それは2つ。
1つ目は、
「社交ダンスが日本の社会に必要なものになってほしい」ということ。
2つ目は、
「多様な社交ダンス教師像があってほしい」ということ。
社交ダンスというものが世の中の人々に認知され、
大切なものとして扱われるようになってほしいと思っています。
また、
それに携わる人々、それを職業にしている人々が、
この仕事を通じて各々に固有な生を謳歌することが礼賛されるようになってほしい
と思っています。
そうなれば良いなと。
しかし、この2つ。
矛盾する場合が出てきます。
「ダンス教師の生き方は多様なのが良いよね。
ダンス教師に許された生き方が1つしかないって言うのはおかしいよね。」
と言っても、
生徒さんに対して不誠実な教師や反社会的な教師までも容認しては、
社会からは社交ダンスは認められていかない。
「やっぱり社交ダンスなんて・・・」ということになる。
社交ダンスはこれまで、
日本の社会において「よく分からないもの」として認識されてきました。
よく分からないもの、いかがわしいものとして
社交ダンスは認識されてきた。
これからはそんなことは絶対に嫌だ。
社会に受け入れられるような存在になるのだ。
ではどうしたら良いか?
ここで、
「質の悪い教師の排除」
という発想が出てきます。
ダンス教師に様々な生き方が認められていたとしても、
どんな教師でも「有り」というわけにはいかない。
「社交ダンスの先生って言っても、あんなもんか・・・」
という印象を持たれるような人々を、
ダンス教師の共同体に入れるわけにはいかない。
日本の社会に確かな地位を築くためには、
いわゆる「質の悪いダンス教師」は排除されなければならない。
こういう具合で、上の2点は矛盾すると思うのです。
そういう発想から、
長い間試みられてきたものが「スポーツ化」です。
歴史的に、日本の社交ダンス界は、
自身を「スポーツ」に特化することで日本の社会に位置付こうとしてきました。
そして、その具体的な方法が、
「スポーツ的ではないダンス教師の排除」
であった。
ざっくり言うとそんな感じのようです。
今回はちょっとしたお勉強でした。
はじめまして
お尋ねしたいことがありましてコメントお送りさせていただきます。
私自身社交ダンスは行ないませんが 数名の方 社交ダンスを通してのお話を聞かせていただくことは よくありました。
最近は ちょっと無沙汰しておりますが、、、、
その前に、いつ頃からでしょうか、もう20年以上前からでしょうが、、
誰となく、、にですが特に若い人にそのような機会がある毎に、、
世界中どこの国へ行っても共通な項目があり、音楽等その中で<社交ダンスは> その地の人と年齢なりにすぐに知り合いになることができる方法だから習っておきなさいと言っております。
特に公式行事で夫婦同伴のパーティーがあるような国に行った場合~~~~~
社交ダンスが上手いか下手ということではなく、、ではなく
ある程度できるかどうかでも、、必要な社交術であります。
海外では上手ければ上手いほど、、いいのですが、
日本ではあまり上手いと、、なんとなく、、、という風潮が~~
それでですが
韓国ではダンスホールというより
若者が行くクラブではないナイトクラブで踊るというスタイルが多いのですが
<お尋ねしたい件>
ダンスのステップで最初の出す足の右左が異なることがあると
耳にしたことがありますが、、そのようなことがあるのでしょうか?
私自身の聞き違いなのかも知れませんが、お尋ねしたいと思いまして
もしそのようなことがありましたら
それは アメリカとか東南アジアの国とか他の国でもあるのでしょうか
東京の新宿ステレオホールが昨年閉じましたね。
知り合いに連れられて行ったこともありますが、、
では、、では、、ご活躍願っております。
コメントありがとうございます。
>社交ダンスは、必要な交渉術。
ご指摘の通り、本当にそう思います。
ぼくも以前、初対面の韓国の方とお話しする機会がありましたが、
言葉は通じなくても、踊ることでお互いの意志を伝え合えるという経験をしました。
ダンスは「言葉」の一つなんだな、とその時、心から実感しました。
>日本では、あまり上手いと、、、なんとなく、、、という風潮が。
そうですよね。すごくよく分かります。
ただ、これはどの国にも共通すると思いますが、
「嫌みにならない程度に自分の上手さをアピールする」ということが、大切な社交術なのかもしれませんね。
>韓国ではダンスホールというより若者が行くクラブではないナイトクラブで踊るというスタイルが多い。
韓国ではそうなんですね〜。勉強になります。
日本でも、1980年後半頃までは、全国的に「ダンスホール」と言えば、
「ナイトクラブ」とほとんど同じような内容だったという経緯があります。
社交ダンスとは夜に踊られるもの、というイメージが強かったようです。
しかし、現在の日本のダンスホールとは、かつてのような「夜」のイメージではなく、
「昼、明るい中で」踊られる場所というものに変化してきています。
知人の先生は「今のダンスホールは、ダンスホールじゃなくて練習場だ。」ということを言っていました。
新宿のステレオホールが閉店し、いわゆる昔のタイプの「ダンスホール」は転換点を迎えたと思います。
さて、お尋ね頂いた件ですが、
「ダンスのステップで最初の出す足の右左が異なることがある」というご指摘でしたが、
私は、これを「国によって、踊りはじめに出す足が違う」という意味で受け取りました。
正しいでしょうか?
