#142 獣の奏者と人

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          ≪四方に延びる幻想世界。ろうそくの灯かりは不思議です。≫


ぼくの好きなお話に 


獣の奏者エリン』。


というものがあります。


上橋菜穂子さん原作で、2009年にNHKでアニメ化された超人気作品です。


今年のお正月の再放送で出合いました。

獣の医師である少女エリンが、

獣と人間の関係はどうあれば良いのか、

という問題意識を胸に、

様々な出来事に立ち向かっていくというお話です。


テレビをつけていたらやっていたので、それとなく見ていました。


最初は、ただほんわかしただけの、

「癒し系の」アニメかなと思っていましたが、

どうもそれだけではないものを感じ、

ひきこまれていきました。


特におもしろいな、と思ったところは。


      おとなし笛


という道具が出てくるシーンです。


その名の通り、獣をおとなしくさせる笛のことです。


人間には聞こえないけど獣には聞こえる音。

獣が暴れたときにそれを吹くものです。


がおー!と奮い立った獣も、その音を耳にすると、

ぺたー、とひれ伏し、気を失う。

 

「音無し」と「おとなしい」。


うまいな~。


同じく獣の医師であるエリンの母親が、

 

            それを吹いたときに、悲しい気持ちになる。

            心が冷たく凍るような気持ちになる。

 

と告白するシーンがあります。


むちで打つという激しさはないものの、

獣の感情を強制的にコントロールすることについて、

エリンの母親は何かしらの後ろめたさを表明しているようでした。


ここにはとても大切なことが含まれていると思います。

 

それは、

 

              獣に対する態度

 

についてです。

獣をただの道具だと見てしまえば、

「おとなし笛」を使うことには何の違和感もない。

むしろ人間の身を守り、獣の身も傷つけない、合理的な手法。

 

でも、

獣を人間のパートナーだと見ると、

人間の都合で感情の高ぶりをコントロールする行為に「操作性」を感じてしまう。

こんなことして良いのか...と自問することになる。


どういう立場を支持するかによって、

「おとなし笛」に対する態度も変わってきそうです。


これって、獣医さんが動物に向かうときに必ず問われる問いだと思います。

いや、獣医さんに限らないですね。


          動物のことをどう見るのか。

          どういう態度をとるのか。


動物が人間の生活にこれだけ浸透した今の世界では、

そういう問いは、望むと望まざるとに関わらず、

人間みんなに向けられた問いかもしれません。


この動物は食べ物。

この動物は競争するための道具。

この動物はかわいい家族。

この動物は実験するための道具。

この動物は害獣。

この動物は...

 

こうやって「動物」という大きなカテゴリーを、

人間にとっての有用性の度合いで線引きをする。


          人間にとって役に立つか立たないか。

 

これが、動物に対する態度を決定付ける1つの基準のようです。


動物のことを


人間にとって役に立つから存在するのだ。

役に立たないものは必要ないものだ。


と考える立場では、


獣医さんが動物を治すのも人間に役立てるため。

競走馬を育てるのは、速く走る姿を示して、人間に刺激を与えるため。

牛や豚を育てるのは人間が食べるため。

ペットを飼うのは人間の精神の健康のため。

 

動物に対する態度がそれだけになってしまいます。


でも、もっと違う感覚があるはずです。

というよりも、あってほしい。


こういう無機質な表現でしか動物との関係を語れないなんて思いたくない。


そう思います。

 

他の人のことを役に立つか立たないかで判断することに

後ろめたさを感じるように、 

人間には、動物に対してもそう思う傾向があるように思います。

  

だから、動物に対して

「かわいい」とか「かわいそう」とかいった表現が出てくるのだと思います。


          豚肉をむしゃむしゃ食べながら、

          畜舎にひしめく豚の行く末を思い、

          「かわいそう」と言う。


ぼくはそれを偽善だとも思わないし、

神妙な顔をして食べる必要もないと思っています。 


だって、本当においしいんだから。

だって、本当にかわいそうなんだから。

人間から見ると。


それが、正直なところだと思います。


大切なのは、その一見矛盾しているような感情をどう整理するか、

だと思います。


「かわいい」「かわいそう」という直感を封印し、抑圧し、ただ淡々と肉を食べる。

機械を見るのと同じ視線で豚を観察する。


そんなことは不可能だと思います。

 

ぼくは、


べイブ」が農場をちょこちょこと走り回っている様子に目を細めながら、

豚キムチやしょうが焼きをおいしいと思って食べますし、


畜舎を見学に行けば、

成豚は今いくらで出荷されてるんですか、なんかを質問しながら、

「ものすごい勢いでえさ食べてるな。かわいいな。」と思ったり、

「人間に食べられるためだけに生きてるんだな。かわいそうだな。」と思います。

 

自分がその肉を、命をいただくからと言って、

「かわいい」とか「かわいそう」とか言ってはいけない、思ってはいけない、

と考える必要はないと思っています。


矛盾を解消するために一方の感情を抑圧してはいけないと思っています。

タブーにする必要はないと思います。


なぜ「かわいい」「かわいそう」と思うんだろうか?

なぜ「かわいい」「かわいそう」と思ってはいけないと思っているんだろうか?


そうやって、突っ込んでいったほうが良いかなと。 

 

きっと豚を飼育している畜産農家の方は、

「こいつら手がかかるなー。でもかわいいところもあるなー。おいしい肉になってほしいなー。でも、こいつらの運命を考えるとかわいそうに思うなー。」

と、いろいろなことを考えながら接していると思います。


ん~、でも人によるかな。


         豚は野菜と同じ。

         野菜は出荷するまで愛情をこめて育てるけど、豚も同じ。


                         (『フィールドワークへの挑戦』 比嘉夏子稿)


というところもあるようだし。

もはや「かわいい」とか「かわいそう」とかいった感情の対象ではない、

という感じでしょうか。


これは、比嘉夏子さんの沖縄の豚肉食文化の調査にあった記述です。

 

豚が生活の一部に溶け込んだため、

「豚が生まれてから育ち、殺され食べられる」

というサイクルがあまりにも「あたりまえ、自然」になっている状況を

描き出したものです。


動物との関係。

それをどうとらえて良いのか。

 

こういうことを考えるのは大切なことのような気がします。

 

今回はこの辺でzzz

 

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