#28 江戸川乱歩のパノラマ―自己の識別

北海道神宮のお祭り。

らしいです。
 
ビュンビュン飛ばす車のすぐそばを、

♪ピーヒャラ♪ドンドン♪

と、悠然と練り歩くお祭りの行列。
 

同じ時間を共有しているとは思えないくらい、
車の世界と行列の世界の時間の進み方が違います。
 
それぞれの役割を果たしながら、
行列の人々は歩いて行きます。 
 

今回は、

世界という"列"の中で課せられた、自分の役割、存在意義について。


*************************************


江戸川乱歩の作品に

パノラマ島綺譚』(角川ホラー文庫)

があります。


主人公は人見廣介という、
書生のようなごろつきのような30代後半らしい男。
 
自分に容貌がそっくりな大富豪の男が死んだのを機に、
その男になり替わり、家の資金を使って、
無人島に自分の思い描いていた理想郷を建設するという話。

(他人になりすますという点で、
昔見た『リプリー』という映画に少し似ています。)


田島昭宇さんの表紙絵が気に入って
手に取ってみました。


その中に、次のような記述があります。

大富豪の男になり替わるために、
まずは「人見廣介」という人間を死んだことにしなければならない。
社会から抹殺しなければならない。
入水自殺という形で、
それを実行した場面の記述です。


    「...彼はもはや、国家の戸籍面に席もなく、
    広い世界にただ1人身寄りもなければ友達もなく、
    その上名前さえ持たぬ所の、1個のストレンジャーなのでありました。
    そうなると、自分の左右前後に腰かけている乗客達も、
    窓から見える沿道の景色も、1本の木も、1軒の家も、
    まるでこれまでとは違った、別世界のものに感じられるのでした。
    
    それは一面、非常にすがすがしい、
    生まれたばかりという気持ちでありましたが、また一面には、
    この世にたった1人という、しかもその1人ぽっちの男が、
    これから身に余る大事業をなしとげねばならないという、
    名状しがたき淋しさで、はては、涙ぐましくさえなって来るのを、
    どうすることも出来ませんでした。」


世の中にいると、
親族関係、取引関係、交友関係といった諸々の関係に
自分が規定されていることを知ります。

そういった関係が、
今の自分を成立させてくれているという感覚。
 

それらの関係から悲喜こもごもを得て、
人生は彩られていくようです。
 
しかし、

そういった一切の関係から切り離されたら
自分はどうなるんでしょうか。

この世界に存在していた自分は、
どんな存在になるんでしょうか。

 
そんなことを、
ふと思いました。

 
ひとまず、
そういった関係を表す言葉として、
"肩書き"に注目してみたいと思います。


肩書きというか、属性というか、特徴というか、
その人が「何者であるか」を端的に表象する言葉。

世の中にいる他の人と
自分を識別するIDのようなものです。

 
代表的なIDは「職業」でしょう。


IDを得るということは、
社会に自分の居場所を確保してもらったようで
安心しますよね。
 

 でも、そのIDが無くなったらどうなるか。
 自分はどんな存在になるのか。
 周りには自分はどう映るのか。

 
例えば、自分に関して見ると。


今の自分を表象するIDの役割をしているものは、
おそらく「社交ダンス教師」です。
 
たぶん、一番大きなID。

初対面の人に自己紹介する時も、
「社交ダンスのインストラクターをやっています...」と言って、
会話を始めると思います。


でも、これがとれたら、
自分は何になるんでしょうか。

ただの人?

どうやって、自分を人に紹介すれば良いんでしょうか。

他の属性で代替すればいいんでしょうか。


 「いつも自転車に乗っている○○という者です。」
 「お酒が好きな△△です。」
 「兵庫県の三木市という所で生まれ育った□□です。」とか。


こんな感じ?
これはこれで良いのか。
逆に新しいような気も...


でも、そういった属性一切と
切り離されたらどうなるんでしょうか。


パノラマ』の主人公は、
それら一切と切り離されています。

自分をこの世界に位置付ける基準が何もない状態。
 
想像したらとても怖いです。
 
 
時には、
そういった属性の多さに不自由を感じるかもしれない。

うっとうしいな~と。


でも、それが無くなることは怖い。
 
誰にも必要とされないということだし、
この世界に自分は居ても居なくても良い存在だと思ってしまうし。

 
なんか、考えていくと、
自分の名前自体もただのIDのように思えてしまいます。
 
(ぼくは、自分の名字も名前もまあまあ気に入ってはいますが。)

 
誰の詩だったかな~


 「...妻と言うな、女と言うな。○○(確か作者の名前)と言うな。
  私は永遠に流れ続ける一筋のうた。」

 
こんな感じの詩を、昔聞いた気がします。
 
妻とか女って言ってるから、
女の人の作った詩なんでしょう。


「妻」とか「女」に留まらず、
自分の名前すらもただの属性だと考えて、
その属性から切り離された所に
自分の存在意義を見出そうとする立場なんでしょう。
 

でもそれは難しそうです。
 

もしかしたら自分は、
職業というIDを使って自分を紹介することに
あまりにも慣れ過ぎてしまっているのかもしれません。

人を見る時も、
「あの人は、公務員だ。」とか、
「あの人は、お医者さんだ。」 とかの所感をもって、
その人を理解した気になる。
理解したことにする。

そんなことに、
慣れすぎているのかもしれません。


だから、
その人に関するいろんなIDを見つけることが、
その人を理解することなんだと思います。

「職業」は数あるIDのうちの1つであって、
他にも、

「ものすごくよく食べる」とか、
「自転車に乗っている」とか、
「笑う時に手で口を覆う」とか、

その人の持つそういった様々な特徴をたくさんたくさん集めることが、
その人を理解することなんだと思います。

自分を社会的に"抹殺"した主人公から、
そんなことを考えてみました。

今日はこの辺でzzz

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