#159 所属しないとダメですか?ー専属とフリーランス

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《改装中の"どんぐりばし"。おおあさの名所になる日も近い?》
社交ダンスの世界には、社交ダンスの先生がいます。
当たり前ですが。

大きく分けると、

     教室に専属で所属している先生と、
     フリーランスの先生。

前者は、一つの教室に所属し、月曜日から土曜日まで毎日同じ職場に赴く。
後者は、複数の教室と契約し、自分と顧客の都合を優先した時間帯に職場に赴く。
ざっくり言うとこんな違いです。 

ぼくは、今年の2月末まで「専属」でしたが、
今年の3月からは「フリーランス」になりました。

「フリーランス」という言葉は、
日本ではあまりなじみがありません。
日本人は、おそらくこの言葉を聞くと、
「フリー?フリーター?定職に就いてないんでしょ?」
という反応を示すのではないでしょうか。

「フリーランス」というのは、職業形態です。
会社に雇用されて定期的にサラリーをもらうという形態ではありません。
サラリーはもらうんだけど、それは自分で調達する。
自分で企画して新商品を開発して、自分で営業して仕事をとってきて。
そういう職業形態のことです。

会社は、定期的な収入を保証してくれる(はずの)自分より大きな組織です。そこに所属していると、1年先も10年先も、もしかしたら一生、自分の収入を保証してくれるような気になります。

一方、フリーランスは、全てが自分。
会社経営に関わる全てが自分にのしかかってくる。
仕事をとってくる営業でもあり、新商品を開発する企画者でもあり、
経費と収入を管理する経理でもあり、最終判断を下す社長でもある。

それが、一人の人格の中に同居する。(なかなか刺激的な存在です。)

さて。
社交ダンスの世界では、
どうもこの「フリーランス」に対しての風当たりが強い。
日本社会がそうなのかもしれませんが、
社交ダンスの世界も例外ではありません。
これまでの経験から、ぼくはそう確信しています。

ぼくは、
北海道プロダンスインストラクター協会(HP/DIA
というところに所属しています。

「専属」だった頃から感じていましたが、
程度の差はあれ、「専属」側にいる人は、
「フリー」側にいる人を「自分達よりも一段劣った存在だと認識している」ふしがあるのです。

その理由は、いろんな人からの話を総合すると、
以下の点に集約されそうなのです。

●「専属」の先生は、競技会に出場し、その中での技術研鑽を通してサービスを顧客に還元するが、「フリーランス」の先生は、競技会に出場せず、
従って、未熟な技術にも関わらず顧客へのダンス教授を生活の糧にしている。
それは、社交ダンス界の評判低下に直結する。

●「専属」の先生は、毎日同じ教室に通うことによって、
組織で働く上での作法を学ぶのに対して、
「フリーランス」の先生は、同じ職場に通うことができず、
仕事上の関係を築く上での素養に欠けている。

だいたいこんな感じでしょう。

もっと言えば、

お遊びでやっている。ホスト的。技術的に劣る。
落ちこぼれ。脱落者。

こんな評価でしょう。
なかなか厳しいものがあります。

「専属」は定職、「フリーランス」はその日暮らし。
そんな位置付けなんでしょう。

つまり、
しっかりとしたものを教えることで営業している「専属」の先生と、
いいかげんなものを教えることで生活する「フリーランス」の先生。

こういう二項対立の図が、
「専属」側の先生には共有されているようです。
その証拠に、「専属」と「フリーランス」の交流はほとんど見られません。
特に仕事上の交流は。

もしかしたら進化論的な構図が頭にあるのかもしれません。

**********************************************************************
非所属(フリー) → 所属初期(見習い) → 
  → 所属中期(専属) → 所属後期 (→ 独立)
**********************************************************************

社交ダンスの教師は、
みな一律にこの階段をのぼっていくものだという構図が、
みんなに信じられているのかもしれません。

そこからはみ出した者、ある段階で留まっている者は、
進化を放棄した脱落者であると。

この図式で言うと、フリーランスの先生は、
先生と呼ぶのもはばかれるほど、
進化の階段に足もかけていない段階であると言えるかもしれません。

職場にも明確に違いがあります。
「専属」の先生の活動場所は、「ダンス教室」。
「フリーランス」の先生の活動場所は、主に「ダンスホール」と呼ばれる場所。
現実的にも法的にも、そのような線引きがなされているようです。

こういう言説に対して、おかしいと思うところはいくつもあります。
なぜ、単なる「働き方」の違いだとしてほっておかないのか。
「ああ〜そういう働き方もありだよね。」という意見が共有されないのか。
なぜ「専属」と「フリー」を、それほど明確に線引きする必要があるのか。
なぜ、社交ダンス教師の生き方を単線的な進化に還元しようとするのか。
なぜ「フリーランス」だと技術的に未熟なのか。
そして、なぜ社交ダンス教師の提供するサービスを技術だけにしか認めようとしないのか。
ホスト的な要素は排除されるべきなのか。
そんな小さな内輪もめによって、どんな良いものが生まれるのか。

いろいろと。

いぶかしみの目を向けられている「フリーランス」。
そして、その立場になった自分。
さてさて、これからどうやって生きていこう。

今回は、「専属」側からの目線で。
自分が「専属」だった頃、「フリーランス」の先生達に対して、
やはり心のどこかで蔑んでいた。
それが自発的なものであるか、周囲の影響かは分からないけど。
自分達「専属」の方が、立場が上のように考えていた。
それは隠しません。

でも、今は逆の立場になって思います。
その時の優越感に理由はない。
理由はあったとしてもかなり幼稚なもの。感情的なもの。
むしろそれによって損なわれるものの方が多かったと。

収入の面で見ても、「専属」よりも「フリーランス」の方が利益率は高い。
精神衛生の面から見ても、「専属」よりも「フリーランス」の方が効用は高い。
企画の面でも「専属」は「フリーランス」に学ぶべき点が多い。
(組織の圧力を気にせず、自分の発意を試すことができる。)

特に最後の点、
組織が大きくなればなるほど、そして、
「専属」教師が自由に発言できない雰囲気であればあるほど、
組織の代表者(経営者/オーナー)が常に企画し続けなければならない。
人数がいても雰囲気によっては、
「あれやってみましょう!」ということが封殺されてしまう可能性がある。

一つのビジネスモデルを成功パターンとして
恒常的に維持していくことは不可能だと思っています。
状況に応じていくつものパターンを作るべきだと。
そんなのはビジネスの世界では当たり前。
当たり前すぎて誰も言いません。

その観点から見ると、
「専属」は基本的に上の立場の人間に従属することになります。

そんなこと言わずに上に進言すれば良いじゃないか、
とも思いましたが、ぼくはそれができなかったので、
自分ですることにしました。

今回はちょっとラディカルな内容になりました。

でも。

「社交ダンス教師という仕事」というタイトルに
相応しい内容だったかな。 

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