#187 ダンスは社交かスポーツか?

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《いざ六甲山へ。それにしても階段が急・・・》

結論を言えば、
どっちも良いし、どっちもあっても良いと思います。
いろんなダンスの姿があっても良いと思います。

ただ、
社交ダンスをどのようにとらえ、
この社会の中でどのようなポジションにあってほしいのかについての議論は、
各々の個人や団体に特有の歴史的な経緯があるので、
今後はそういうのを見ていきたい、と思っています。

先日、区民センターで行われたダンスパーティーに行ってきました。
ダンス好きの中高年の男女が300人ほど。
普段、バスケットボールや卓球が行われているであろう、
赤や青のテープの張られたオレンジ色の床の上を、
対になった男女がくるくると舞っています。
ものすごい熱気でした。

たまたま受付で、
その主催者のうちの1人の女性と話すチャンスを得ました。

「はじめまして。私、いのうえと申します。」
「はじめまして。○○です。」
「私、現在、社交ダンスの世界を研究していまして、
こういう機会にも参加させて頂いているんです・・・」

と、ひと通りの初対面の挨拶を続けていると、

「社交ダンスって言わないで。ダンススポーツと呼んでください。」と。

今まで接したことのない反応に、一瞬身体が止まるのを感じました。

         社交ダンスではなく、ダンススポーツ。

以前、
書いたことがありますが、
この女性も、この呼び名が気に入っていないんだな、と感じました。

しかも、
彼女の拒絶の仕方には、
ぼくなんかよりもずっと強い意志がこもっています。

何となく嫌だ、ではなく、こうだから嫌だ、という明確な意図が、
その言葉には乗っかっているようでした。

ぼくはその代案を提示できずにいましたが、
彼女は「ダンススポーツ」という言葉を採用していました。
この「ダンススポーツ」という言葉、実はもう世界語です。(言い過ぎ?)

ジュリエット・マクマインさんの『Glamour Addiction』(2006年)では、

1980年代に、
「競技ダンス」(Competitive ballroom dancing)が
「ダンススポーツ」(DanceSport)に変わった
ということが書かれています。
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それは、
オリンピックでの正式種目にしてもらうため、
という面が強かったようです。

主催者のその女性も
「(ダンススポーツじゃないと)オリンピックに出られない。」
と言っていました。

どの世界にも共通することだとは思いますが、
人によって団体によって、どの部分を強調して世の中に売り出したいか、
という部分が違うと思います。

「スポーツ」の面を強調して、

「ダンスはスポーツだ!これまで社交ダンスと呼ばれていたものは、これからはダンススポーツと呼び直そう!そうして、従来の(けだるい?)イメージを一新するのだ!」

とアピールするという流れもあるし、

「社交」の面を強調して、

「ダンスってそもそも、男女がお酒飲んでいい気分になって良い曲がかかって、
さあ踊りましょうか、ってなっていくものだよね。
呼び方だって社交ダンスで良いよね。」

とアピールする流れもある。

だいたいはこのミックスで動いているとは思いますが、
ダンススポーツを称揚する立場の人の考えの根底には、
社交ダンスがこれまで持ってきた、アンダーグラウンドな性格
(売買春の温床、不良のするもの、アバンチュールのツール)
というものへの反発があるんだと思います。

だから、

「ダンスってそんないかがわしいものじゃない!健全なスポーツなんですよ!」
と。
それで名前もダンススポーツに。
ダンススポーツという名前が浸透していくと、その名の通り、
スポーツというイメージが強くなり、怪しい匂いが消えていくから不思議です。

スポーツという名目だから、
男女が身体をくっつけ合っても、いやらしさも半減。

むしろ、組まないのが不自然なことになるので、
ちょっとでも恥じらいを見せようものなら、
「何やってんの?」といぶかしがられる。

そういう、世の中とは逆の価値観が流通しやすくなる。
それがカップルダンスの真正性を再生産するということでしょう。

「何もおかしいことないですよ。
むしろ身体をくっつけないほうがおかしいんですよ。」

という思考を推進する強い根拠にもなる。

ひとまず、
従来の「社交ダンス」を

「社交を重視した"社交ダンス"」
と言う場合と

「スポーツ性を重視した"ダンススポーツ"」
と言う場合の2通りがあるということ。

そして、これは別に、
互いに相容れない2項対立としてとらえるのではなく、
どちらもうまくバランスをとって共存できれば良いと思います。

しかし、
これは日本人の特性なのかもしれませんが、
現時点では、
「スポーツ」(競技)という面が「社交ダンス」の存在意義として
広く採用されているようで、
「社交」、つまり、「肩肘張らなくてもただ楽しく踊るだけで良いよね。」
という考えが採用される場合は少ないようです。

これはやはり、他国に比べてカップル文化が希薄だからでしょうか・・・

カップル文化の本家と言えば、フランス。
そう言えば、フランス出身の有名な競技ダンスの選手を見たことがありません。

「スポーツ」ではなく「社交」のツール
だととらえている人が強いからなんでしょうか?
だからあんまり強い選手がいない?

