#53 "ここにしかないもの"という財産-社交ダンス教師という仕事10

 

初夏の札幌。
暖かな気候。
風が凪いで、最高の休日。

今、社交ダンス教師という仕事について書いています。
  
日々、自分の身体を使って取り組みながら、
自分のしている仕事はどういうものかと観察しています。
  
 
そろそろここで
確認しておきたいと思います。


        何のためにこんなことを考えているのか。

 
何に役立ちそうかということを、
暫定的にでも良いから設定してみたいと思います。
 
この思考の目的を
定めてみたいと思います。

 
とすると、それは、

          「行動を起こすため」

になると思います。

そういうことにした方が良さそうですね。
 
 
         「自分はこの仕事をする時に、
         こういう思考回路を経由して発想して、
         行動に移す癖がある。」

とか、

         「自分はこういう場面に接した時に、
         こういうことを考えてこういう行動をとる癖がある。」

とか。

 
そういった、

自分の思考パターン、行動パターンを記録して、
自分の行動の予測を立てる。

今度はこういう風にやってみようという、
次なる行動の指針を作る。
 
そのために、

今の仕事に見られる特徴とか、
他の分野との共通点を整理することが
大切になってくるのかなと。
 
 
以前は、

"快・不快"を判断基準に、
この仕事を見ていた気がします。

 
他の業界と比較して、
「よそは、休みが多くて良いな~」
なんかを思っていた気がします。
(今も思いますが...)

  
どこの世界も実際に入ってみないと見えない景色があるのに、
外向けに流される上面だけを見て、
「良いな~羨ましいな~」
と思っていた気がします。


確かに今もそう思いますが、
そこで思考が留まると生産的ではなくて嫌なので、
さらに思考を進めるようになったと思います。
 
 
今、自分が所属している世界を見つめることよりも、
外向けに宣伝される別の世界のPRをありがたく崇拝していたことの愚、
非生産性を自覚した時、1つ賢くなった気がしました。


そう、

隣の芝は青く見えるものです。
隣の人の食べている料理はおいしそうに見えるものです。
人の踊りは自分よりも良く見えるものです。
他の世界は良く見えるものなんです。
 
 
では、今何をすべきか。

それは、

隣の芝に羨望の眼差しを向けることではなく、
隣の人と同じ皿を頼めば良かったと後悔することでもなさそうです。


それは、

「ここにないもの」を枚挙し、
「はぁ~」とため息をつくのではなく、

「ここにしかないもの」に目を向け、
他の世界には無い独自のものを認識し、
愛で、別の世界に行った時に、
活用する準備をしておくこと。


そういうことが大切な気がします。


Tvプログラムの『カンブリア宮殿』(09.05.18放送 ゲスト:川崎和男)で、
司会の村上龍さんが示した言葉を思い出します。


       「地方から東京に出てきた若者はみんなこう言う。
      
       ―東京には地元にはないものばかり。あの店もあのビルもあのセンスも。
        やっぱり東京は進んでいるんだな~―と。」

 
皆、地元にないものを東京で発見した気になる。
東京に限らず、
どの分野でも先進地と呼ばれる地や組織、集団に入ると、
自分の目で見、肌で感じてから判断する前から、
無条件にそこを崇拝する気になってしまう心性と同じ構造。

 
しかし、こう考えても良さそうです。

先進地は、
そう呼ばれた時点で、
多くの才能がゴールドラッシュのように大挙して押し寄せ、
結局はレッドオーシャンになる。

競争の過当化による消耗戦が待っているだけ。
だとすれば、
今自分が立っている地点にしかないものを
掘り起こした方が、ブルーオーシャン。


しかし、これは意外に出来ませんよね。

日々の生活を振り返ってみればよく分かります。

人々が何に熱狂しているかに
敏感になることが、
資本主義社会に生きる自分達の宿命であり、
その「人々が熱狂するもの」の多くは、
自分の所属する世界の外にあるように宣伝されています。

だから、

外の世界に憧憬の念を馳せ、
往々にして"振り回される"ことになるのです。
 

他の所には在るのに「ここにない」ことに幻滅し、
無意識に自分の今居る「ここ」を劣った場所であると認識してしまう。
「ここ」には、もう何も学ぶべき事が残されていないと。
 
なんだか悲しいですね。

確かにこれが正しい場合もあるかもしれませんが、
多くの場合はもったいない結果になると思います。

未だ先進地にはデヴューを果たしていないが、
今後、料理の仕方ひとつで、
とても価値のあるものに化けるものも「ここ」には在るかもしれない。

「ここにしかないもの」を発見し、料理し、皿に盛り、世に問う。

 
そうやって、

本意であろうが不本意であろうが、
今自分が居る場所に目を向け、

自分にとっての「ここにしかないもの」の
普遍性(他所との共通点)や特殊性(他所との相違点)

