#121 "論理"と"情緒"7―2つの価値観9

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   ≪ライトアップされた時計台。日常の風景の一部になっています。≫

JR北海道の車内にて。
 
小樽発、札幌行きの最終便に乗りました。
午後11時。
金曜日の夜なので、他の曜日に比べてやや混みの状態です。
 
発車したばかりの車内。
つり革のラインダンスを視界の端にとらえながら、

まだ汗の浮いた火照った身体を鎮めていました。


南小樽。

会社の飲み会でしょうか。
同僚と思しき、7、8人の男女のグループが側に陣取りました。
みんな疲れているからか、とてもお行儀が良く、静かで助かりました。 

 

そのまま、ごとごとと。
 

約1時間後に、札幌に着。

*******************************

 

最近何をやっているかというと。


      "論理"と"情緒"の協働の例。
 
これです。

これを身の回りに探していました。

そろそろ、社交ダンス。


中沢新一さんが言うように、

「芸術」はこの協働(バイロジック)が、今も生き残っている

稀有な領域のようです。


社交ダンスも芸術。
 
なので、

社交ダンスの世界でこそ、

「複論理(バイロジック)」が具体的に現象した様子を

観察できるんじゃないか。

 

そう思えます。

 

では。

社交ダンスにおける「バイロジック」とは?

言い換えると。

 

社交ダンスにおける「論理」と「情緒」は?

先取りすると。


     ① 論理 = 競技選手(プロスポーツ選手)
     ② 情緒 = インストラクター


おおざっぱながらも、

現実的な現象形態としては、

このような対応関係になるんじゃないかと。

 

①の社交ダンスの競技選手が、

どういう点で「論理」の領域に属しているのかについては、

このシリーズ「"論理"と"情緒"」の1回目2回目で書いてみました。

 

「こうすれば、こうなる」ために練習する。
ナチュラルターンを100回踊って、

100回とも満足いくようにするために、

心を砕く。
 

競技会で、何回でも勝てるように、

100回出て100回勝てるように、

練習する。
 

がちがちに固められた世界。
 

薄氷の上を歩くような、針の穴を通すような、ぴりぴりとした世界。
もしかしたら、

今できた喜びよりも、

次できるかどうかの不安の方が心を支配する世界。
 
②のインストラクターが、

どういう点で「情緒」の領域に属しているのかについては・・・  

書いてないですね・・・
  
ひとまず、アイデアの段階にしておきます。

 

社交ダンスでいう「バイロジック」の具体例は、

 

    ① 競技選手(論理:論理的思考の知性)
    ② インストラクター(情緒:対称性の知性)

 

そんな感じじゃないか。

こんなところです。


でも。

競技選手の中にも、また「論理」と「情緒」の部分があると思う。
インストラクターの中にも、また、

「論理」と「情緒」の部分があると思います。
 
これについては、次回に。

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