#158 人を嫌いになるのは悪いこと?

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《札幌の豊平館。水色の空に水色のボディ。背景に溶けていきそうです。》
おおあさ駅。

ぼくの住まいの最寄りの駅。
漢字で「大麻」。刺激的な名前の駅です。
いつもここから移動します。
今回はその車中でのひとこまです。

大麻駅で乗車。車内は閑散としており、乗り込んだ車両には、
中年の男性と中年の女性が1人ずつ、離れて座っているのみ。
他に乗客はおりません。

豊富に空いている座席から、
座り心地の良さそうな1つを選び出し、体を預けに行きます。
リュックをおろし、一息ついた後、
ごそごそと文庫本を取り出します。
ちょうど真ん中ぐらいにはさまっていたしおりを取り出し、
続きから読み始めます。

しばらくすると、
通路をはさんだ斜め前に座った中年の男性の咳き込みが、
耳に障るようになってきました。
時には間を置いて、時には連続して、ごほごほと咳き込む。
時間が経ち、ごほごほの回数が増えるたび、
排他的な気持ちが抑えられなくなってくる。
あと約15分で着くであろう札幌駅で、
彼が降りてくれることを願うようになる。
SONYのウォークマンを持ってこなかったことを悔い始める。
こうして排除の気持ちが高まるとともに、
他人に対してこういう思いを抱く自分をどう評価して良いかについての思案が起動してくる。

しかし、いったん、自分の中に持ち上がったイラ立ちは、
なかなか和らいではくれず、
文庫本に向けているはずの意識が
完全にこのイラ立ちに支配されていることを自覚。
そうなると、彼の一挙一動が全て、自分の心に不快をもたらすようになる。
理不尽だけど、人が人を嫌悪するということの起源を見た気がする。
こうやって人を嫌いになっていくのだと。

以前出合った本に、
中島義道さんの

                (角川文庫 2008年)

というものがあります。

ここには、

    人を好きになることが自然なことのように、
    人を嫌いになることも自然なことだ

ということが書かれていました。

おお〜、新鮮だ。

人は、人を嫌ってしまった自分を、
あたかも決定的な禁をおかしてしまったかのようにとらえ、
その感情を無かったことのように抑圧しようとする傾向があるようです。

でも、

何となく嫌い、とか、何か嫌だ、というのは、
日常的にとてもありふれた感情だと思います。

その感情を認めた上で、それにふさわしい距離感を構築していこうとするのが、
大人の対応ではないかと。

この本には、そういうことが書かれています。
ものすごく勉強になります。

わき上がる感情に対して、
「ああ、こんなこと思ってしまう自分はだめなんだ。おかしいんだ。」
といって自責の思考を始める前に、

「なるほど、自分の根源的な感情はこれなんだな。
じゃあ、これを前提に、いかにうまく人と折り合いを付けるかを考えよう。」
と考えて、次なる行動を発想していく。
嫌いなりのつきあい方を見いだしていく。
そういうのが大切かなと。

発想の前提を見極めるということでしょうか。

社交ダンスは、人と人との交流が前提です。

その世界に長くいるためか、
人と人との関わり合いについて、
心が向くのかもしれません。

だから、世にある、
人間関係についての考えにひかれるのかもしれません。

また後ほど。

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