≪ライトアップされた時計台。日常の風景の一部になっています。≫
JR北海道の車内にて。
小樽発、札幌行きの最終便に乗りました。
午後11時。
金曜日の夜なので、他の曜日に比べてやや混みの状態です。
発車したばかりの車内。
つり革のラインダンスを視界の端にとらえながら、
まだ汗の浮いた火照った身体を鎮めていました。
南小樽。
会社の飲み会でしょうか。
同僚と思しき、7、8人の男女のグループが側に陣取りました。
みんな疲れているからか、とてもお行儀が良く、静かで助かりました。
そのまま、ごとごとと。
約1時間後に、札幌に着。
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最近何をやっているかというと。
"論理"と"情緒"の協働の例。
これです。
これを身の回りに探していました。
そろそろ、社交ダンス。
中沢新一さんが言うように、
「芸術」はこの協働(バイロジック)が、今も生き残っている
稀有な領域のようです。
社交ダンスも芸術。
なので、
社交ダンスの世界でこそ、
「複論理(バイロジック)」が具体的に現象した様子を
観察できるんじゃないか。
そう思えます。
では。
社交ダンスにおける「バイロジック」とは?
言い換えると。
社交ダンスにおける「論理」と「情緒」は?
先取りすると。
① 論理 = 競技選手(プロスポーツ選手)
② 情緒 = インストラクター
おおざっぱながらも、
現実的な現象形態としては、
このような対応関係になるんじゃないかと。
①の社交ダンスの競技選手が、
どういう点で「論理」の領域に属しているのかについては、
このシリーズ「"論理"と"情緒"」の1回目,2回目で書いてみました。
「こうすれば、こうなる」ために練習する。
ナチュラルターンを100回踊って、
100回とも満足いくようにするために、
心を砕く。
競技会で、何回でも勝てるように、
100回出て100回勝てるように、
練習する。
がちがちに固められた世界。
薄氷の上を歩くような、針の穴を通すような、ぴりぴりとした世界。
もしかしたら、
今できた喜びよりも、
次できるかどうかの不安の方が心を支配する世界。
②のインストラクターが、
どういう点で「情緒」の領域に属しているのかについては・・・
書いてないですね・・・
ひとまず、アイデアの段階にしておきます。
社交ダンスでいう「バイロジック」の具体例は、
① 競技選手(論理:論理的思考の知性)
② インストラクター(情緒:対称性の知性)
そんな感じじゃないか。
こんなところです。
でも。
競技選手の中にも、また「論理」と「情緒」の部分があると思う。
インストラクターの中にも、また、
「論理」と「情緒」の部分があると思います。
これについては、次回に。
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