を整理できれば、
きっと何かの価値を発揮するはずだと信じています。

 
では、今、

自分が所属している職場における

「ここにしかないもの」

とは何なのでしょうか?
具体的には。


その1つとして挙げられるのが、

この仕事をしているというだけで「おっ!?」と目を引くことができる、

という点。

例えば、子ども。
 

最近、学校帰りの小さな子ども(小学2年生らしい)達が、
教室を覗きにやってきます。

ちょうど帰り道なんでしょう。
積極的に前面に出てくる女の子2人と、
名前の知らない女の子と男の子。
この4人がレギュラーメンバーで、
たまに1人や2人、他の友達も混じることもあります。


職場であるスタジオは、

外に面したガラスにスモークが部分的に入っていますが、
ビルの1階に位置し、
歩道からは中の様子が、
はっきり見て取れます。

 
ぼくの腰あたりの身長しかない彼らにとって、
スモークの切れ目が、
ちょうど良い"のぞき窓"になっているようです。

いつもそこからキラキラした目をのぞかせて、
ひよこのようにピーピーと騒いでいます。

 
最初に彼らと出会った時、
スタジオ内に誰も居なかったこともあって、
お調子で、クネクネと踊って見せてあげました。

それがひどく受けたようで、
それをきっかけにほぼ毎日、
学校のある日には帰りに寄るようになりました。

「でかおとこ」、「かすが(オードリーの)」(おれは春日に似てる?)

という、

親しみのこもったありがたい(?)ニックネームも授けてもらい、
自分が手の空いている時は、
外に出て少しだけ話をするようになりました。

 
でも、

彼らが来る時はだいたいがレッスン中で、
手を振り返すだけに留めます。
 
たまに暇になって相手をしてやろうと外に出ると、
「振られた!モテてないんだ!」と容赦のない言葉を食らいます。
(腹立つ~!おれいじめられてるな・・・)
 

外に出て声をかけると、
「踊って!踊って!」とせがんできます。
 
       
腕を天に向かって捧げ挙げたり、
横にひねってみせたり、
腕が朝顔のツルになったように、
螺旋を描いて見えない支柱をスルスルと昇っていくように見えたり、
歩いていたと思ったら急に方向を変えて走り出したり、
飛んだり跳ねたり、
男の人と女の人がくっついたり離れたり、
素早く入れ替わったり、
体を斜めに傾けたり・・・


"のぞき窓"から、
彼らにはそんな光景が見えたのでしょう。

人間は動いているものが好きです。

外だからきっと音楽は聞こえなかったはず。
ただ、「人間が動いているぞ、自分の日常にはない光景だぞ、おっ!何だかおもしろそうだぞ。」

そんな好奇心から寄って来たんでしょう。

窓から見える光景が、
一般企業のオフィスだとしたら、
彼らはきっと寄っては来ないはずです。

この仕事だからこそ
フラフラと引き寄せられたのだと、
ぼくは思っています。

          社交ダンス。

人に注目されることに
喜びを感じる人たちで形成された世界。
 
スポットライトを浴び、
自分だけのためにフロアは用意され、
自分だけのために曲は流れ、
自分だけに観客の目は注がれる。

これに極度の快感を見出した人たちが
ダンスの世界に棲んでいます。

 
しかし、

このような人たちに限らず、
人間一般には、誰かに注目されたい、
誰かに褒めてもらいたいという
願望、承認の欲求が少なからずあるはず。

ダンスの世界は極端かもしれないですが、
人生の中で注目される瞬間があるということは、
それだけで人生の喜びを感じられるということ。
 
だから、

ダンスの世界で内在的に制度化されている、

「スポットライトを浴びる」

ということ、

そして、

生徒をそのライトの元に引き出すことが出来る力があり、
それに対する感謝の気持ちを受け取ることは、
この仕事の特殊性でもあり、
他の地点から見た時の大きな魅力なのだと思います。


今、思いつきました。

今の経験を生かして
文化人類学の研究をしてみてもおもしろいと思います。


「今の経験を生かす」とは、

具体的には、

今の仕事の他の仕事に対する普遍性(共通点)と特殊性(相違点)の整理をし、
それぞれの次元を整理し、配列すること。


「文化人類学の研究をする」とは、

具体的には、

上で整理したことをもっと一般化したレヴェルから論じ、
人類の来し方行く末における普遍的な法則を提示すること。
 

今、自分は、

どういう方法で、どういう経路で、
どういう経緯で物事を考えているのか。
 
そんなことに自覚的でありたいし、
何かの役に立つためにこういうことを考えていると思いたい。

そう思っています。

 ブログをそろそろ引っ越します。
 (いつも言ってるな~)
 
 今回はこの辺でzzz

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