#59 エチケットという常識-人生・時々・ダンス5

この前、
新聞をバラバラと眺めていた時のことです。

 
             【その振るまい、許せますか?】


という見出しに目が留まりました。

日経新聞の日曜版で、
別冊みたいになっていた気がします。 

 
周囲の人にこういう行為をされたら、
あなたは許せるかどうか。
 
そういう話型で、
いろいろなケースを想定した
アンケート調査の結果が掲載されていました。
 

例えば、"咳エチケット"。
 
人がいる所で、ゴホゴホッ!とする行為について。


口を手で押さえるとか、横を向くとか、
その場にいる他の人に対して、

"気を使っている"

というメッセージを発信していることを
こっちが受け取った場合はともかく、

そういう態度が見られない時(もしかしたら見られる時でさえ)、
人は不快に思うはず。

 
周囲の人に迷惑をかけない、
不快な思いをさせない。
そういう目的のエチケット。

 
それが咳エチケットらしいです。

 
それにしても。

エチケットとかマナーとかいったものは、
どうやって出来ていくんでしょうか。

どうやって、みんなが、


            「これがエチケットですよ。
             それが求められる時には、従うべきものなんですよ。
             これを守れない人は空気読めてませんよ。」

というふうに認識していくんでしょうか。


なぜ、

考え方の違ういろいろな人がいるのに、
暗黙の了解のような
エチケットとかマナーが世界に浸透していくんでしょうか。

 
そんなことをふと思ってしまいます。


社交ダンスは、その名の通り、
"社交"という名前が冠されています。 
 
(なんか気だるい感じがして、
あんまり好きな呼び名じゃないんですが...)


なので。
 
男女が社交する上で必要とされそうな、
諸々のエチケットがわんさか詰め込まれた世界でもあります。
 

例えば。

 
●パーティーで踊りを誘いに行くのは男から
 
●踊り始めや踊り終わりには、
 男性が女性をエスコートする
 
●日常から離れるために創出された虚構の世界だから、
 ここに属している時は日常の下世話な話題は控える
 
●混雑したフロアでは、他の人の邪魔にならないように、
 ホールドを小さくして踊り、
 競技会のように大きくスピーディーに動かないようにする
 
●ダンスが踊られる空間に対して、
 (特に女性は)普段着れない服を着て、
 お化粧をしていける場所だと認識している人が多いので、
 それを尊重した言動をする

 
とか。

 
こういうエチケットは、
どうやって社交ダンス界の"常識"として定着していったんでしょうか。

 
結論から言うと。

その行動をエチケットとして、
世の中に広めたい人やグループがいて、
広めたいエチケットの具体的な方法を宣伝して、
時間をかけてだんだんと広まっていったんだと思います。

 
            人間全員に内蔵された、ある行動様式を習慣化させるような
            行動のスイッチのようなものがあって、
          
            それが自然発生的に同時発生的に発現して、
            広がっていったのがエチケット


という理解とは違います。

 
            「これを広めたい!」

とか、

            「これはきっと社会の役に立つ!」

とか、

を思い立った人たちが、
時間をかけて粘り強く定着させていったものだと思います。
ほとんどは。

 
咳エチケット」については、

厚生労働省がホームページで指針を発表しているらしいし、

社交ダンス界のエチケット」については、

日本舞踏協会(?)といったような組織が中心になって、
ダンス界の常識を定着させようと宣伝してきただろうし、

(今思い出したけど)

トイレットペーパーの先を三角に折りたたむ」ことについては、

日本マナー協会(?)のような組織が、
「みなさん、トイレットペーパーは次の人が取りやすいように三角に折りましょう。」

的なメッセージを発信してきたのかもしれません

(聞くところでは、トイレ掃除の人が、
次の当番の人に"ここは掃除しましたよ"
と伝えるためのメッセージだという話らしいです。)。


こういった組織が主導して、
エチケットという常識が定着することを目指している道の途中には、

          「えっ!?何で男が女を誘いに行かないとあかんねん!
          男が女にへりくだるような真似できるかい!」

とか、

          「踊りのうまい人がフロアを独占するのは当たり前でしょ?
          ビュンビュン踊れる人の邪魔にならないように、
          下手な人は隅っこでステップ踏んでれば良いのよ!」

とか、

          「何でそんなかしこまった恰好をしないといけないの?
          そんなに別世界扱いしないで、
          普段着で参加してもいいんじゃないの?」


といった、
"抵抗"があったはず。
 
 
明治の鹿鳴館時代や、
戦時統制後(終戦後)の社交ダンス再興期には、
きっとこんな反応が、
少なからずあったはずだと思っています。

 
エチケットは、こんな経緯で、
だんだんとみんなに支持されて
定着していくようになったんだと思います。

 
それでは。

このエチケットに対して、
自分はどういう距離をとれば良いんだろうか。

そんなことを考えます。
 

それには3つありそうです。

                   ①全肯定
                   ②全否定
                   ③その中間


①は、
エチケットとして出回っている常識を
全面的に正しいものとして思考し、

 そんなんマナーに決まってるでしょ。
 それって普通でしょ。
 それが人として当然でしょ。


という台詞を繰り返し使うこと。

 
②は、

全面的に正しくないものとして思考し、
 
 "マナー"とか"常識"とか"普通"とかいった、
 根拠も内容も説得性も良く分からないようなものに従うのは絶対嫌だ!
 
 気付いたら自分の思考や身体を麻痺させて縛り付けるような、
 マイルドな毒ガスのようなものに、
 自分の思考や身体を委ねたくない!
 
 
と反抗し続けること。


③は、

 ①信奉者のグループにいる時に
 「エチケットを解さない人は困りますよね。」
 と言いながら
 他の人が従うエチケットに従い、

 ②信奉者のグループにいる時に、
 「エチケットなんてくだらねえ。」
 と言って、
 反常識的な言動をし、

 ①②どちらにも属さない時(だいたいは1人の時)に、
 「エチケットが大事な場面もあるけど、必要のない場面もあるよなー。」
 と言って、
 使い分けたい本音を再認識し、
 使い分ける労力にちょっとうんざりする。


こういう都合の良い態度。


①は物事を見えて無さ過ぎるし、
②はストイックすぎてしんどい。
③は八方美人的だけど現実的でしょうか。


社交ダンス教師である時は、
社交ダンス界の常識に関しては①か③の立場(②だとこの世界にいる意味がない)。
 

同じように、
 
大学院生である時は、
大学院の常識に関して①か③の立場。
 
アウトレットモールのショップ店員である時は、
その業界の常識に関して①か③。
 
日本人である時は、
日本の常識に対して①か③の立場・・・
 

いろんな分野に応用できそうですね。

 
それを自覚していたいと思います。
 
 
               常識と自分との距離
 
結局は程度の問題なんでしょう。
さじ加減というか。
バランスというか。
 

なんだか、とっても"常識"的な落ちになってしまいました... 

 今回はこの辺でzzz 

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