仮にこのように考えて「ある」か「ない」かで言うと、「ある」と思われます。
というのも、例えば、ルンバを踊るとなった時に最初にどのステップ(ポジション)から始めるのかは、
国によって地域によって多少の違いがあると思うからです。
例えば、
日本では、オープンポジションから始める(男性は右足から、女性は左足から)というのが一般的なのに対して、
オーストリアでは、クローズドポジションから始める(男性は左足から、女性は右足から)というのもある程度一般的。
こういう例かなと思います。
その国で定番となっているステップの違いに由来するのかな、と。
適切な回答かどうかは分かりませんが、おそらくこういうことだと思います。
私自身、各国の社交ダンス事情というのは、とても興味深い話題だと思っています。
どの国にも(アジアではどちらかと言うと、細々と)「社交ダンス」という営みが息づいています。
そこを比較することで、共通点や相違点が見出せると思います。
中国では、日本で言う社交ダンスは「社交舞踏」と呼ばれているそうですが、
韓国ではどのように呼ばれているのかはまだ把握していません。
また、教えて頂けると嬉しいです。
長々と失礼しました。
今後ともよろしくお願いします♩
ご返事ありがとうございました。
>ダンスのステップで最初の出す足の右左が異なることがある、、、
私は、これを「国によって、踊りはじめに出す足が違う」という意味で受け取りました。正しいでしょうか?
仮にこのように考えて「ある」か「ない」かで言うと、「ある」と思われます。
日本では、
オープンポジションから始める(男性は右足から、女性は左足から)
というのが一般的なのに対して、
オーストリアでは、
クローズドポジションから始める(男性は左足から、女性は右足から)
というのもある程度一般的。
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わかりやすく理解できました。
参考になりありがとうございました。
韓国では、社交ダンスという言葉も使っておりますが、
一般的には <スポーツダンス>と言っております。
韓国人は日本人より踊り好きです~~
というより身体を動かすことを求めております。
昨年のことですが、
日本で誘われ、カラオケに連れて行かれましたが、
部屋が狭かったのを覚えております。
韓国では歌があれば、いや、音楽があればですね、、
踊りがついてくるといいます、、、
どのような踊りでもそんな場所が必要でしょう。
スポーツであれ、社交であれ、昼であれ、夜であれ
10人が10人、、、同じ色の人ばかりではありませんから、、
社交ダンス、、、目を外に、、世界に、、、向けていくことに
ダンスを習う人が多くなることにはいいことと思います。
他の世界でも、
1/3は白色、、、1/3はグレイ、、、1/3は黒色、、、と
ご自分の前を見て歩いてゆかれんことを願っております。
内容が不適当でしたら 削除してください。
ご活躍願っております。
公孫樹 さま
コメントありがとうございました。
韓国では、<スポーツダンス>とも呼ばれているんですか。
やはり、スポーツ化の流れは、世界的なもののようですね。
現在行われている、中国広州でのアジア大会では「ダンススポーツ」という名前で、
社交ダンス(カップルダンス)が競われていますよね。
ダンスの楽しみ方は人それぞれ。
ぼくも、それが基本だと思います。
ただ、現在はそうではない流れもあるということだと思います。
「韓国では〜」とか「日本では〜」と言って、韓国人がみんなそうするという物言いには注意しないといけないと思いますが、やはり、韓国の人、日本の人には、各々に共通する何らかの習慣のようなものがあるのでしょうね。
韓国の方は、歌があると踊りもついてくるんですね。
ぼくもどちらかと言うと、歌や音楽があれば、体を動かしたいと思う方です(笑)。
このページは最近更新していませんが、近々、また再開したいと思っています。
社交ダンスという特殊な分野を通して、他の世界にも共通するものを書いていければ、と思っています。
これからもよろしくお願いします。
コメントありがとうございました♩