気になることに対して、どう問いかけるのか?
これはけっこう大切なことだと思います。
自分の心をとらえるものに対して、
何が魅力なのかを見直してみる。
そうすると、
問いの形がより具体的になっていくと思います。
例えば、社交ダンスを例にとると。
社交ダンスにひかれる!
というざっくりとした意識でも良いのですが、
より具体的に言い直してみると。
大きく分けて次の2つに分類されそうです。
社交ダンスそのものにひかれる。
社交ダンスという世界にひかれる。
前者は、
社交ダンスを踊りたいという欲求につながっている。
後者は、
社交ダンスという営みが展開される世界への探究心につながっている。
このように言えそうです。
さらに言い換えると、
前者は、
「いかにかっこ良く上手に気持ちよく踊れるか」への興味が中心課題。
後者は、
「その世界の住人(教師や生徒・・・)はどのように生きているのか」
への興味が中心的。
ぼくは、どっちかというと、後者への興味が強くあります。
踊ることの中身というよりも、
社交ダンスの世界そのものについて。
社交ダンス界という社会集団に興味があります。
この世界を動かす原理のようなものを描き出したいと思っています。
後者に含まれる態度を考えてみると、
自分が人前で踊ることに心地良さを見いだせなくても、
「社交ダンスの世界にひかれる」という態度は可能だと思います。
つまり、
自分は人前に出たくないし、
自分自身が踊ることにあんまり興味はないという
「社交ダンス」にひかれない人でも、
「社交ダンスの世界」にはひかれる、
ということも可能だということです。
「社交ダンスという世界」が醸し出す
「優雅」とか「上品」とかいった世界にひたることで、
自分がその世界の一部になり、
居場所を獲得し、同一化を果たし、一体感を得る。
そんな関わり方も可能だと思います。
自分の心を離さないものに対して、
それに対する自分の好奇心が
どういう方向に向いているのかを明らかにしておいた方が
後々、得なことが多いような気がします。
ただ、
自分がひきつけられることを、
こうやって分析的に具体化していくのは、
自分がそれを研究したいからなんだと思っています。
それについてより深く考えることによって、
新しいイメージを作りたいと思っているからなんだと思います。
一方、
心ひかれるんだけど、木を彫刻刀で削っていくように、
いろいろなことを明らかにしないままでいたいという時もあります。
「好き」にも少なくとも2種類あって、
「なぜ好きか?」を詳しく明らかにしたくないときもあります。
(このことについては、こちらを参照ください・・・
→ #31『金子みすずの"みんな"ー好きの意味』)
そういう場合もあって良いことを忘れないようにしたいと思います。
なので、
ぼくが社交ダンスという世界を好きなのは、
言ってみれば、恋愛として好きというよりも、
研究対象として好きというか好奇心の対象として好きということだと思います。
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