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コメント(4)

いつも興味深く読ませていただいております。

どの話題でもそうですが、
いのうえさんは「どっちが正しい・間違ってる」と画一的には書かないですよね、
そこがすごいと思います。
私なんかはついつい感情的になって
「私はこう思う!違う!」ってすぐに言ってしまうんですが。

ダンスはスポーツか?社交か?芸術か?
ほんと、それは人によってさまざまなんですよね。

私自身はダンスがスポーツ、という考え方にどこか違和感を持っていて
でも今では「ダンススポーツ」という名のもとで団体が結成されていて
私自身もその中の一つに所属しています。
だけどやっぱり違和感は否めない。

子供のころからダンスに憧れていて、
何度も何度もビデオを見て夢ふくらませていた私にとっては
ダンスはいつまでも今でも「芸術」であり「社交」であり
「人と人との出会いの場」だと思うのです。

お返事ありがとうございます!
この話題は本当に議論を呼びますね。

ダンスを「スポーツ」と位置づけなければならなかった経緯も、
それによって良い影響を世間に与えていった事実も、
私も少しは理解してるつもりです。

ダンスは芸術であってほしいと思ってる私も、
実際にダンスを習い始めて本当に強く思ったのはやっぱり「競技に出たい」でした。そして今は競技にどっぷりハマってます(笑)

しかしそれでも私の中では「ダンスはスポーツ」という概念よりは
「ダンスは芸術。美しくなければ。人を感動させなければ。ただただ速く動ける・アクロバティックなだけがダンスじゃない」って思ってるわけです。

それでも最近の流れ・・・
スポーツ的な動き、激しさ、速さ・・・には、
自然と目を奪われるものがありますね。

プロ団体(財団とか)の大会ではなく、
いわゆる「ダンススポーツのアマチュア団体」の大会では、
いまやかつてのジュニア選手たちが軒並み成長して大人部門へ出てきています。

全日本アマチャンピオンの久保田兄妹が
習い・歩んできた道と同じカリキュラムで習ってきたジュニアたち。
すごいです。
とても真似できない。
正にスポーツです。
財団の大会では見たことのない動きです。

すごいものはすごい。
上手いものは上手い。
それは事実だと思いました。

私自身も、もっと若かったら・もっと小さい時からダンスやってれば、
ああいう動きで踊ってみたい!って素直に思いました。

同時に、
「なんかやっぱり荒い動きだな、乱暴にも見えるな、
優雅さや美しさはちょっと足りないな」
と感じることもあります。

結局私も何をダンスに求めてるのか、
どうあってほしいのか、あいまいなままです。

年齢的に許されるなら・運動神経があったなら、
やっぱりあのジュニアたちのように激しく・速く踊ってみたいって思いますし。
でも根本は「芸術だ」と思ってるのです。

ただ、スポーツだって美しいと思う競技はたくさんあるし、
人を感動させることもあるし、
芸術だ!って思わず叫んでしまう瞬間もありますよね。

だから、いのうえさんもおっしゃってるように、
ダンスというものを「競技」とか「スポーツ」とか
画一的に狭いものとしてとらえずに、
柔軟に広い視野で見てダンスと関わっていけたらいいのかな、
と思います。

私がどっぷりハマってる競技会も、
「ダンス」の中の一部分なのだと。

実際、競技会が一段落してる時期はダンスホールなどで
楽しくいろんな方と踊ってであってお話するのがとても楽しいです。

初対面の方ともまずは踊ってみればすぐに打ち解けますし、
同性同士でもダンスの話題で盛り上がれば時間を忘れます^^
「あ~、これこそ社交だな~~」って感じてます。

私のリーダー(夫)にいたっては、
俺にとっての社交ダンスとは・・・
適度な運動であり、家庭円満の秘訣であり、お小遣い稼ぎの手段でもあり(笑)、
満足感・充実感・達成感が味わえるものでもあり、
仲間・友達・他人とのコミュニケーションツールでもあり、
そしてもちろん「競技」でもある。
そんなの人それぞれなのは当たり前!
だそうですよ~~。

ご意見ありがとうございます。

確かに現在のスポーツ化の流れには、
目を見張るものがありますね。

とにかく早く、シャープに、力強く、音楽にビシッと合って、
というのがますます求められているような風潮を感じます。
ダンススポーツのアマチュアの選手だけではなく、
プロの世界でもそういう踊りが礼賛されてきているような気もしています。

ぼくはこれまで「教師」もしくは「選手」の立場から、
社交ダンスの世界に関わってきましたが、
今後は、「研究者」の立場からこの世界を見ていきたいと思っています。

ですので、例えば、
現在の「スポーツ化」の流れについて、もう少し突っ込んで考えていきたいと思っています。
「社交ダンス」というものが日本に紹介されて以降、なぜ「スポーツ」という大義名分を掲げないと社会に認知されないと考えられてきたのか?とか、他の選択肢はなかったのか?(例えば、フランスのように「競技」というよりも「社交」のツールとして社会に認知されるといった方向性はなかったのか?とか)

こういった問いを立てて考えてみたいと思っています。
歴史的に見て、日本ではこの100年ほどの間、
ずっと、この「スポーツ」を錦の御旗に掲げてきたように感じます。

また、仰るとおり、
各人にとってのダンスというものは、それこそ人それぞれだと思いますが、
ぼくは、その多様さがどういう内容のものなのか?とか、ダンスを人生の中に位置づける方法としてどういう選択肢がありうるのか?といったことについて考えていきたいと思います。

どこまで迫れるかは分りませんが、
現在のダンス界を語るうえでの一つの語り口を提示できるように
精進したいと思っています。

いつか、もっと詳しいお話をお聞かせ願えれば嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします♪

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