#180 世界は演技に満ちている?

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《前方に伸びる遊歩道。ここだけひんやり。猛暑の中のオアシスです。》

この世界は演技に満ちています。

嬉しい時には嬉しい時にふさわしいような顔をすることが求められるし、
悲しい時には悲しい時の。

    嬉しいから笑うのか、笑うから嬉しいのか。

それは両方あるんだと思います。

なので、
この問いかけ自体、そんなに意味のあることではないと思います。

しかし、
そのことを指して、

「本当の感情はどこにあるの?愛想笑いばっかりしたくない!」
とか、
「悲しくないのに悲しいふりをしたくない!」
とか言って、演技を強いるプレッシャーを完全に排除して、
「純粋な」「真実の」自分の感情だけを表に出そうとするのは、
あんまり良いことではないように思います。

何ごとにも、その場にふさわしい態度というものがあるわけで、
知人のお祝いパーティーで、
自分は別に嬉しくないからと言って、
喜びの弁が交わされるまっただ中で無表情を貫くことは
良くないことだと思いますし、

知人の葬式に行って、
自分は悲しくないから他の人たちみたいに「悲しそうな」顔をしたくないと言って
そういう態度をとるのも良くないと思います。

嬉しかったり、悲しかったり、
自分はたいしてそう思えない時にでも、
やはり他の人と同じように、場を壊さないような振る舞いが期待される。

この社会で生きている以上、
そういう空気からは逃れられないと思います。

では、そういった空気といかにうまく付き合うか、
それを考えることが生産的だと思います。

社交ダンスは、
人に見てもらうということが前提になっているので、
その場、その曲、その振り付けにふさわしい表情や態度というものが
求められています。

踊り手自身が楽しいかどうかに関係なく、
楽しげな曲がかかっていたら、
踊り手には「楽しそうな」表情が期待されますし、
ムーディーな曲がかかったら、
色艶を交えた表情が期待されます。

ここで、
   「こんな曲聞いたって、私は全然楽しくない!
    だから、ふてくされた表情をして踊るわ!」

と息巻いても、
それはなかなか認めてもらえないことだと思います。

もし、そんな人がいたらとても違和感がある。
なぜ踊っているの?という声が観客から必ず出てくるはずです。

自分の感情とはちょっとズレるっぽいけど、
どこまでなら、この世界で流通する演技(表情)をすることを自分に許せるか、
という問題とも言い換えられそうです。

今、自分が抱く感情の表への出し方、
というのは、自分オリジナルのものはほとんどないと思います。

であれば、
その「表への出し方」は、他の人の身振りを真似る必要があるということです。

その「真似る」ことが感情に先行したり、
周りからの期待が感情に先行すれば、
自分の感情と態度の間に著しいズレを感じるはずです。

そうなった時にどうするか。
そうならないためにどうするか。

そうならないことは不可能だと思うので、
自分のストレスにならない範囲で、
自分の感情をだましだまししながら、
表に出す態度を考えていけば良いと思います。

そういう態度をとれるのが、
社会に生きる人、社会人なんだろうなと。

脂汗を垂らしてまで無理して迎合する必要はないと思います。

自分が嫌だと思わない範囲内であれば、
それは「楽しい」ということにしておけば良いし、
「悲しい」と言うことにしておけば良いと思います。

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