以前、友人にDVDを貸してもらいました。
画面が立ち上がり、暗闇からフェイドイン。
サーサーと、静かに降る雨の中、1人の女の人が立っていました。
かさもささず、裸足のままで。
庭でしょうか、地面には芝が植えられています。
その場に立ち止まり、時たまゆっくりと足を動かしています。
彼女は目をつぶっています。
「こうしていると、自分の感覚が研ぎ澄まされる感じがする。
生きている実感を持てる。」
おそらくその女性のものと思しき声が、そう告げていました。
タイトルどころか、ジャンルも教えられずに見始めたぼくは、
導入部の意味を理解しようと、
画面に釘付けになっていたように記憶しています。
「この後どういう展開になるんだろう?」と、
どきどきしながら見ていた気がします。
心がざわざわと、さざ波立ってくるのが分かります。
この映画が、いわゆるどういったカテゴリーに分類される映画なのかを理解しようと、
画面のあらゆるところに、その手がかりを見出そうとします。
アクション?コメディー?ドキュメンタリー?ホラー?
(映画のジャンルというものを良く知らないので、
これぐらいしか思いつきません...)
ジャンルは何?
女性の何気ないしぐさが、
この物語の中核を表象しているように思えます。
波風の立った心には、
ため息でさえも神のお告げに聞こえてしまいます。
場面が変わり、ほどなくタイトルがセンターに。
見ているうちに、
「あぁ、この手の話なんだな。」と理解し始め、
心の水面が徐々になぎ始めてきます。
そういう実感の後、だんだんと安心(?)し、
いつものような映画鑑賞モードへ。
こういった仕方で、映画を見ることがなかったぼくにとって、
これはとても興味深い学びの場でした。
つまり、事前情報が一切ない状態で作品に触れるという経験です。
逆に言うと、ふだん映画を見るとき、
ほとんどの場合、ぼくは前もって心の準備をしているということです。
あぁ、これはコメディーだから気分を楽にして見よう。
悲しい話っぽいから泣く準備をしておこうかな。
これから触れる作品に対して、
意識のチャンネルを合わせておく。
こんな感じでしょうか。
意識しているかどうかに関わらず、
自分はそういう心の準備をしているように思えます。
だから、
何の事前情報のない状態で作品に臨むとき、
作中の何気ない場面に対しても敏感に反応してしまうみたいです。
これは、映画に限りません。
絵画を鑑賞するとき、本を読むとき、料理を食べるとき...
全米が泣いた!
美術界の地殻変動!
今年最高のミステリー!
スイーツの最高金賞!
などなど。
宣伝文句であったり、自分の過去の経験であったり、
そういうものを参考にして、
作品に触れる前からそれに対する態度の根幹を組み上げておく。
実際に自分の目で確かめてから評価する。
と公言する人も、
事前にインプットされる情報からは自由ではないはず。
まっさらの状態で作品に触れるということは、難しいようです。
ちなみに、この映画の中身はと言うと、
死期の迫った若い女性が、自分のパートナーとこどもに向けて、自分のいない生活へスムーズに適応していくための準備を、生前に行っていくという内容でした。ざっくり言うと。
人生でとても大切なことをテーマにしていた映画のわりに、くどくなく、さっぱりと心に響く作品だったと思います。ぼくは好きです。こういう映画。
今回はこの辺でzzz
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