#108 平田オリザと社交ダンス4

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≪午前11時の公園。緑色が目に優しい。≫

【演劇の演技】と【社交ダンスの表現】。

演劇の世界の"演技"と、社交ダンスの世界の"表現"について、

何かを考えてみようというシリーズです。

自分は演劇に出たことはありません。

あ、ありました。
小学校の時に保健委員として、

虫歯予防を啓発する寸劇に出たことがあります。

虫歯を作る、悪いバイ菌役で。
工事現場にあるような鉄パイプみたいな棒の先に、

ギザギザのとげをつけたのを持っていた記憶があります。
 
でも、そんな程度。
 
今も、演劇には出ていませんが、人前には出ています。
踊るために。

ストーリーがあって、台詞があって、演出家がいて、

自分以外に他に役者がいて、

という演劇とは少し違いますが、

人前で何かの物語を提示する、

という点では、

社交ダンスと演劇は同じ構造を持っているのかもしれません。

 

今回は「コンテクストのすり合わせ」について。

***********************************
 
平田オリザさんは『
演技と演出』の中で

「コンテクスト」という言葉についてこう言っている。

 

要約すると。

 

  「1人の人間には、それまで生きてきた歴史を通じて形成された"文化"

   と呼ばれるような領域がある。その人だけに通じる感覚というか。

   こういう1人1人に違う、言葉の使い方や、

   ある言葉から受けるイメージ」。

 

これが「コンテクスト」。

 

自分の言葉に直して

「コンテクストをすり合わせる」

ということを表現してみると。

 

「コンテクスト」とは、

ある現象に対して想起するイメージのこと。
 

「すり合わせる」とは、

各々に違うそのイメージを近づけていくということ。

 

そんな理解。

 

例えば。

「ダンス」という言葉を聞いて、

何をイメージするかは人それぞれだということ。
 

何をイメージするかは、

その人がこれまで歩んできた人生に大きく影響されるということ。

 

小さい頃から身の回りにダンスがあって、

喜びも悲しみもそこから知って、その言葉を聞くと、

自分の人生そのものをオーバーラップさせる人。
 

これまでの人生でダンスに興味はあったんだけど、

全く縁がなく、その言葉を聞くと、遠い世界を想像する人。

もしくは、

興味はあったのに何も行動できなかった自分に対する

幻滅感を想起する人。

 

その人に固有のとらえ方があるということ。 

その人にしか分からないイメージがあるということ。
 

他の人とは絶対に共有できない、

その人だけのイメージがあるということ。

 

演劇では、演出家と俳優、俳優同士で、

その「コンテクストをすり合わせる」ことが

大切な作業になっているらしい。

 

"マクドナルド"を"マクド"と呼んできた人に、

"マック"と呼ばせると、

最初はぎこちなくなるに違いない。
 

それを違和感なく演じてもらうためには、

"マクド"だった文化を"マック"という文化に変更しなければならない。 

少なくとも演じているうちは。
 
そうやって、

その人に固有のイメージから、

その演劇全体で求められるイメージに変換していかないといけない。
 

演劇という物語の一部として登場する以上は、

「おれは"マクド"で通してるから。」

なんてことは言っていられない。
  
 

その物語に参加する他の俳優達と、

言葉に対するイメージを共有する。
 

そんなことが求められる。

 

社交ダンスでは。

 

例えば、パートナーとの練習中の会話。

これが好例だと思う。

 

練習中、

ルーティン(あらかじめ決めたステップの順番)のある箇所で

やり辛くなった時。
 

自分だと、

        「この付近がうまくいかないから、

         その周辺をもう一回練習してみようか。」

と切り出す。
 

とても一般的な練習方法。
 

そして、

「ニューヨークした後にロンデする所からやろう。」

と、具体的な箇所を指示し、

部分的にそこだけ練習しようとする。

 

でも、

いざ途中から始めようとすると、うまくいかない場合が多い。

 

なぜか。

 

それは、お互いに始めようとする箇所が違うから。
 
自分は「ニューヨークに開く」所から始めようとしていたのに対して、

相手は「ニューヨークした後のロンデアクションから」

始めようとしていたから。

 

例えばの話だけど、

こういうことはしょっちゅう起こる。
 

自分はきちんと伝えたつもりだとしても、

言い間違えたり、言葉が足りなかったり、早とちりすることで、

意思の疎通がうまくいかないということ。

 

今相手は、何を問題だと思っているのか。
今相手は、どこから始めようとしているのか。
今相手は、どういう方向に改善しようとしているのか。


そういったイメージの共有ができないということ。

そして、

そのイメージを共有するために必要なことが、

相手の考えを知り、自分の考えを知ってもらうこと。
 

そして、すり合わせていくこと。
会話によって。

     自分は今、これを問題だと思っている。
     自分は今、ここから始めたいと思っている。
     自分は今、こういう方向に修正したいと思っている。

そんなことをお互いが突き合わせて、

「じゃあこうしてみようか。」というふうに、

実験してイメージを共有していく。


そして、実験を繰り返して、

だんだんと共有の密度を濃くしていく。

 

社交ダンスで踊りを作っていくには、

個々の身体能力を鍛え上げる以外に、

そういう会話が必要だと思う。

 

トップレベルの選手達は、

練習の前提として、意識的にそういう会話を採り入れている。
 
2人の人間が1つのものを作っていくということは、

いまやろうとしていることを根気強くすり合わせていくことが大切。
 

本当に根気強く。


演劇シリーズは今回で終了。

次回からも、

社交ダンスと植物、動物、人間がらみで何かを書きたいと思います。

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