#170 その属性とどう付き合うか?

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《北海道大学の古河記念講堂。外壁の白と木漏れ陽がとてもとても美しい。》

人には、いろんな肩書きがあります。
各々の名前であったり、
男とか女とかいう性別であったり、職業であったり、
背が高いとか、美人とかいった外見であったり、
雪国に住んでいるとかいった居住地であったり。

別の言い方をすれば、IDとも言えると思います。

「私は社交ダンスを教えています。」という表明をすると、
必ずと言っていい程、
「姿勢が良い。」とか「礼儀正しい。」とかいった目で見られます。

肩書きというか属性というものは、
人が人を見るうえで、
確実に何かの影響を生むファクターでもあります。 

先日、泉ピン子さん主演の刑務所の話を見ました。

「前科持ち」

という属性を帯びることで何が起こるのか、
何が起こらないのか。

そういうことが描かれていました。

   あの人は、前科持ちだからシャットダウン。

現実はそう単純ではないようです。

作品の中で蟹江敬三さんがとった態度のように、
前科持ちだけど自分にとって大切な存在なのかもしれない
・・・といった部分も出てくるかもしれない。

もちろん、前科持ち、犯罪者の印象に違わぬ極悪人だっているかもしれない。

そういうレッテルというか属性というものは、
その人に対する態度を事前に準備しておく意味で、
有益な情報なのかもしれません。

しかし、

実際にその人と接する上で、
そういう属性というか事前情報というのは、あんまり役に立たない。

もちろん、
前科のある人に接する時に、
こういうオープンな態度をとるのは、
かなり無防備なのかもしれません。

しかし、
前科があるからといって、みんながみんな悪人だとは限らない。
そういう意見もあると思います。

それは誰に対しても言えることだと思います。
自分がその人に近づくかは離れるかは、
そういうレッテルとは別の所にある、何と言うか、
「あ、この人とは付き合っていけそうだな。」といった、
直感のようなものに負っている所が多いのではないかと。

肩書きというか、レッテルというか、属性というものは、
所詮は特定の状況で特定の人達が作り上げた、
とても個別的なものだと思います。

不特定多数の相手に
「自分はこういうものです」と
表明することも大切なんでしょうが、そういうのは、
所詮うわっ面に過ぎません。

その人のことを本当に知りたければ直接ふれ合うしかない。
そう思います。

そう思いながら、できていない現実を顧みて、
なぜ出来ないのか、
なぜ出来ていないままでも平気でいられるのか、
といったことを具体的に考えていきたいと思います。

なんやかんやと急がせて、
人と長く付き合えないような世の中が悪いんだ、
という言い訳に逃げずに。

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