札幌は、今日も快晴です。
高校野球が夏を伝え、
強すぎる陽射しが今年の猛暑を物語ります。
「ドミナント・ストーリー」からの逸脱、ということについて書きました。

「ドミナント」とは、dominant(英語)。
支配的な、とか、優勢な、といった意味だそうです。
つまり、「ドミナント・ストーリー」とは、
その集団の中に流れるドミナントなストーリー、
支配的な物語、
広く信じられている物語、
だということです。
これは、「常識」という別名でも呼ばれていると思います。
「ドミナント・ストーリー」、つまり「常識」からはみ出すということはどういうことなんでしょうか。
日本人は、目の前で起こっていることが「有りなのか無しなのか」、
それを判断する基準を自分の外に求めてしまう。
自分より上位に座する存在(というものを設定して)に、
正否の判断を仰ごうとする。
日本人には、そういう傾向があるようです。
「みんながやってないのにまずいんじゃない?」とか
「誰が考えたっておかしいでしょ?」
そういう言い回しを使って、
ぼくたちはその傾向をぴったりとトレースしているようです。
でも、
「あなたはこういう法則に従っているんですよ。」
「あなたは知らないかもしれないけど、実はあなたはこういう法則に従っていたんですよ。」
とか言われたら、
そこから出たいと思うのが人間だと思います。
この、「そこ」というのが、まさに「常識」だと思うのです。

では、「そこ」、
つまり、「常識」から外に出るためにはどうすれば良いんでしょうか。
ひとまず思いつくのは、
「誰もやっていないけど、まだ世の中にはないけど、正解か間違いか分からないけど・・・」
といって、
これまでの言い回し(ぼくたちの行動を担保してきた言い回し)に、
「けど」を突きつけることだと思います。
ひとまず。
しかし、実際にやってみると、とても不安になってしまいます。
先が見えなくなってしまいます。
とても恐ろしいのです。
ぼくは、既存のレールからはみ出すことを、
とても恐ろしいと思ってしまうので、
他の人よりも余計にそう感じているのかもしれません。
真に闘うフィールドはここにあるのかもしれません。
特定の敵と闘っているというよりも、
言葉では言い表しにくい空気のようなもの、
そういうものと格闘しているような感覚です。
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