#178 ドミナント・ストーリーからの逸脱―戦争が終わった日に

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《みどりに囲まれた水辺。さらさらとした薫風が心地良い。》


今日は65年前に戦争が終わった日。

自分が生まれるずっと前の話です。

あらゆる機関が戦意昂揚を至高目的に、

国民が戦争にのめっていく空気を作り出していたようです。


いつもこの季節が来るたびに思うことがあります。

それは、戦争を知らない1人の大人として、

過去の戦争をどうとらえれば良いのか、ということです。

どのように考え、対外的にどのような態度をとれば良いのか、

ということです。未だによく分かっていません。


戦争は悲惨である。だから、二度と起こしてはいけない。

というものくらいでしょうか。


ひとまず、

これをこれ以上さかのぼることのない思考の前提にして、

その後の発想を展開していきたいと思います。


さて。NHK制作の「15歳の志願兵」。

こういうプログラムがありました。


祖国のため、家族を守るため、という目的意識のもと、

陸軍に志願した15歳の少年と、志願したが検査で落とされた少年。


親友同士のこの2人が、出征を機に袂を分かつ筋立てでした。

学校の集会で、壇上に立ち、他の志願兵とともに、堂々と意気込みを語る友人。

志願しながらも出兵しない自分。

友人に対する後ろめたさから、彼を直視できない自分。

楽団が演奏する派手な楽曲の中、

日の丸で埋まった沿道をみんなに見送られて出兵していく友人。

そんな友人を見送りたいが、堂々と対面できない自分。


文脈は違えど、主人公の少年には共感するところがありました。


それは、

自分の所属する集団(この場合、日本)で美徳とされているストーリーから

はみ出す時に感じる圧力についてです。


その集団で目指されるべきストーリーというのは、

学術用語で「ドミナント・ストーリー」と呼ばれています。

どの世界にも、この「ドミナント・ストーリー」があります。


この志願兵の少年の周囲に流れる「ドミナント・ストーリー」は、

「身体を鍛え、礼節を重んじ、親を敬愛し、国と天皇のための勤労国民となること」です。


さらに言うと、「日本軍に志願し、前線で功績をあげる」ということです。


しかし、

この少年は身体検査で「不適格」の烙印を押されたことにより、

そのストーリーを歩めなかった。

歩もうと思っていたのに、歩めなかった。


周囲は、

「戦地に行きたくないから、わざと(視力検査で)見えないふりをしているんだろう!」と責め、

自分も出兵していく友人に申し訳ないと思い、

以前のように堂々と接することができなくなる。

そうやって、

「ドミナント・ストーリー」からの逸脱を周囲も自分も糾弾するようになっていく。


こういう構図は、いたるところで確認することができると思います。

ぼくはこういう分野にとても興味があります。


社会的に期待される行動、社会的に美徳とされる生き方。

自身の所属する集団に通底するストーリーが、

どのように個人を縛り、そこからはみ出すことがどのような意味を持つのか。

そんなことに興味があります。

その世界に流通するサクセスストーリーがどのように出来上がってきたのか。


ぼくはそれについて、

社交ダンス界というフィールドで研究したいと思っています。

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