何を思っているんでしょうか。
「こいつ、えさくれへんかなー。」
「何、見てんねん。さっさと行けやー。」
そんなことを考えてたりして。
自分と目の前のハトが、「違う」ものであると認識しながらも、ハトの視点を想像するという行為。
こういうのを、2つの知性の協働作業と呼ぶんでしょう。
今、自分の頭にあること。
それは。
自分はハトではありません。
人間です。
ということ。
「自分」 = 「人間」 ノットイコール 「ハト」
そういう図式を頭に置いています。
あまりにも当たり前すぎて、意識すらしません。
でも、ハトを見る時に、自分の頭の中では、こんな図式が表示されているはず。
これは、完全に論理的思考。
数学です。
それを頭の中のどこかに置きながら、一方では、「自分がハトだったら・・・」的な状況を想像する。
自分とハトは、イコールで結べないことを知っているのに(矛盾していると知っているのに)、あえてイコールで結んだ状況を考えようとする。
こういうのが、"対称性の思考"と呼ばれる知性の働きなんでしょう。
くどくなりましたが、自分の言葉で説明するとこんな感じです。
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いろいろと中断がありましたが・・・
今回で完結。
このシリーズを、いちよう締めたいと思います。
"論理"と"情緒"という、2つの知性の協働作業。
この協働作業は、「複論理(バイロジック)」と呼ばれ、
これが、人間の内部で行われている。
そして、現代は、"論理"が肥大した時代で、"情緒"の知性も復活させたほうが良いのでは?という提言。
だいたい、こういう流れの内容だと理解しています。
中沢新一さんは、"情緒"ではなく、"対称性の思考"という名前で呼んでいます。
厳密には、違う所もあるのでしょうが、ここでは、"論理"に対してイメージしやすい言葉に置き換えて考えてきました。
人間の中からバイロジックの健全な作動が損なわれた中で、未だに、その活動が息づいている領域。
中沢さんは、それを「芸術」に見出しています。
社交ダンスには「芸術」の側面があります。
なので。
社交ダンスの世界では、人間本来の知性の働かせ方が今も生き残っているのではないか。
そう考えても、たぶん間違ってはいないと思います。
そこで、前回まで、バイロジックの具体的な現象形態として、
① 競技選手(パフォーマー)(論理:論理的思考の知性)
② インストラクター(情緒:対称性の知性)
という2つの側面を設定してみました。
でも。
後で考えてみたら、これだけでは不十分な気もしてきました。
というのは。
競技選手の中にも、また「論理」と「情緒」の部分がある。
インストラクターの中にも、また「論理」と「情緒」の部分がある。
と思ったからです。
まとめると。
【社交ダンスにおけるバイロジックの構造】
1."論理"―――競技選手(パフォーマー)――"論理"= A1
"情緒"= B1
2."情緒"―――インストラクター―――――――"論理"= A2
"情緒"= B2
A1は、「こうすれば、こうなる(こうならないといけない)」という、がちがちの数学の世界。
ステップについての教科書があって、そこでは「こういう規則にそって、このタイミングで、この方向に、こういう力加減で、こういう角度で足を踏み出す・・・」といった、"型"が存在します。種目ごとに、ステップごとに、男と女ごとに。
B1は、気持ちの命ずるままに動こうとする、情動の発露。
ダンスに対する世間一般のイメージは、これに当たると思います。
無軌道で、予測のつかない情動だけに身体が駆動される領域。
相手と音楽と照明とフロアと観衆と一体になって、日常とは違う世界に旅立ってしまう部分。
競技選手は、A1とB1の協働作業によって成り立っていると言えそうです。
つまり、体系化された秩序に拠りながらも、内部から湧き出る情動によって、そこからはみ出すことを常にうかがっているという姿勢。
こういう、質の違う2つの態度によって、支えられていると言えそうです。
一方。
A2は、社交ダンスインストラクターという職業を成立させる上でのシステムの領域。
一言で言うと、"ビジネス"と言えそうです。
生徒さんに教える上で、各種イベントに動員する上で、スタジオを経営する上で、必要とされる"技術的な"スキルを研鑚することが至上目的となる部分。
B2は、相手との会話を楽しみ、無理な売込みを極力避け、相手の満足度を最優先する領域。
"ビジネス"に対して"ボランティア"とでも呼べるでしょうか。
赤字にさえならなければ、みんなに喜んでさえもらえれば。
そんなことを優先する部分です。
そこから、"新庄シート"(元日本ハムの新庄選手が、自腹でシートの一角を買い取って、子ども達を招待するというシステム)という発想なんかが生まれるんだと思います。
"ビジネス"の観点で見たら、頼りなく物足りない部分かもしれないですね。
短期的に見たら、その分の料金が観客からもらえないことになるので。
A2とB2は、往々にして競合します。
「それって、営業利益につながってるの?」
「それって、売上アップに必要なことなの?」
という、A2サイドからのクレーム。
「それって、生徒さんじゃなくて、お金の方を向いてレッスンしてるだけでしょ?」
「それって、生徒さんに喜んでもらえてるの?」
というB2サイドからのクレーム。
そういう場面は、本当にたくさん。
社交ダンスに限らず、どこの世界でも見られます。
その世界その世界で、その人その人で、この競合の調停をしなければならないんでしょう。
社交ダンスの先生は、まず、「競技選手」と「インストラクター」という2つの顔を両立させ、協働させる必要があるということ。
そして、さらに、「競技選手」と「インストラクター」それぞれにも、質の異なる2つの顔があって、それを両立させ、協働させる必要があるということ。
そんな複雑なことを、実は、やっている仕事なんだと気付きました。
そして、この2重の協働を「バイロジック」の作動によるものとして、表現できそうだと思います。
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こういうのは、社交ダンスの世界に限らず、いろんな世界に置き換えて考えるとおもしろいと思います。
【整体師にとってのバイロジックの構造】
【小学校の先生にとっての・・・】
【農家にとっての・・・】
【料理人にとっての・・・】
【デザイナーにとっての・・・】
【医者にとっての・・・】
世の中にある仕事や活動の多くは、芸術的側面を持っているから、バイロジックが作動する様子を観察できるんじゃないでしょうか。
完結編ということで、ちょっと長くなりました。
人間には2つの知性がある。
とても刺激的な思想です。
その現象形態を、現実の世界で、身の回りから見つけ出して、確認していくうちに、もしかしたら、"新種"を発見できて、新しい思想を構築できるかもしれません。
そんなことを考えると、わくわくしてきます。
シリーズはここで終わりです。
次回からは。
どうしようかな・・・
また、身近に素材を見つけて、出来たら、シリーズもので書きたいと思います。
(ネタが見つかるまで、「閑話」が続くかも・・・)
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