5月も中旬。
札幌はだいぶ暖かくなってきました。
と言いたいところですが、
まだまだ風が冷たいのです。
ぼくはまだストーブを点けており、
日々、春遠しの感を深めています。
さて。
今年から北海道大学文学研究科に研究生として進学しました。
なので、
大学の食堂でごはんを食べることも増えてきました。
今日の発見。
大学の食堂にはいろいろなチラシが置いてあることが多く、
発見は、そのうちの1つについてです。
『語学留学』
はがきサイズよりもひとまわり小さめの紙に、
そう書かれていました。
水色の用紙に黒色の文字。
飾りの少ない、シンプルな外観です。
視線の流れを横切り、
風景の一部としてそのままフェイドアウトする予定でした。
しかし、1つの言葉が目に留まりました。
「参加無料・入退場自由」
右上に小さな文字でそう書かれていました。
別に気に留めるほどでもない、
ありふれた表現のようにも思えますが、
ぼくは、特に後の方、
「入退場自由」の部分に気を引かれました。
まず最初に、
何これ?わざわざ書くことかな〜
そう思いました。
初めて見ました。
何かのセミナーなんかの参加者募集のチラシにも、
今の時代、こういうことが書いてあるんでしょうか。
「入るのも出て行くのも自由だから、気軽に来てね!」
みたいな感じでしょうか。
ぼくは、そんなの別に書かなくても良い気がします。
こんなことを書かなくても、
自由に入ってきたり出て行ったりするんだから。
ちなみにぼくは、ある特定の空間で誰かが何かを話している時に、
他の聴衆の誰かが出たり入ったりしていると気が散るし、
話し手だって良い気分はしないと思います。
でも次に、
そういうのも(わざわざ表示するのも)有りだな〜
と思い直しました。
なるほど、今はこういうのが宣伝文句にも使われているんだな〜
と。
最初は、
うっ!?・・・
と、拒絶反応を起こしたのに、
ひと呼吸の後に、
おもしろい!
と、態度を翻す。
何とも無節操。
ぼくはこういうことをよくやっていると思います。
自分の経験にないもの、知らないものを
まずは、「無条件におもしろい」ということにする。
そういうことにする。
(#23『SalyuのtoU』#31『金子みすずの"みんな"』)
そして、何だこいつは?これって何なんだ?
という目でいろいろ遊んでみる。
なぜかは知りませんが、
こういう思考経路をたどっているようです。
たぶん、そうした方が得なことが多い、
と直感的に知っているからかもしれません。
おもしろかったら笑うというよりも、
相手から「おもしろそうな」ことを言われたら笑う、とか、
相手から、今からおもしろいこと言うぞ、
という雰囲気を感じたら、それに乗っかって笑うとか、
なんというか、
おもしろいかどうかを判断してから笑うのではなく、
おもしろいかどうかよく分からなかったら、笑うことにして、
後から、本当におもしろかったかどうかを考えてみる。
そんなことをしてみると、
おもしろいと思います。
現実にも、
おもしろいから笑う、
という場合は少ないかもしれません。
おもしろいかどうか分からないけど、
たぶんおもしろい気がするから笑う。
そういう場合がほとんどのような気がします。
おもしろいから笑うんでしょ。
そんなの当たり前。
という説明に物足りなさを感じるので、
自分で勝手に考えてみました。
何より、
おもしろさを定義することはものすごく難しいことだと思います。
漫才や小話がインプットされる
→ 脳(身体)がおもしろいと判断する
→ 笑う
という、論理立った説明には物足りなさを感じます。
たぶん、違うと思います。
人間は、こういった順序立った説明では語れないと思っています。
話が飛びましたが、
「何これ?」と思ったら、そして、
それが「たぶんおもしろい」と直感したのであれば、
ひとまず自分にとって「おもしろいもの」としてストックして、
いろいろ触ってみる。
そういうことをすると、
人生はもっとおもしろくなるかもしれません。
今回はこの辺でzzz
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