#181 続:世界は演技に満ちている?

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《札幌大通公園。養成中の芝に水やりです。このキラキラが夏の風物詩。》

今日の札幌もとても暑く。
夏らしくて良い、と、近々言っていられなくなりそうです。

前回の補足です。

10年程前、帰省して旧友達と麻雀に親しんでいたときのこと。

ある同級生が交通事故で泉下の人になったということが話題になった
ことがありました。

ぼくは、「常識的に」、「そうなのかー。」といった、
哀悼の意を表明する言動を示したように記憶しています。

それに対して、
ある1人の反応が印象的だったのを覚えています。
それは、
          「偽善者め。」

というものです。

 本当は悲しくもなんともないくせに、
 悲しんでいる演技をして善い人間だと思われたいだけなんだろう。

そういうメッセージを裏に表に感じました。

その時のぼくは、今よりももっと幼かったので、

「偽善者ではない態度が君みたいな態度
(社交辞令的な匂いの強い哀悼の態度を全て偽善という名で攻撃する態度)
しかないのであれば、自分は偽善者でもいい!」

つまり、君みたいな態度をとりたくない、
といった反応をしたような、心で思っただけかも知れませんが、
そんなリアクションをした気がします。

今思うと、どちらもとても極端だと思います。

その友人は、

「社会に生きる人間の態度はかくも演技に満ちている」、
ということを看破し、
その構造から外に出ようとしていたんだと思います。

そのもがきを間近に目撃した瞬間だったと思います。

それに対して、
「じゃあ、おれはその逆!」というふうに、
反動的に感情的にリアクトしたのだと思います。

今は、わりと考えがユルくなったので、
世にある主張に対して真逆を主張すると言った短絡的な反応ではなく、

「確かに演技の部分もあるだろうけど、
それってどういうメカニズムで起こっているの?」

とか考えたり、

「演技であったとしても、それでもその演技の共同体に参加する必要もあるよね。」

とか、そういうふうに考えるようになりました。

とても当たり前だと思いますが、
人間の生きる世界では、
いくつもの行動原理、法則が常に両極に振れながら、
他の法則ともからみあいながら、作動しているように思えます。

さらに言えば、
法則が作動している中に人間が入っていくというよりも、
人間の瞬間瞬間の行為がそういった法則を
その都度作り上げていっては、修正され削除され、
また新しく生みだされている、

という説明の方がしっくりくるような気がします。

要するに、複雑だということですね。
だからこそ、記述しがいがあるというものです。

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