#22 医師の資質-感覚の記録2

感覚の記録の続きです。
今回は、帰りの風景から。


早退した。
風邪気味のため、
午後4時前に退社。
 
本日のレッスンを終えた後で、
上司にその旨を伝える。

のどの痛みと少しの発熱でぼーっとしている。
脳をぶにゃぶにゃした見えない膜が覆い、
思考の展開を邪魔しているようだ。

熱を帯びた体で、
ポケットから自転車の鍵を引っ張り出す。
チェーンの鍵を開ける。
それをサドルの下にくくりつける。

そのいちいちがめんどくさい。

自転車にまたがり帰路につく。
 
ここ最近、はっきりしない天気が続いている。

雨が降りそうだけど、
まだ降っていない。

暑くもなく寒くもなく、
ぼわぼわと熱を持った自分にはちょうど良い。
 
道行く人に、
急いでいる人はほとんどいない。
 
朝や夜とは時間の進み方が
明らかに違っている。


観光客だろうか、
小さめのキャリーバッグをカタカタと引きずり、
横1列で歩道いっぱいに広がって歩く中高年の女性4人。

すぐそばを通る車の音に負けないように、
力の限り声を張っておしゃべりしている。
 
4人とも、きょろきょろと辺りを見回して、
何かを探しているようにも見える。

札幌に来るのは初めてなのだろうか。

 
こうやって、その人の視点に立って、
その人にとって世界がどう見えているかを
想像する態度自体が、
構造主義的に考えている証拠なんだろうな。

 
午後4時の札幌はこんな世界。

 
いつもなら平日のこの時間に
外に出ることはあり得ない。
 
この状況を不思議に思いながら、
体調不良で早退という大義名分がなくても、
定期的にこの世界を味わいたいと思った。

 
午前中にこの道を通った時、
30羽くらいのハトが群れていた。
 
今はもういない。
 
次の餌場を求めて、移動したのだろうか。
 
お腹がいっぱいになって、
どこかの繁みでみんなで昼寝をしているのだろうか。

 
昔、大学の先輩に

「天気が悪い時、ハトは雨雲の上空まで飛び上がって、
雲が去るまでみんなでホバリングしてるんだよ。」

という、楽しいことを言う人がいたのを思い出した。

 
札幌駅を左手に置きながら、
自転車はすいすいと進んでいく。
 
のどの痛みとこの発熱を、
どう表現すれば良いんだろうか。


それにしても、

自分の症状を正確に人に伝えることが出来る人は、
果たしてどれくらいいるのだろうか。

 
小学生の頃、風邪で体がだるくなった時、
母親に連れられて近所の個人医院に行ったことがある。


中年の医師とは、


 「頭は痛くない?」

 ―少し痛い。

 「どんな痛み?」

 ―・・・

 「ズキズキする?ジンジンする?」

 ―・・・どっちかって言うと、ジンジンする方・・・。
 
 「どの辺がジンジンするの?」

 ―・・・

 「後ろの方とか、前の方とか、全体的にとか?」

 ―・・・全体的に、ぼわーっというような・・・
 

こんなやり取りをしたような気がする。 


何ともとらえどころがない内容。
ズキズキとか、ジンジンとかがよく分からなかった。
今もよく分からない。

 
ズキズキは、どんな痛みなのか。
ジンジンは、どんな状態を指すのか。
 
その表現と今まさに感じている自分の感覚とは、
絶対に一致しないはず。

たぶん。

それでも、こう表現することで、
自分の感覚が説明された気にさせられてしまう。
 
あ~、今のこの感覚は、
言葉にするとズキズキすると言うらしいな~と。

医師はこんなやり取りから、
相手の症状がどのケースに該当しそうかを判断する。
 

そして、対応の仕方を処方する。

医師には、

患者が言葉にするのが難しい感覚を、
患者の言動から読み取る力が求められそうだ。
 

痛みを「ズキズキ」と表現する人には、
こういう症状が多いんだな~とか。
 
この人は「ズキズキ」と表現しているけど、
たぶん「ジンジン」型の症状っぽいな~とか。

そういった分類する能力というか。

 
でも、それはダンスのインストラクターも同じだな。
 
「キリキリ」と体を絞ってください、

と言っても、その人にとっては
「キリキリ」よりも「もりもり」の方がしっくりくることもあるし。
 

教える側が、自分の感覚を表す言葉を、
教わる側に一方的に押し付けることはただの暴力でしかない。

だからまずは相手の言葉を聞くしかない。

どの感覚をどういう言葉使いで
表現する人なのかを知るしかない。

そのことに自覚的でありたい。


本当のところは、

「何だかいつもと違う。いつもより体が良くない状態みたい。」
 
こんな表現が一番正確なんだと思う。
 

それに、"痛い"とか、"だるい"とか、"ぼーっとする"とか、
いろんな言葉を当てはめていくことで、
人に伝わりやすくしているんだろう。

自分の感覚を人と共有する工夫が、
こういった感覚を表す言葉使いなんだと思う。
 

感覚が先にある。

その後に、その感覚を説明する言葉が来る。
 
 
刺激に対して、何かを感じる。
 
その時に、これを人に伝えるためにはどう表現すればよいのか、
これを人と共有するためにはどんな表現がふさわしいか、
そんなことを考える。
 

今、世の中にある言葉では、
表現し尽くせない感覚はきっとあると思う。
 
たくさんあると思う。
 
だから、「~な感じ」とか、「~みたい」といった、
広い範囲をカバーした表現がしょっちゅう出てくるんだと思う。

自分はそれを良く使う。
 

言葉でピンポイントに表せない感覚

というものが必ずある。

そういった感覚に名前を付けて、
今ある言葉を駆使して表現することで、
感覚を人と共有することができるはずだ。

 
感覚を記録する時には、
感覚に1対1で対応する言葉は無いと考えること。

 
そうすると、いろんな具材のエキスが混ざり合った、
おいしい鍋のスープみたいな表現が出来るんじゃないかな~。


鍋が食べたくなってきた。

ぐうぐう... 

そんなことを考えながら、
帰宅。
 
たくさん寝て、体調が回復することを願います。
 
 今日はこの辺でzzz

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